薄幸令嬢、絵梨の過去へ誘われる。
ジュリアンがエリーの寝室に飛び込んで来た時、レオンは彼女が消えたベッドに拳を突きつけ項垂れていた。
日頃の運動不足が祟った体で走ったせいで息を切らしたジュリアンが、枯れた声でレオンに問う。
「…彼女、は。エリー君はどうした。」
レオンは項垂れたまま、小刻みに揺れる声を絞る。
「…突然、消えた。私の…目の前でっ」
レオンとは反対側のベッドサイドに立ちつくし、声もなく号泣しているマリーにジュリアンは魔法椅子を出し、座るように促す。
「君、座りなさい。フラフラしている。」
だがマリーの耳には届いていないのか、ピクリとも動かない。
仕方なくジュリアンは彼女のそばに寄り、マリーの肩に手を添えてゆっくりと座らせた。
「……なぜだ。まだ猶予はあるんじゃなかったのか。」
レオンの怒りに満ちた声を受けたジュリアンの胸には痞えるものが生まれた。
後悔、いや…己の未熟さへの怒り。
「そのはずだった。…事態が急変したのだ。」
「急変したと言えば、済むと思っているのか。」
ジュリアンは返す言葉を見つけられず、声を呑みこむ。
今、どんな理由を口にしたところでレオンの慰めにはなり得ない。慕う者が目の前で消えていくのを成す術無く見届けなくてはならなかったのだ。心情など、誰も理解できはしない。
そこに、廊下を激しい足音を鳴らしながら走ってくる者がこの部屋の前で止まった。
挨拶もなく扉を躊躇なく勢いよく開けると、ガタイの良い男と、優男がキラキラの衣装を煌めかせた二人が入って来た。
「お嬢ちゃんは無事か!」
「エリー嬢は!」
入るなり室内を見渡すとレオンとジュリアン、そして泣きじゃくるマリーの様子、そしているはずのベッドの上には誰もいないところから二人は異常事態を察した。
「…一応聞くけど、エリー嬢はどうしたのかな?」
と、ユーリが声を掛けると、ジュリアンが珍しく取り乱した様子で言った。
「消えたのだ。レオン王子の前から、…身体ごと。」
その言葉に二人は愕然とした。それもそのはずだった。
この続く歴史の中で、呪われていた少女が突然と肉体もろとも姿を消すなど、例にない。
絶句するなか、アルトはレオン王子に経緯を説明すべく口を開く。
「王妃は、…昏睡状態に陥られた。一時的なものではあるが、目が覚めたら身体はリリー王妃でも中身は化け物が巣食う状態にまで侵されているだろう。」
レオンは虚ろなまま、「そうか」とだけ呟いた。彼にとっては、正直なところリリー王妃の容体よりも、目の前で起きたことへの答えと、エリーのことだけが気がかりだったのだ。
「だが、何故だ。王妃の急な変調から呪いに喰われ始めたことは推測できた。お嬢ちゃんにも何かあるかもしれないと駆けつけたというのに、何故お嬢ちゃんが肉体ごと姿を消すというのだ。」
アルトの疑問に、ジュリアンが僅かに憤りを感じざるを得なかった。
「そんなもの、知っていたら苦労するか!」
長年、王室に仕え魔法使いとして尽力して来た。王城に保管された貴重な書物を読み漁り、あますことなく知識を得ようと切磋琢磨していたはずだ。
儀式への準備も滞りなく、リリー王妃に異変もない。
リリー王妃とエリーの様子を魔法石に映し、確認しながら予測していた。
いままで、予測が外れたことなどなかった。
だが、どうしてこうも例外ばかりが続く?
エリーという女の子は一体何者なのだ。
だが、それならリリー王妃にも言える。
リリー王妃には魔力はないとされていた。
だから効力としては弱いものしか発動できないだろうと読んでいた。
憎しみの心や恨みを抱く理由が、現時点でリリー王妃とエリーの間に接点がない以上推測すら難しかったからだ。
ならば、効力の最大限を捻じ曲げるほどにまでにエリーを恨んでいたことになる。何故?
齢11歳の少女。はるかに年の離れた一国の王妃である女性が、なぜそのような少女を憎む必要があるというのか。
そしてエリー。
彼女は貴族令嬢として育ち、何やら本人の与り知らぬところで不穏な噂や陰口を叩かれる稀有な「火のないところに煙が立つ」人間であることは見聞きしている。それもまた不可解なほどに。
しかし、呪われた側のエリーは王妃の昏睡状態と同時に眠り続けることになるはずだった。
だから一刻も早く片を付けなければならないとエリーのもとに駆けつけたのだ。
なのに、彼女が姿を消した。どこへ消えたというのだ。
王妃はまだ眠り続けている。死んではいない。そうだとしたら、エリーもまた死んではいないはずなのだ。
ふとジュリアンの脳裏に国王陛下の後ろ姿が過る。
『ジュリアン…彼女たちを…、我が妻を助けてくれ。』
『しかし、国王陛下。すでに王妃殿下には魔の手が巣食い始めておられる。』
『分かっている。…私は、愚かなのだ。恐ろしく、が付くほどの愚か者だ。…エリーのことは必ず助けよ。そして、できる限り、リリーのことも救う道を探してくれ。…頼む。』
ジュリアンは切り捨てることができず、黙って首を垂れた。
書斎にこもり、必死に考えた結果、不毛な石探しを提案したのだ。それしか道がなかった。
何が起こるかも分からない、だが藁をも縋る想いだった。他の者もそれを知っているからか、石探しに異論を口にするものはいなかった。けれど神託をもってしても難航を極め、結局なんらかの策があるというレオン王子に託すことになったのだが。
このままでは、二人とも最悪な結末を迎えることになる。
どうにかして、エリーの居場所を突き止めなければ……。
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エリーにとって重大にして最も危険な賭けである「好き」という告白が叶わなかったショックもあるが、何故か今度は「エリーとしての意識があるが、生きているのか死んでいるのか」…それすら曖昧な世界に立っていることに、少なからず心細さに参ってしまいそうだった。
会いたい人の顔を思い浮かべるだけで、鼻がツンとする。
スンと鼻を鳴らしながらエリーは夏鈴が作った朝食を無意識にたいらげ、牛乳を一気に飲み込んだ。
だから驚いた顔をした夏鈴に気づけなかった。
「……絵梨ちゃん、そろそろ行く?学校…。」
「う、うん。そうね。」
あれよこれよと母のように荷物を手渡してくれる夏鈴に助けられ、手荷物を不備なく用意できたが次の試練が待ち受けていることにエリーは狼狽えた。
『学校』とは。絵梨はそこで何を学んでいる最中なのか。まったくついていける気がしない。
だが、何かかにかそこにもヒントがあるかもしれないのだ。だがエリーにとっては幸子の記憶から、あまり良い場所には思えなかった。
さっと顔色を変えていた絵梨の様子に気が付いた夏鈴は、絵梨の肩に手を置き心配そうに顔を覗き込んだ。
「絵梨ちゃん、なんだか顔色が悪いわ。大丈夫?具合が悪いの?今日、様子がおかしいもの。」
ぎくりと身を固くしたエリーは、咄嗟に夏鈴の顔を見返した。
彼女の真剣な瞳にかち合ったとき、エリーは妙な錯覚を覚えた。
――どうして、彼女がここにいるのだろう?だって、彼女は……。
「絵梨ちゃん?」
その一瞬の疑問がエリーに強い違和感を与えた。先程まではキャサリンに似ているという印象でしかなったのに、私ではない誰かが私の中で疑念の声を囁いたように思えたのだ。
もちろん、エリーの世界のキャサリンがここに現れたとなれば、この言葉はなんら不思議なことではない。
だが、違う。
エリーの中で過る言葉も感情もエリーのものではなかった。
夏鈴を見つめ、そこにいる彼女を見つめた時の動揺と…。
『悲しみ』
それが、何を意味しているのかは分からない。でも、決して良い事ではないのは確かなのだ。
ぐらりと身体がよろめき、視野が暗くなる。ふらついた足はかくんと力を失って、支えを失った人形のように身体が倒れていく。
「絵梨ちゃんっ…!」
夏鈴の鈴の音のような声を最後に、エリーの意識は暗転していった。
――…これは悪い夢だと思えたら、どれほどいいだろう。そうは思わないか?
誰かのささやくような声が耳に届くと、胸を焦がすような感覚が襲う。手を伸ばせば何か大切なものに届くのに、その手が動かせないような焦りと、勝手に広がる甘苦い余韻。泣きたくなるような衝動。
突き動かされるように瞼を開けると、そこは果てのない暗闇に光り輝くシャボン玉が散らばっていた。
その無数のシャボン玉には、元のエリーの世界を切り取った映像を映して漂っている。
走馬灯のように今まであったことが映されていると同時に、中には見たことのない映像もどこかしかに散らばっている。未来なのか、過去なのか、それともどこか違う世界の私なのか。
そのいくつかのシャボン玉の中に、ひと際輝くものがあった。
吸い込まれるようにフラフラと近寄ると、そこに映るのはエリーにとって最も恋しい人の姿。
レオン。
心の中でエリーは何度もその名を呟く。
映像の彼は、悲愴なほどに顔色を悪くさせ、何かを探しているようだった。
一体、どうしたの?どうして、それほどまでに苦しんでいるの?
私が知らない、あの人の姿。
エリーはレオンの様子にひととき見入っていた。いつもならこれほどずっと見つめることなど叶わない。
触れれば弾けて消えてしまいそうなシャボン玉だ。息すら止めて見入る。
すると彼はどこかに視線を向け、期待に満ちた瞳は何かを請うているように輝いた。
徐々にレオンに近づいてくる誰かに、更に近寄ろうと彼は駆けだした。遠ざかっていくレオンの背中。
あの人は、誰?
目を凝らしてもぼんやりとしか見えない「誰か」の姿に、エリーは既視感を覚えた。
あの人は…そう。
あの人はきっと…――
何かに手が届きそうになったとき、漂っていたシャボン玉が弾けた。
瞬きほどの闇を挟み、一瞬にして新しいシャボン玉が現れてふわふわと飛ぶ。
そこには、『絵梨』の世界が描かれている。
だが、さきほどまでのように映像が流れているわけではなく、写真のように一コマが映されているだけ。
戸惑っていると、右斜め向こう側に強い光を感じた。
釣られるように目を向けると、ひとつのシャボン玉が発光している。
恐る恐る近寄ると、段ボールを開き微笑んでいる絵梨の姿の写真が映されている。
ふわりふわりと誘うように弾むシャボンが、エリーの鼻先まで飛んでくると、パチリと弾けた。
瞬間…――
エリーは先程まで立っていた絵梨の部屋の隅に立ち『絵梨』の様子を傍観していた。
「ね、絵梨ちゃんこの荷物こっちでいい?」
「ええ!ありがとう、夏鈴。でも、時間は大丈夫なの?」
「大丈夫、それにしても絵梨ちゃんの婚約者、太っ腹で良かったわよね。結婚の延期だけじゃなくて夢の応援までしてくれるなんて。」
「ええ、そうね。」
積まれた段ボールを開け、棚の中に収納している彼女たちはどこか楽しそうだった。
特に絵梨の瞳は期待と希望で輝いている、と言っても過言ではないほどに喜びをあらわにしている。
「でも、甘えたっきりじゃだめよね。しっかりしないと…。」
「いいじゃない、将来は結婚するんでしょう?」
絶えず手を動かしながら絵梨は、わずかに微笑みを浮かべながら想い返している。
その瞬間、絵梨の頭上にピカリと光る雲が浮かんだ。その雲がほわほわと上下しながらエリーの前まで飛んできた。
驚きながらもその雲に惹きつけられるように手を伸ばす。
どんな感触がするのか、触れるのか…好奇心もあった。
――ピコンッ
という音が鳴ったのは、その雲に触れた瞬間だった。
目の前の景色が、一瞬で場面が切り替わる。
絵梨の部屋から、突如として豪華な調度品が並ぶ煌びやかな一室。
天井は高く、シャンデリアがぶら下がり、敷き詰められた絨毯は一目で超高級品だと分かる。
そこに中年の男女が入って来た。男性は歩き方から威圧的で、女性のほうは目の前の男に怯えているかのような仕草が滲んで見える。
勇気を持って口にしたらしい女性の言葉を男性はすげなく冷たい言葉で叩きつけた。
『あなた、あの子にも息抜きくらい必要ですわ。あのくらい、大目に見てあげても…』
『誰に意見している。アレの処遇を決めるのは私だ。おまえは黙って私に従っていればいいんだ。この私が、お前らを面倒見てやってるというのに。』
『で、でも……』
『くどい!』
と男が怒鳴ると、女はビクリと身体を震わせて口を閉ざした。
彼女の目には怯えが広がっていく。
男の様子にはやや暴力的な雰囲気を醸し出していて、尊大で横柄さよりもそういったことのほうが女性を怯えさせているのだろう。もしかしたら、被害も受けているのかもしれない。
それでも二人は夫婦なのだろう。
少しの間を置き、彼女の瞳が暗い闇に染まると同時に部屋にお仕着せ姿の女性が現れ『お嬢さまが参りました。』と言った。
すると『入れ。』という男の声に女中は頭を下げ扉を支えながら移動すると、綺麗な衣服に身を包んだ絵梨が楚々と入って来た。
強い風がエリーの身体を取り巻き光が包む。その瞬間エリーの中で絵梨の声や感情が手に取るように伝わって来た。
今、エリーの中で渦巻く怒りと不安は絵梨のもの。
音声もクリアに聞こえて来た。
「お呼びでしょうか、お父様。」
と言うと、男はフンと鼻を鳴らし、お父様と呼ばれること自体が不快でならないかのように顔をしかめた。
「座れ。」
と命令しつつ、男は煙管に詰めたたばこに点火し、吸い出した。あたりに煙を吐き出しながら、絵梨を見る目は娘を見る父のそれとは言い難い、冷たく残忍な色を帯びていた。
幸子時代では良く見たそれにエリーは寒気を覚える。遠いはずの過去の記憶で、無機質の瞳が憎しみに歪んだ眼差しで自分のすべてを見張っているように思えた。
苦しく歪な世界に落として笑ってやりたいとでも言うような目つき。
実の子に愛情を持てない人間というものは、必ずいるのだ。だからどれほど苦悩しようと、親を愛することができないことだってある。また相反するように、どれほど親が愛情を注ごうと、気づくことなく憎み親を苦しませることだけを考えているような子も世の中にはいて、何が正しいかなんて誰にも分からない。
結局人は、どう育てられたかで決まる人もいれば、どう育てれようと自分像は自分で決める人もいるのだ。
厄介なことに弱い者を苛める者というのは、周囲の他人――特に自分に都合の良い人間――に対しては素晴らしい人間を演じていても、対象外の人間のことは床を這う害虫のように扱っていることだって、あるのだ。
…決して、誰も信じてくれない世界で一人きりの孤独を幸子は感じていた。
用意周到な親の策略は、見事に他人を信じ込ませて娘のSOSは足蹴にされてきた。声が届かない恐怖。
何度も聞いた言葉は『親不孝者。おまえみたいな娘が生まれたせいで、どれほどお前の親が苦しんでいるか分かってるのか。この期に及んで親の悪口を言うとは見苦しい子だ。』
なかでも母のいう事を信じる者が多かった。
…幸子はそのなかで生きていた。何も悪い事などしていない、ただそこに生きているだけで罪人のようだった。
今までより強く幸子の感情が蘇ると、エリーは思わず腕をさすり、自らを抱きしめるように腕に組む。
絵梨が両親と対する椅子に腰かけると、早速のように口火を切ったのは母親のほうだった。
先程の様子からは打って変わって厳しい物言いと蔑む目つき。
「あなたがネット上でくだらない妄想を書いていることは分かっていますよ。人に知られる前に、そのような恥さらしはおやめなさい。」
絵梨の表情が氷つく。
にやりと笑う男の口端から煙が漏れた。
自分の言いなりに動いた妻の言動、絵梨の表情の変化に悦に浸っているようだ。
「まったく、これほど金をかけて磨いてやったというのにこんな出来損ないとは…がっかりだ。どうやったらこんなのが出来上がるものか。君のせいかな?」と、妻を見やりつつ、絵梨に視線を戻す。「…それでも女というだけで家の役に立てるのだ。こんなのを嫁として送るなど、いい面汚しだが奴らが欲しいのは私の権力。お前の出来など気にもしまいさ。」
絵梨の顔色がみるみると青く染まっていく。
「嫁として送るとは、どういうことですかお父様!そんな話、私は聞いていません!」
「親に向かってなんだ、その口の利き方は。…お前には、いい貰い手を見繕っておいてやったんだ。ありがたく思えよ。相手は貿易会社社長の御曹司。まあ、うちから比べてしまえば格下の部類だが、お前くらいの娘なら、その程度の男で十分だろう。もっと器量良しの頭の良い娘なら、最上の器を狙えたものを…この程度で我慢してやるんだからな。」
そして手にしていたブランデーを口に含むと、男は下卑た笑みを浮かべて笑っていた。
「そうですよ、お父様の言う通りになさい。頭の出来がよろしくなかったものの務めです。」
ドクンと跳ねた心臓は、絵梨の心だろう。
――母は父の言いなり。
絵梨には分かっていたのだ。
…――蓮田家は今、没落寸前だということを。
なぜ助けられなければ存続すら難しい状況に陥りながら、相手を貶めるような発言ができるのか。
いや、父は現状を認めていないのだ。娘をどこかの富裕層に捧げた所で根本的な部分が変わらなければ、何も解決はしないということ。
その性格が現状を創り上げたことに、父自身まるで気づいていないことが口惜しいが…こういう人間は「自身の欠点やミス」など心にも存在しないのだ。どこかで諦めるしかない。
自分の苦労も失敗もすべては他人のせいなのだから。
そんな人がトップのこの家に、誰が手を差し伸べてくれるだろう?
鼻持ちならない尊大なプライドの高さによって能力以上の事業拡大を図り築き上げていた財産と、先祖一族代々守っていた人脈を自らの愚策で色々な物を失いつつある父は、娘をとうとう人身御供のように差し出し、政略結婚を取り付けた。でも…どうやって?
両親が言うように、自分は確かに聡明でもなく器量良しとも言えない。
日本人離れした顔立ちは一見華やかなように見えるが、性格の悪い魔女のようだと言う人もいた。
自分の釣書を勝手に作って見せたなのなら、相手も器量の良し悪しで了承したわけではあるまい。
「それも榮田貿易の御曹司ですからね。これ以上の話しはもうないかもしれないのよ。だからそれまでに、その恥ずかしい妄想小説を消して身を正しなさい。」
榮田。
その名前は高校生である絵梨も聞いた事がある。
榮田貿易は日本の貿易の頂点に君臨した絶対的な立ち位置にいるのだ。輸入輸出のほとんどは榮田貿易が担っていると言っても過言ではない。
財閥として歴史を持ち代々からの系譜を受け継ぐ由緒正しい血筋だと威張り、榮田貿易を成り上がりと罵ったところで畑が違えど彼らはその道の超エリートだ。
榮田貿易の御曹司との婚約は母の言う通りこれ以上の話しは今後ないだろうなと思わせるほどのところだが、だからこそ何故という疑問しかない。いったい、何が目的なのか。蓮田家にそれほど欲しいものがあるというのだろうか。
こんな没落寸前の財閥の娘と婚姻を結んだところでメリットは低いのではないのだろうか。
絵梨は怖くなってきた。まるで大きなブラックホールの中に投げ込まれるような心地に心もとなくなったのだ。
自分が考えたところで、何も分かるはずもない。何かできるわけでもないのに。
エリーは溜息をこぼした。あるあるな話しではあるが、こういったことは何度耳にしても気分の良いものではない。
だがエリーの中では政略結婚や相手側が同意に至った理由そのものより、絵梨の両親の態度のほうがよほど気になった。幸子の過去のせいもあるかもしれないが、なにかもっと仄暗いものを感じずにはいられないのだ。
それほどまでに、憎しみが渦巻く瞳で絵梨を見ていたのだ。
苦し気に顔を歪める娘を見て、心底楽しそうにしている親というものを見るのはもう二度とごめんだったのに。もう、二度と…。
薄情なのかなんなのか、でも仲の良い両親。
贈り物に微笑むレオン。
いつも一緒のマリー。
美しいキャサリンと付き人のようなマイク。
家族思いなユリアス。
似た境遇のダンテ。
熱烈一途なハリソン。
呪いのために奔走しているジュリアン、ユーリ、アルト。
エリーの頬を涙が伝っていた。
――…帰りたい。
けれど、エリーの願いはいくら涙が零れ落ちようと、その身を彼らのもとへと導いてはくれなかった。




