第二王子の葛藤3
エリー・ハッシュトンへの疑念は、増していくばかりだった。そんななか、ついに彼女と遭遇する日が来たのだ。
それはある日の庭園、いつしか日課になっていた尾行を休み鍛錬していた帰りに起きた。
もしかしたら兄を騙す噂通りの悪女かもしれないという気持ちがあった状態での初対面。散々尾行して見ていたけれど、真正面に対峙するのは初めて。
実際に目の前で彼女を見ると、思っていた以上に綺麗だった。まるで月の浮かぶ夜空を思わせるような黒い髪と真っ赤に燃えるルビーのような瞳、少しだけ目尻の上がった眼から見つめられると、まるで何もかも見透かされているような気がしてしまう。白い肌に赤みが差した頬に小さな唇。あどけなさの中に潜む妖艶さ、けれど壮麗な美しさを醸しだしている。いっそ、怯むほどに。
この人が例の色々と難のある噂塗れの令嬢なのかと、視点が歪んでいくのは自分でも分かった。つい、剣のある態度が滲み出る。
「…兄さん。」
第一声で、兄さんが緊張感を持つのが分かった。彼女に対して、不当な態度に出ないか心配なのだろう。自分の意志で婚約したわけではないことに不快感を持っていると兄は思っている。あえて訂正するつもりはなかった。まだ彼女のほうの真意が分からないからだ。
「ユリアスか…。どうした、こんなところで」
「嫌だな、僕だって散歩くらいするよ。」
微笑んでいた彼女のほうが、心配そうに様子を見守っている。意図せず剣のある言い回しだったから、兄弟仲を危惧しているところだろう。忙しなく兄と僕を見比べている。やや考え込んだ様子を見せたあと、彼女はなぜか真っ白な顔色で僕を凝視している。
「あ、いや滅多に出ないから、悪気はない。」
彼女はその言葉で、僕を『外にはあまり出ない人』と受け取ったようだけれど、兄の言わんとすることは僕には分かった。
『「コソコソ尾行しているだけで」滅多に「自分たちの前」に出「てこ」ないから』と言っているのだ。
そうでなければ、部屋に突然やってくる弟を引きこもりのようには言わない。実際は剣や騎乗の練習もしているので、部屋に居続けることはない。そのことは兄さまも知っている。
…でも、彼女の誤解されるのはちょっとだけ心外…に思う。僕だって一応王子なのだ。
けれど、兄は変わっている。と、思う。
いつもはこそこそ尾行して盗み聞き上等の9歳弟と遭遇したことに、動揺しているなんて。
僕が言うのもおかしいけれど、尾行されているほうに動揺すべきことだと思う。
それに、妙な警戒心を兄から向けられることにも不愉快な自分がいた。自然と空気は寒々しいものになる。
彼女からの挨拶に、僕はどうでもいいことを指摘して不遜な物言いで彼女の評判を暗に匂わせるような反論をしてしまう。そのことについて、すぐさま兄からの非難が飛んできたが、それを止めたのは彼女だった。
彼女の前に出た兄の腕をやさしく掴み、彼女は静かな声で特に悪くもないのに、淑女らしい楚々とした一礼と共に謝罪を述べた。
その優雅な動きと共に、彼女の漆黒の髪がさらりと流れ光る。思わず見惚れていると、ゆっくりと礼を終えてまっすぐ向き合った瞬間、彼女は薔薇の花のような笑みを向けて来た。
一瞬、時が止まったかのように思えるほどに美しいと思った。
頬が熱いし、喉が詰まる。それを練習疲れのせいにして、仏頂面で居続ける。
けれど。
「それにしてもユリアス殿下…よほどお兄様のことをお好きなんですわね。きっと私がお兄様を独り占めにしているとやきもちを焼かれてしまっているように思えてなりませんわ。」
よりによって何を言い出すんだ?瞬時に兄を取り合う図が、脳内に展開されていく…。
確かに、そんなような気持ちがなかったわけじゃない。…だが尾行していたのは心配だったからであって、やきもちを焼くほど子供じゃない!と、思う。
「なっ!!・・・そんなわけっ」
だが、彼女はにやりと楽しそうに微笑んで、『答えの是非など関係ない。今、わたくしはあなたを揶揄っています。』とキラキラとした瞳で告げてくる。
良くも悪くも、誰にもそばに寄って来られることも、まして友人もいない僕が、…誰かに揶揄われる経験などあるはずもない。
彼女の瞳は悠然と揶揄いを告げていても、その中に侮辱や蔑視の影など一つもなかった。
驚くほど純粋なる揶揄いだけであることに、僕はなぜか嬉しいと思った。本来なら、立場から許されない所業であるというのに。
「分かりますわ。そんなお兄様のお相手が、大衆から嫌というほど醜聞を撒かれている女だともあれば、ユリアス殿下も心配になるのは当然ですものね。」
その彼女が、自身の悪評を自らの口で言葉にし、そんなことを言う。
「ぼ、僕がそんな、そんなことっ!」
罰が悪かった。
彼女は揶揄っているつもりかもしれないけれど、事実を言い当てていた。否、もしかしたら揶揄っている体で事実を突いているのかもしれない。
けれど、このとき僕はふと気づいてしまった。
――僕を中傷する人間と、同じことを僕はこの女性にしてしまった。
僕の乱れた内心など気にもせず、彼女は続けた。
「ですが、ご心配には及びませんわ。…レオン様が誰と結婚されようと、レオン様がユリアス殿下のお兄様であることに変わりはありませんもの。」
違和感のある言い回し、というより。
あえて『誰と』の部分をニュアンスを変えて強く発した。それではまるで、兄の婚約者は…未来の王妃は自分以外の誰かになる可能性を示唆しているようで。
「そ…それだと、貴女以外の女性との結婚も有り得るように聞こえる・・・。」
と、咄嗟に声に出してしまって僕は後悔した。
彼女の横にいた兄の表情が、見たこともないほどに歪んでいた。そこに浮かんでいたのは、怒り?悲しみ?…それとも、痛みだったのだろうか。
つとその瞳を彼女に向けて、何か言いたいことがあるかのように唇が震えている。
当たり前だった。散々見て来たのだ。
兄は本当に婚約者を好いている。彼女の横にいるときの兄さまは、良くも悪くも喜怒哀楽を持った少年の顔をしているのだ。楽しいときは、本当に楽しそうに笑っている。彼女のことを揶揄って彼女の反応を見て喜んでいるときも、彼女がふと遠くを見やる時の眼差しを見守る優しい眼差しも。
…今のように、感情をはっきりと表情で見せることなんて一度もなかった。
彼女は兄の様子に気づくことなく話しを続けて、僕は結局「子供なんですもの、うふふ。」で怒って帰った。
実際は怒ってなどいない。
その瞳に嫌悪も侮蔑も見下した色もないのは、兄さま以外で初めてのひと。
だけど、兄さまのあの表情を見てしまってからは一段とあの場から離れたかった。
僕のなかに、感じたことのない気持ちが芽生えそうで、それすら恐いと思った。
だから、嫌いだ。
彼女が示唆した別の未来。もし、彼女が兄を裏切るつもりで放っていたのなら、不敬罪に値する。けれど、自分で言っておいて。
「…なんで、自分で言っておいて悲しそうなんだよ。…馬鹿じゃないの?」
彼女の表情に浮かんでいたのは、紛れもなく別の未来への悲しみ。まだ見ぬ未来ですら、そんな表情にさせるほどなのに、どうして簡単に口にできるのだ。
走っても走っても、あの人の燃えるような輝く赤い瞳と、月の光を浴びたような黒髪が脳裏にちらついた。
エリー・ハッシュトンの元気な姿を見たのは、このときだけ。
原因不明の熱のために城で静養している彼女に見舞いにいく道中、僕の存在に気づいていない使用人が陰口を叩いているのを耳にして、少し苛立っていた。
病気をうつしてしまう心配をした彼女に、投げやりな言葉を零していた。
「僕は第二王子だ。その身に何かあったら大変なのは兄さんのほうだ。僕は、代用品スペアとしているだけなんだから。」
誰にも言うつもりのなかった言葉が口から流れ出て、それが少し、僕を動揺させた。
誰に言われたのかと気にしていたエリー・ハッシュトンは、その問いを飲みこんで、決してそんなことはないと真っ直ぐな瞳で励まそうとしていた。調子が悪いはずの彼女が。
紅茶を飲みながら、どこか遠くを悲し気に見つめ紡いだ言葉は、僕を想ってのものばかりで、胸が詰まった。
これでは見舞いではなく、愚痴りにきただけだ。
本当に子どものようではないか。
事実、子供ではあるけれど、第二王子という立場とそれに足る信頼が欲しいばかりに、気持ちばかりが急くのはどうしようもできなかった。
焦れば焦るほど、一人になっていくようだった。
この頃、母はやはり閉じこもり僕にも会ってくれなくなったままだったから。
彼女への疑念など、とうに霧散していた。彼女という存在を認めまいとする気持ちが鈍らせていただけで、本当は分かっていたのかもしれない。
目の前で意識を失っていく姿を見て、それからすぐに僕は薬師官のもとへ行き直談判の末、貴重な薬草を分けてもらい彼女の侍女に渡した。目が覚めたら飲ませてほしいと。
月渡りの草とも呼ばれる霊力の優れた薬草は、どんな病にも万能とされる貴重なものだ。それゆえ治験段階でもあるのだが、発見されてから数年、未だ量産ができない貴重な代物であるがために研究が進んでいない。
それを『第一王子の婚約者』であり『あのエリー・ハッシュトン』のためだとダメ押しで名を出したところ、震える手で渡してくれたのだ。
その時、「レオン殿下にはくれぐれもご内密に……。」と言っていたので、どうにも恐い想いをしたらしい。兄はなかなか嫉妬深い。
彼女は医師がきちんと診ているが、この薬草があまりに貴重なために使われないであろうことは見越していた。
原因不明だと言うことで、薬も使われていない。
なのに、意識を飛ばしてしまうほどに具合が悪いのに、彼女は僕を励まそうとしてくれた。
あとで、怒られても構わない。彼女の専属医にも伝え、意識が戻ったらこの薬草の使用を認めてもらった。何が起こるか分からないことから、あまり良い顔はしなかったが。
はやく元気になってほしい。どうしてこうも、必死になるのか分からないけれど、真っ直ぐに向き合ってくれる人を失いたくはない。
月渡りの草――別名『時の女神』…月は太陽の対照にありながら満ち欠けを繰り返す『循環や周期、時のサイクル』の象徴。この薬草は病に侵された身体の細胞を『巻き戻し』、体力を復元したと同時に病の種を打ち消す。とされるものだ。普通なら、薬と魔法で『早送り』して病の種の威力が失われていくのを待つしかない。自然治癒力の向上を目的にしている治療が一般的ななかでの巻き戻しは、不可思議な現象と同じ。
もちろん、肉体年齢が若返るわけじゃない。それだけは実験で分かっている。
どうか、これで治ってほしい。そうすれば、また笑顔が見れるかもしれない。
そんな気持ちで廊下を歩いていたときだった。
兄から珍しく声を掛けられた。
「…ユリアス、あの薬草をどうして彼女に持って行ったんだ?」
その瞳は踏みするかのように見据えていて、僕は内心で苛立った。
「兄さんの婚約者が目の前で意識を失ったのです。僕に出来る最大限のことを、と思っただけです。」
けれど兄はその答えでは満足はしていなかった。
「…だが、あれは相当に貴重なもの。本来なら俺が手配すべきものだ。陛下にお許しは得たのか?」
「……いいえ。」
「今回はエリーのためだ、陛下もお許し下さるかもしれないが、今度から勝手なことはするな。」
「はい、申し訳ございません。」
「………それに、お前とエリーの仲を疑う者も出てくるかもしれないのだから。」
それは兄さんではないのか、そう口が滑りそうになって口を噤む。
兄のいう事は正しい。けれど、腹立たしいとも思った。
どうしてか、兄のことが妬ましい。理由は分からない。なのに、胸が苦しい。
そんな奔走を繰り広げている間に、母が昏睡状態に陥っているなんて、思いもしなかった。
それが罪を犯した故の昏睡だと知るのは、そう時間はかからなかった。
そして、エリー・ハッシュトンが兄の目の前で消えるなんて、思ってもいなかったんだ。
いつの間にか、兄さま呼びから兄さん呼びに成長(?)していたユリアス殿下。




