13.リタ、金曜日の女神に出会う 2
「ミハエルさま!」
「ローラ、よく来てくれた」
白いドレスをまとった女性――ローラは、軽やかに歩み寄ってきた。
レースの襟元が、ほっそりとした首筋を際立たせている。
装飾は控えめなのに、目を奪うほど華やかだった。
――きれい。
そう思うはずだった。
いつものリタなら、ただ素直にそう感じていたはずだ。
むしろ「こんな人を近くで見られるなんて運がいい」と、少し得をした気分にさえなっただろう。
けれど今は違う。
館長の視線が、彼女に向けられている。
それだけで――胸の奥が、ざわついた。
ただの知り合いではない。
そう思ってしまう距離感だった。
リタは普段、人との関わりに深く踏み込まないようにしている。
気にしすぎると、見たくないものまで見えてしまうからだ。
だからこそ、あえてぼんやりしていることもある。
けれど――今は、見えてしまった。
「ミハイルさまも来ているって、フローラ様から伺って」
「母から聞いていた。ローラもここに来ることがあると。たまには息抜きもいいだろう」
「ええ、ありがとうございます」
自然すぎる会話。
言葉を選んでいる様子もなく、迷いもない。
ふたりの間にある時間の長さを感じさせた。
リタは、声をかけるタイミングを失ったまま、その場に立っていた。
――あいさつ、したほうがいいよね。
そう思いながらも、一歩踏み出せない。
すると、ようやくローラの視線がこちらに向いた。
「……あら?」
「彼女は……?」
その問いに、館長が少しだけ表情を和らげる。
「ああ、ローラにも紹介したかった。彼女はリタ。俺の婚約者だ」
その言葉に、リタは慌てて立ち上がった。
「リタ・マーセルです」
ぎこちなく頭を下げる。
ローラはふわりと微笑んだ。
「あら、かわいらしい方」
「わたくしはローラ・マートンと申します」
(マートン……?)
一瞬、思考が止まる。
館長と同じ姓。
それに気づいたのは、リタだけではないはずなのに、誰もそれを気にした様子はなかった。
館長が淡々と続ける。
「ローラは、兄たちの嫁だった人だ」
兄“たち”。
その言葉に、リタの胸がわずかに引っかかった。
館長には兄が二人いた。
そして、ふたりとも亡くなっている。
――つまり。
「ミハエルさまから聞いたかしら?」
ローラが穏やかに話し始める。
「今はフローラ様が預かってくださっていて。少し気分転換にと、外に出していただいたの」
「五歳になる息子がいるの」
その言葉に、リタは小さく息をのんだ。
館長は頷き、自然な調子で会話を続ける。
甥の話。
成長のこと。
最近の出来事。
館長の表情は、いつもよりやわらかかった。
子どもの話をするときの、あの優しい目だ。
――知っている。
図書館で子どもたちと接するときの館長は、誰よりも穏やかだ。
不器用だけれど、ちゃんと向き合う人。
だから子どもたちにも好かれる。
その姿を、何度も見てきた。
けれど今は――
その優しさが、少しだけ遠く感じた。
そして、もうひとつ。
リタは、気づいてしまった。
ローラの視線。
それは、ただの義理の弟を見るものではない。
もっと、深い――
抑えきれない何かが、そこにあった。
(この人……)
たぶん、館長のことが好きだ。
そう思った瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
けれど、館長は気づいていないだろう。
彼はそういうところに鈍い。
……リタも、人のことは言えないけれど。
でも、わかってしまう。同じ気持ちだから。
ローラの視線が、一瞬こちらをかすめた。
――気づいている。
そう感じた。
お互いに、わかってしまった者同士の視線。
それ以上、言葉はいらなかった。
ふたりの会話は続いている。
リタは、その輪の外にいた。
椅子に腰を下ろし、冷めかけたココアを手に取る。
甘いはずなのに、少しだけ味がぼやけていた。
リタはそっと視線を外し、窓の外を見つめた。
現実から、少しだけ距離を置くように。




