2.リタ、事の経緯を整理してみる
「え、リタも了承してるものだと思ってたわ」
あまりにもあっさりした一言。
リタは思わず言葉を失った。
理解が追いつかないまま、彼女は同僚のカヤの前に座っている。
王立図書館の一角。
静かな空気の中で、二人だけがひそやかに会話を交わしていた。
カヤは最近結婚したばかりの新婚だ。
癖のある赤髪に、両耳に二つずつのピアス。
黒を基調としたラフな服装。
この図書館は比較的服装の規定が緩い。
とはいえ王立の施設である以上、ある程度の節度は求められる。
(……それでも自由すぎる気もするけど)
ときどきそう思う。
だが、この図書館は少し特殊だ。
王立でありながら、運営は独立。
予算も主に寄付で成り立っている。
知の保存と継承。中立であること。
それが、この場所の最も重要な理念。
だからこそ、人材の採用も館長に一任されている。
(館長の権限、強すぎない……?)
そんなことを考えつつ、リタは目の前の現実に戻る。
「……私、本当に知らなかったんです」
「えー?」
カヤは楽しそうに笑う。
「リタたち、恋愛とは無縁に見えたけどさ。仕事外で何かあるのかと思ってた」
「仕事外で館長と二人きりなんて、ほとんどありません」
「確かに!あの人、ずっと図書館にいるもんね!あはは!」
(あはは、じゃない……)
ツッコミたい。でも、そんな気力はなかった。
どうやら周囲は――リタと館長が、互いの意思で結婚を決めたと思っているらしい。
(どうしてそうなるの……)
理解が追いつかない。
誰も疑問に思っていないことが、逆に不思議だった。
「館長が、私を選ぶ理由が分からないんです」
ぽつりと零れる本音。カヤは即答した。
「え?好きだからでしょ」
(そんなわけない)
危うく口に出しそうになる。
「貴族ってね、好き嫌いで結婚できる人、そんなに多くないのよ」
カヤは肩をすくめる。
「私はたまたま恋愛結婚だけど。それって、かなり恵まれてるほう」
カヤは幼なじみと結婚した。
同じ家柄、同じ環境、同じ時間を過ごしてきた相手。
まるで物語みたいな関係。
(それと私たちは全然違う)
「でもね」
カヤが少しだけ真面目な顔になる。
「館長って、あの性格でしょ?」
「……はい」
「嫌な相手と結婚するタイプじゃないわよ」
それは、確かにそうだった。
館長――ミハエル・マートン。
25歳で王立図書館の館長に就任して、もう10年。
伯爵家の出身。王族の縁者。
そして、圧倒的な能力。
あの人が、妥協で結婚するとは思えない。
「……私、好かれてるんでしょうか」
思わず口に出る。カヤは目を丸くした。
「そうよ!リタって本当に鈍いのね!」
「え……?」
「館長のお気に入りがリタって、みんな知ってるわよ?」
リタは固まった。
(……え?)
思い返す。確かに、呼び出されることは多い。
資料整理。文献探索。蔵書選定。
理由はいつも――
「暇そうだったから」
(絶対違うと思うんだけど……)
「頼まれることは多いですけど、言いやすいだけだと思ってました」
「違う違う!」
カヤは即座に否定する。
「リタの記憶力、すごいもの。館長の要求についていけるの、リタくらいよ」
「そんなこと……」
「謙遜しない」
ぴしゃりと遮られる。
「館長、ちゃんと見てるわよ。不器用なだけ」
リタは少し黙る。
確かにあの人は、言葉は少ないけれど。
伝えるときは、ちゃんと伝える。
「……仕事として当然のことだと思ってました」
「まあ、そう思えるのがリタなんだけどね」
カヤは少しだけ優しい目をした。
「みんながそう思えるわけじゃないのよ」
リタは、人の気持ちを読むのが苦手だ。
文字なら分かる。書いてあれば理解できる。
でも、人は違う。
言葉にしない感情は、見えない。
だからこそ――館長のように、はっきり伝える人はありがたかった。
「ねえ」
カヤがふと笑う。
「リタと館長って、似てると思うのよ」
「……似てますか?」
「似てるわよ。お似合い」
リタは首を傾げる。
「なんかね」
カヤは少し考えてから、
「ベンチで空を眺めてる老夫婦みたい」
と言った。
「……え?」
想像できない。
でも――どこか、妙に引っかかる。
「まあいいじゃない」
カヤは軽く笑う。
「せっかくの縁なんだし。一回ちゃんと考えてみなよ」
背中を押すような一言。
リタは小さく息を吐いた。
(相談したのに、余計悩むことになるなんて……)
「……ありがとうございます」
そう言って、席を立つ。胸の中に残る、ざわつき。
まだ答えは出ないままだった。




