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王立図書館長が突然辞職することになったのですが、なぜか部下の私に求婚してきました  作者: 杜咲凜
第一章 突然のプロポーズ

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11.リタ、式の打ち合わせをする

「あら、ぴったりだわ。でも、お袖はもう少し短い方がいいかしら」


 週末になると、リタは館長の実家へ通うようになっていた。


 理由は、挙式の支度。

 その日は、花嫁衣装の試着だった。


 義母になるオーロラは、この結婚に反対するどころか、むしろ楽しみにしているように見えた。

 率直に言って、ミハイルが結婚すること自体が想定外だったらしい。


 結婚してくれるだけで十分なくらい嬉しいのだと、オーロラは何度も口にした。


 試着の合間、お茶を飲みながら、リタは館長の幼い頃の話を少し聞くことになった。


「小さい頃から、変わった子だったのよ」


 オーロラは懐かしそうに微笑む。


「本ばかり読んでいて、人と群れることも少なくて。よく言えばこだわりが強いのだけれど、悪く言えば極端にマイペースで」


 たしかに、とリタは思った。

 館長は今も十分にマイペースだ。


「でも、不思議と友人には恵まれていたの。兄たちが家の期待を引き受けてくれていたから、ミハイルは自分の好きなことをして生きていくつもりでいたみたい」


 リタは鏡の前に立ったまま、針子が採寸する様子をじっと見ていた。


 試着しているのは、代々花嫁が袖を通してきたドレス。

 オーロラが嫁ぐときに、実家の両親が仕立ててくれたものだという。


 古びているわけではない。

 むしろ丁寧に保管されてきたことがよくわかる。


 ただ、今の流行とは違う。

 シルエットも、刺繍も、全体の印象も。


「このウエストの形はどうかしら。もう少し絞る方が今風かしらね」


 オーロラが楽しそうに針子へ問いかける。

 リタはされるがまま、姿勢を整えるだけだった。


 正直に言えば、ドレスに対して強い希望はなかった。

 いや、放棄したというよりは――

 誰かに決めてもらった方が楽だった。


 もともと、前世から結婚願望が強い方ではない。


 社会の流れとして、結婚した方が生きやすいのだろうとは感じていた。

 けれど、しなくてはいけないものだとも思っていなかった。


 前世の時代は、結婚しなくてもいいという空気が少しずつ強くなっていた。

 今の時代は前世より古い価値観が残っているが、それでも恋愛結婚は増えているし、独身のまま働く女性もいる。


 リタ自身は、どちらでもいいと思っていた。


 強い夢があるわけでもない。

 絶対にこうしたいという願望も、あまりない。


 前世の両親も、今の両親も、基本的にはリタの意思を尊重してくれた。

 だからリタは、良くも悪くも「平凡」に生きてきた。


 それで不満もなかった。

 好きな仕事をして、静かに暮らし、そして今は、結婚までできることになった。


 そう思えば、十分に恵まれている。

 だからこそ、ドレスについても強いこだわりは持てなかった。


 空想の中のお姫様は好きだ。

 でも、自分がそれになるかと言われると話は別だ。


「お願いがあるのよ、リタさん」


 最初にそう言われた時、オーロラは少しだけ遠慮がちだった。


「もしよかったら、わたくしのドレスを着てくれないかしら」


 その言葉を聞いて、リタはすぐに「お願いします」と頭を下げた。


 館長は最初、両親の干渉は必要ないと断ろうとした。

 けれど、オーロラがほんの少しだけ寂しそうな顔をしたのを見て、リタの方が先に受け入れてしまったのだ。


 それからというもの、館長は父親のリッカルドと領地の視察へ出ることが増え、家を空けることが多くなった。

 その間の式の支度は、リタが休みのたびにオーロラと進めることになった。


「このドレス、実はもうこのままでは着られないと思っていたのよ」


「そうなのですか?」


 リタは鏡越しにオーロラを見る。


「古いでしょう?今の流行とは違うもの。でも、この絹は特別なの。隣国の絹で仕立てたものなのよ」


 オーロラはドレスの裾をそっと撫でた。


「あの時代の絹は、本当に美しかったの。今は工業化が進んでしまって、手仕事の風合いが減ってしまったでしょう?庶民でも手に入りやすくなったのは良いことだけれど……少し、寂しいの」


「隣国の絹は、今でも高価だと聞きます」


「そうね。でも、やっぱり違うのよ。光沢も、色も、手触りも」


 そこでオーロラは少し笑った。


「あら、いやだわ。おばあさんみたいなことを言ってしまって」


 うふふ、と茶目っ気たっぷりに笑う。


 オーロラは貴婦人らしい気品をまとっているのに、どこか少女のような無邪気さも持っている。

 高貴な血筋に連なる人だと聞いていたが、たしかに少し浮世離れしているところもあった。


 けれど――


 それだけで生きてこられた人ではないのだろう。


「わたくしには、ミハイルのほかに二人息子がいたの」


 不意に、オーロラの声が静かになる。


 大きな鏡の向こう。

 向かいに置かれたソファへ腰掛け、手元を見つめる横顔。


「一人目は、結婚してすぐに亡くなってしまったの。ちょっとした風邪だと思っていたのに、仕事を優先して……気づいたときには、もう」


 リタは言葉を失った。


 オーロラは慰めを求めているわけではない。

 ただ、思い出をたどるように静かに話していた。


「二人目は、子どもが生まれたあとに肺炎で。最初は同じように、軽い風邪だと……」


 そこで言葉が途切れる。


 リタは何も言えなかった。


 きっと、今は言葉よりも、この人の話を受け止めることが大事なのだと思った。


「二人目の時は、このドレスを使わなかったの。事情があってね。だから、もうこのドレスに出番はないのだろうと思っていたのよ」


 オーロラは小さく息を吐いた。


「わたくしも、もう夢なんて見ない年になったと思っていたの。でもね」


 リタを見る。


 やさしく、まっすぐに。


「リタさんを見ていると、まだ生きなくてはって思えるの」


 リタの胸が静かに揺れた。


 オーロラは七十代のはずだ。

 でも、そんな年齢には見えないほど美しかった。


「リッカルド様は頑固なところがあるのだけれど、きっと理解してくださると思うの。ただ、少し時間がかかるかもしれなくて」


 そして、微笑む。


「わたくし、本当に嬉しいの。リタさんに来てもらえて。少しお節介な姑になるかもしれないけれど」


 その言葉に、リタも自然と笑っていた。


 採寸が終わり、二人でお茶を飲む時間。


 まだ少しだけ緊張はある。

 でも、それ以上に不思議な安心感があった。


 たしかに嫁姑問題は怖い。


 前世でも、今の世界でも、結婚にまつわる厄介ごとの代表格のように語られるものだ。

 戦争より根深い問題かもしれない、と誰かが冗談交じりに言っていたことさえある。


 でも。


 この人が館長の代わりにそばで助言してくれるのなら。

 結婚生活のなかで、きっと支えになってくれるのなら。


 仲良くなれたらいい。


 リタは、素直にそう思った。

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