19.リタ、目が覚めたあのころを思う 2
王立図書館に就職が決まる前、兄から別の話を持ちかけられたことがある。
兄が勤めている、王国中枢の庶務を担う部署。
そこで兄の補佐をする仕事をやってみないか、と。
あまりにも身内びいきに見える話だったから、リタは驚いてしまった。
兄は公平な人だ。
私情だけでそんな話を持ってくるはずがない。
だからこそ、すぐには返事ができなかった。
少し考える時間をもらい、ほかの選択肢も見てから決めようと思ったのだ。
王立学院の卒業が近づくと、それぞれの成績に応じて各所から声がかかる。
成績優秀者には、それなりに良い条件の話が来る。
リタにもいくつか話があった。
とても恵まれていると思う。
けれど、学院を出た全員が王国の役職に就くわけではない。
妹のように家業を継ぐ者もいれば、越境してきた貴族や王族の子女は帰国する。
だから倍率だけ見れば、極端に厳しい世界というわけでもなかった。
それでも、現代でいうなら公務員のようなものだ。
将来は安定している。
平民の娘であるリタから見れば、十分すぎるほどの好条件だった。
両親のおかげで、王国の最高学府に通えた。
そして、国に関わる仕事を選べる場所にまで来られた。
それだけでも、かなり恵まれている。
リタはそのことを、ちゃんと理解していた。
なるべく長く働き、早く親元から独立したい。
それが少しでも親孝行になるだろうと思っていた。
特に両親は、結婚を急かすこともなかった。
リタが無口なくせに妙に頑固だと知っているので、最終的には本人の決定を尊重するつもりでいるらしい。
となれば――問題は、どこに就職するか。
一週間ほどいくつかの部署を回ったが、なかなか決めきれなかった。
「そういえば、この前本屋で見かけた本……そろそろ入るかな」
ふと、そんなことを思い出す。
リタはお小遣いが特別多いわけではない。
学院からの給付があるから、学業に必要なものには困らない。
けれど、娯楽としての本を次々買えるほど余裕があるわけでもなかった。
だから、小説はもっぱら図書館で借りる。
リタが好きなのは、恋愛小説。
それから、ファンタジー。
異世界に転生してしまった自分が言うのも変だが、それでも空想の世界は好きだった。
お姫様。
王子様。
きらきらした世界。
本の中でしか味わえないものが、そこにはある。
「すみません、新刊って入っていますか?」
王立図書館の分館は、学院の敷地内に併設されていた。
規模は大きくない。
でも、リタの好きな種類の本がよく入る。
暇さえあれば通っていたせいで、受付の職員とも顔なじみになっていた。
カウンターに行くと、目当ての新刊が棚に並んでいた。
真新しい表紙。
好きな作家のシリーズ。
思わず顔がほころぶ。
リタが特に好きなのは、転生ものだった。
この世界にも、生まれ変わりを題材にした作品は一応ある。
ただし小説の中ではかなり珍しい設定で、主流とは言えない。
だからこそ、余計に惹かれるのかもしれない。
しかもなぜか、この分館には転生ものが多かった。
リタにとっては、まるで自分のための棚のようだった。
「……あれ?」
好きな作家の新刊が、三巻まとめて入っている。
けれど、二巻だけが抜けていた。
職員に確認すると、貸し出し記録はないという。
少し待っていてください、と言われたので、その間リタは中庭へ出ることにした。
「絶対、あの作家さんの新刊は面白いのに……まとめて読みたいな」
そう独り言をこぼしながら、中庭のベンチの方へ歩いていく。
すると、先客がいた。背の高い男の人だった。
本を片手に、うたた寝している。
普通なら、そのまま通り過ぎただろう。
けれど、その日は違った。
「……二巻!」
思わず声に出てしまった。
その人が手にしていたのは、まさに探していた二巻だったのだ。
寝ていた相手がゆっくり目を開ける。
目の下にはクマ。
どこか眠たげな顔。
視線が合ったまま、数秒固まる。
(どうしよう……)
あまりに無遠慮に見てしまった。
けれど、今さら目をそらすのも不自然で、動けない。
「本、が……」
白状するように、手元の本へ視線を向ける。
すると、男の人は本を見下ろして、少しだけ口元をゆるめた。
「ああ、これか」
そして、にやりと笑う。
「王立学院の学生か。こういうの読むなんて珍しいな」
「た、確かに変わった設定ですけど、面白くて……」
「まあ、あまり見ない設定ではあるよな。この分館、妙に多いけど」
「そうなんです!」
思わず身を乗り出す。
「珍しいのに、この分館だけ妙に多いんです」
そこから話が始まった。
転生ものについて。
好きな作家について。
似た設定の作品について。
男の人は、本に妙に詳しかった。
それも、小説好きというだけではない。
背景まで知っているような話し方だった。
転生と宗教観の関わり。
生まれ変わりの概念が技術的に成立するのかという哲学めいた話。
リタはそんな本があることすら知らなかった。
けれど、それが妙に面白かった。
自分が今いる世界。
自分が転生したこの場所。
それがいったいどういう仕組みなのか、リタはずっと気になっていたのだ。
技術は未発達で、世界は不便で、それなのに確かに存在している。
転生についてもっと知れば、この世界のこともわかるかもしれない。
「面白いやつだな」
別れ際、その人がからかうように言った。
「興味があるなら、俺と一緒に働くか?」
「はい!」
勢いで答えてしまった。
でも、その時にはもう遅かった。
名前を聞くのを忘れていたのだ。
ただ、短い時間なのに妙に満たされていた。
それだけで満足してしまった。
数日後。
学院から渡された就職先の書類を見て、リタは目を丸くした。
王立図書館。
その館長の名前は――
あの日、中庭で会った、あの人だった。




