第二王子ユリアスの葛藤1
僕が生まれた時、母は側室の女性に宛がわれる側妃塔にいた。
でも、そこは決して暮らしやすいところではなくなっていたのだ。長らく側妃を持たない王の治世が続き、塔は封鎖され王族による一夫多妻制も封じられていた。法で禁じられなかったのは、もしもの場合の跡継ぎを産ませるため他の女性を宛がう必要があると側近や大臣たちに断固反対された結果だ。
ほとんど誰の手入れもなされないような寂れた外観の塔の階段を昇り、それぞれの部屋が用意されていた。母は一番広い最上階、僕はその下の階の一回り小さい部屋を。
どの部屋も、やはり王室のイメージを覆すような殺風景な物で、必要最低限の家財のみが置かれ隙間風が吹きすさび、夏でも夜は寒い想いをする。
見た目も内情も、まるで牢獄のような塔に、母と二人。たまにやってくる使用人に面倒くさそうに周りのことをしてもらいながら暮らす。僕が産まれる前は、使用人もほとんど来なくて母は自分でなんとかして暮らしていたんだそう。
妾姫だとか、王妃さまの代用品だとか、その子供が第二王子だなんておこがましい、親が親なら子も子で厚かましいわね、そんな罵詈雑言が僕たち親子に圧し掛かっていた。
悲しいとか、苦しいとか、そんな感情を知るのは、その言葉よりも自分たちに向けられる蔑んだ目や態度のほうだった。
ときに、花には毒を、茶には虫を、寝所には泥を、肌着に針を仕込まれていた。でも、耐えるしかなかった。滅多に会えない父に言っても、何も助けてはくれない。些末なことなど放って置け、その言葉は『つまらないことをするな。』という言外の意味に、城内の者はそれでも王が妃のもとへ向かわないことを理由に『なにをしても王は怒らない。今の王妃には何をしてもいいのだ。』と受け取ったようだった。
誰を信じていいのか、分からない。そんな不安はいつでも足元を巣食うようだった。
母は、微笑んでいた。知らないどこかで泣いていたのかもしれないが、いつでも微笑んでいた。
今思えば、恐いくらいに。
それでも母は優しかったし、酷い言葉の羅列に僕が怒っても、許しておやりと頭を撫でてくれる。そに手は温かかったし、気持ちも和らいでいく。
でも、どうしてだろう。母が優しい言葉で、温かな眼差しで僕を見るたびに、僕は「母が死んでいく」ような錯覚に陥っていった。
だから、どうにかして繋ぎ止めたくて、本当は好きだと思っていた兄を拒んだ。母が望まないから。
母は言った。
「前王妃様は私たちのことがお嫌いだったの。でも、それは責められたことではないの。女性として、王妃としての立場がおありだったから。レオン殿下もきっと、本音がおありでしょうけど、我慢してあなたの面倒を見て下さってるだけ。…だからね、私たちのほうが避けてさしあげればいいの。それがきっとあの方のためにもなるし、私たちのためにもなるわ。いい?母の言うことが聞けますか?」
兄と剣術の習い事をともにした後のことだった。師匠が帰り、自由時間になっても兄と二人で稽古をした日。でも、母のいる塔に帰り……僕は母に冷たい目を向けられていた。
「……はい、母上。僕…兄さまとお話ししません。」
その時、心底嬉しそうに微笑んだ母の表情に、一瞬。
歪な影を見たような気がした。
苛烈さを増していく嫌がらせ。どこか焦点の定まらない笑みが剥がれない母。故意に避けようとするたび、悲しそうな顔の兄。母を悲しませたくない、その気持ちに相反するように息が詰まるようになった。
ある日、耐えられなくなった僕は。
兄の部屋に押しかけた。
驚いた顔を見たのは初めてだった。兄の部屋を見るのも初めてだった。
兄の前で泣くのも、初めてだった。
「なにをそう背負い込んだか知らないが、俺が一緒に持ってやる。一人で泣くな。」
そう言って背を撫でてくれた兄に救われたと同時に、僕は母との約束を破った罪悪感に喉が詰まる。
「母上と約束した…。兄さまと喋らないって…、やく…そく、した、の、に。」
それだけで、兄は状況を悟ったらしい。
「そうか。…だから突然。……ユリアス、俺はユリアスを嫌だと思ったこともない。ユリアスは俺の大事な弟で、俺はユリアスの兄だ。俺とどう接するかは、ユリアスが決めれば良い。俺はそれを受け入れる。」
そこから僕は、兄を探しては偶然を装って兄と喋った。
自分の味方が一人でもいるのだと、そのときだけでも思えたから。
母は多分、気づいていた。自分との約束を守っていないことを。
「…母との約束、覚えていますね?」
そう、顔を合わせるたびに問いかけられて、僕は小さく頷いて、ひどく罪悪感に苦しむ。
まるで僕までも母を苦しめる駒になったような気分だったのだ。
母は貴族の生まれでもないのに、貴族にのし上がって来た下賤の血だと、みんないつも言う。
だから僕にも、その血が流れている笑って言う。
僕を見下さないのは、兄さまだけ。
兄さまの母であり、前王妃のエレンさまのことはよく分からない。兄さまが4歳、僕が2歳のときに亡くなったから。その一年後、母が王妃の座に配されたことで、それまで住んでいた塔から王城内の一角が与えられるようになった。
後で知ったこと。
与えられた一角は、王妃が座する者に与えられる部屋ではなかった。それは母はあくまでも側妃であって建前上の正妃に過ぎないと王が暗に示しているのであろうと王城内では暗黙の了解になっていたのだ。
それもまた、王妃への嫌がらせを肯定する理由に使われていた。
そうして時は残酷な痛みを残しながら過ぎていく。
何も変えられず、目を、耳を塞いで。
兄とも、付かず離れず、微妙な距離で、僕は意地を張っていた。
使用人の陰口をどこかで信じたからだ。
『第二王子は殿下のスペアでしかないわね。』
『ああ、それ以外に価値はないだろ。』
そして嘲笑を込めた声で続ける。
『あの母から生まれただけでも、十分に薄汚いというのに…。陛下の代わりなんて、できるものかしら』
『代用品から代用品が産まれただけだからな。』
知らず駆けだした足がもつれて、転ぶ。それでも、また立ち上がって駆けて、傷を負った足の痛みも感じなかった。湯あみのときに気づいた侍女が面倒そうに薬を塗っているのをぼんやりと見ていた。
――…耳鳴りがする。
辛くてたまらなかった。だからといって、そう言った相手をどうすることもできずに、ただ震えているだけで。
だから、彼らの言っていることはすべて本当のことだと思い込むことにした。
そうすれば、皆を嫌いにならずに済む。そうすれば、僕に価値がないのは僕のせいだと思える。それなら、僕が頑張ればなんとかなるかもしれない。
なんの慰めにもならない自己暗示は、僕をどこか偏屈にしていくようだった。
そんなある日、兄さまの婚約者を選定すること決まった。
どこから嗅ぎつけたのか、また正式に発表されてもいないのに王城内はそわそわと忙しなくなり、ぜひ我が娘をと目の色を変えた貴族たちが、こぞって謁見を申し出るようになった。その目は、策に塗れ欲に燃えているようで、互いに牽制しあい、足を引っ張り合う様に辟易とした気持ちになった。
けれど父は、一貫として「焦らずともこちらで選定する。」と言い続けた。
これもまた後になって知ったこと。
もうとっくに兄さまの婚約者になる人は決まっていたのだ。ずっと昔から。…兄さまが産まれる前から。
「兄さまはそれで本当にいいのですか?すべて父様が勝手に決めてしまうなんて、酷いとは思わないのですか?僕は嫌です。どうして、兄さまは何も言わないのです。」
「しっ。言葉には気を付けなさい。……俺だって、自分で探して決めたいさ。心から良いと思える女性と、という望みは確かにある。でも、それでは一国の王子としての責務は果たせない。父上に任せるよ。」
諦めたような、やるせない兄の顔。
けれど、それが王の子としての義務であり、責任なのだと雄弁に語る真っ直ぐな瞳。
「意向が決まり次第、俺もその人を探るつもりだし、まあなんとかなるさ。俺の鳥は自由で有能だから。」
兄さまは自分の専属諜報員を鳥と呼ぶ。自身でも信頼に足る女性なのか調べると言うのだから、きっと心配はないのだろう。
けれど、どうにも納得いかなくて、僕は少し腹が立った。
そんな僕が一番に驚いたのは、兄の婚約者になる女性が誰なのか分かった日だ。
貴族も庶民も老いも若きも、まことしやかに囁きあう――……
幼少にして悪い噂しか持ち上がらない稀有なる性悪少女『エリー・ハッシュトン』
侯爵家のただ一人の毒花姫、その人だったから。




