薄幸令嬢の困惑と、お見舞いに来たあの人。
次の日。エリーがこの城に来てから5日目になった。
カーテンは開けられ、新しい日の始まりを告げる朝陽が差し込んでいる。
意外なほどに冷静な(ように見える)エリーは、赤い瞳の下にうっすらとクマを飼いつつ光に誘わるように窓辺に立っていた。
小鳥が飛び交い鳴き声を響かせ、ハッシュトン邸とはまるで違う人々の賑わいが城を駆け回っている。
なんて爽やかな朝だろう。
一睡もできなかった日には、目に滲みるような朝陽。
よかった、生きてる!
昨日、私は豪快でもあり軽快でもある口調で呪われていることを宣告された。
呪いに対する動揺や衝撃や不安も確かにあった。だが、あの三人には申し訳なくなるくらいに今はレオンのことが気になる。
昨日の別れ際のあの態度。私は彼を怒らせてしまったのだろうか。
でも、解せない。ユリアスの話題が気にくわないはずがない。彼はレオンの弟なのだから。
マリーにそれとなく探りを入れても、マリーは微笑み「スコットさんのところにお食事を取りに行かなくちゃ」とそそくさと出て行って不発に終わった。
この城に来てから、マリーはこの城の専属ブランジェであるスコットさんと仲良くなったようだ。
どうにも、彼の名を言うとき、隠し切れていないはにかみ顔が恋心を物語っているようで、エリーはキュンとした。
きっと、前世の少女漫画や恋愛ドラマを見て一喜一憂していた人たちはこんな気持ちで登場人物を見守っていたのに違いない。
はあとエリーは小さく溜息を零す。
マリーの恋が確実なら、成就してほしい。でも、長年そばにいたマリーが寿退社となったら、寂しいだろうな。
仮にも主人である私なんて、このザマだ。なんの力にもなってあげられないだろう。
レオン…。
こんなに近くにいるのに、どうにも遠い気がしてならない。
エリーは首を振って思考を切り替えた。どう考え込んだって、整理がつく問題じゃない。
呪いという事態を飲み込むのに、多少の猶予はあると言っていたが、それでも熱が続くと体力は確実にそぎ落とされていくだろう。そのために、ユーリが就いているとしても。
エリーにできることは、何をすべきか教えられたことをきちんとこなすこと。彼らが動くと決めた時に、YESと言うだけなのだ。でも、どうしたって心が急く。はやくなんとかしないと、いつ何が起きるか分からないという恐怖がエリーの心を焦りで脅かした。
前世幸子は不意打ちに背後から襲われて死んだのだ。結局、幸子として陽の目を見ることも叶わずに。
悪意から生まれ、害意をもって発動する。それが…呪い。
明確な意思によって呪いを発動させ、人に害を成した者には法に則り厳罰と処す。
呪いを与えた人間と、受けた人間の間に存在するコード【呪詛の糸】
その呪詛の糸と言われるコードで繋がれた者にしか聞こえない幻聴や幻覚。
リリー様はどうして私を?
まだ関わりを持っていない時点で、法をも犯し義理の息子の婚約者である者を呪う理由は何?
捕縛担当にアルトが着任しているが、既に王妃がその対象であることに気づいていても拘束しないのは、呪詛返しの策を練るために相手を泳がせておく必要があるから、だろうが…。
相手は、この国の王妃様だ。他国の王妃が相手で、被害が王室の者であれば戦争になるだろうが。
果たして捕縛なんてできるものか。
そんなことになったら、王室だけでなく国中の民に激しい衝撃を与え、王室、ひいては統治者への不信を買うことになる。それは民の心に歪を与え、治政を乱した王の勢力は確実に失われることになる。その歪みが生んだ隙間にハイエナは食いつてくるだろう。
…いや、これは通常の場合だ。
被害を受けたのが悪名高きエリー・ハッシュトンだと知れば、民の者たちもいっそ激しく納得して王妃擁護からの王室支持派が増えるかもしれない。
どうせ貴族の鼻持ちならないお嬢が、とんでもない不作法を働き王妃を苦しめたに違いない。
そう、考えるかもしれないと、想像したところでエリーは大きなため息を零す。
まさかまさか、そんなことはな……あり得るのが悲しい。
何て言ったって、私なのだ。
王室と貴族なら王室のほうが断然に格が違うのだ。
貴族令嬢が被害を被ったところで、王室はその事実を隠蔽し、謝意を示し首を垂れるよりも相手の口封じに一家全滅を企てることのほうが容易いだろう。まして婚約者などと言っても公にはされていない身だ。
その考えをエリーは胸を抑えて振り払った。
いくらそのほうが現実的とは言え、……ここにはレオンがいる。
そんなことが起き得るところだとは思いたくないのだ。
とは言え、他国の目は甘くない。どのような状況でも混乱が起きれば、隙は生まれるものだ。虎視眈々と弱ったところに首を噛み切りに来るのは常套手段。
そうなれば、私だけではない色んな人々の命や生活に甚大な影響を及ぼす。
そんなことなど、王妃様が分からないはずがない。
それらを投げ打ってしまうほどの憎しみを、私は一体いつ買ったのだ。
エリーは彼女を拘束し捕縛することそのものより、「どうして?」という理由のほうがよほど気になっていた。
一国の王妃の恨みまで買ってしまう何かが、自分にあるのだろうか。
それが、原作の力なのかもエリーには分からないのだ。
そしてまた一つ、疑問が生まれた。
エリーは自らの胸元に指先を置く。
意識を向けても、そこには何も感じない。だが、確実に呪いの証が、肌を切り裂いている。
いつから?
いつから、こんな跡が刻まていたのだろう。
パーティーに行く日、普段通りに着替えたが、その時には何もなかったはずだ。
そんなものがあれば、マリーや他のメイドが見つけて、その時すでに騒動になる。
この城に運ばれて目覚めた時、既に服は変えられネグリジェになっていた。と、すれば。
その時にも、跡はなかったはず。
マリーも他のメイドたちも何も言っていなかったのだから。
ぼんやりと考えていると、マリーが朝食を持って部屋に入って来た。
邪推の効果が発揮されているせいか、マリーの顔がいつも以上に柔らかくなっているように見えた。
「お嬢さま、起きていても大丈夫ですか?昨日の今日ですから、無理されないでください。」
「ありがとう、マリー。なんだか外の景色が見たい気分だったの。ずっと寝ていると、天井しか見えなくてつまらないんだもの。」
「確かに、ここはお邸のお嬢さまの自室から見える景色と、だいぶ違いますものね。それなら、そこのカフェテーブルに置きましょうか。」
エリーはありがとうと、その案に乗った。
窓辺のカフェテーブルまで移動すると、また微妙に見える景色が変わった。同じ部屋内で、これほど変わるなんて、やはりハッシュトン邸の自室より随分と大きいとは思っていたが、ここまでとは。
角度の違いか、正面玄関あたりの馬車道が見えた。さすがは城なだけある。貴族の紋章が刻まれた馬車がひっきりなしにやって来る。
王室で幹部を務める者は貴族が多い。そう言った人達が朝早い時刻に出向いて来ているのだろう。
中には、この城で連泊しながら仕事している人もいるそうだ。
レオンも11歳でありながら既にそういった彼らの対応をしているのだ。
マリーがカップにオレンジとブルーベリーを入れて、その中に熱い紅茶を注いでいる。
ふわっとフルーツの香りが爽やかな紅茶の香りが鼻をくすぐる。
そこに香ばしいバターと小麦の甘い香りが漂う。
見ると、いつものミルクがゆの横にクロワッサンが添えられている。
「今日はクロワッサンが良い感じに焼けたからとスコットさんがおすそ分けして下さいました。ミルクがゆだけではそろそろ飽き飽きしてるころだろ?とのことです。」
「嬉しいわ!!ありがとう!スコットさんにも絶対にお礼を伝えてくださいね。」
自然と「絶対に」を強調する。
マリーがスコットの元に行く理由を少しでも増やせたらいいのだが。
滋養たっぷりのミルク粥も悪くはないのだが、ずっと続いていたせいか香ばしい匂いに自然と口が綻ぶ。
「も、もちろんです…!」
ちらと見ると、マリーの頬がほんのりとピンクに染まっている。
やはり、私の予想は正しいのではないだろうか。
そうして、エリーが喜んでクロワッサンを頬張っていると、また一台の馬車が入ってくるのが見えた。
何の気なしにその様子を見送って、クロワッサンの幾重にも重なる層とバターの香りを楽しむ。
これほど美味しいクロワッサンは初めてだ。さすがは王室専属ブランジェ。
その腕を国一番だと評価されたからこその専属なのだ。
朝食があまりに美味しくて、少しばかり呪いのことなど頭から飛んでいたころだった。
しばらく座って紅茶を飲み、そろそろベッドに横になろうと立ち上がったとき。
食器を片しに行っていたはずのマリーがバタンと勢いよく入って来た。
手には変わらず飲み続けているユリアスから貰った薬草の煎じ汁。
だが、彼女は驚きを顕にした表情で言った。所謂、目が点という顔だ。
「お嬢さま!お見舞いのお客様が、い、いらしています!!」
マリーがこれほど驚くようなお見舞い客とは一体誰なんだろうと、訝し気に首を傾げエリーは慌てて渡された薬を飲みほした。
…こんな城にまでくるほどの友達なんて、いただろうか?
答えはすぐに分かった。
「迷惑であろうかと散々悩んだんだが、君の顔を見ないことには安心できなくてな。」
ベッドの横に置いた椅子に腰掛け、ダンテが心配そうな顔でエリーを見て言った。
マリーに連れられて彼が入って来たとき、エリーは驚きのあまり先程のマリーと同じような表情になった。
ハッシュトン邸ならまだしも、ここは王城。開放日でもない限り、王室関係者たちまでも厳重に精査され出入りするような場所だ。
私はたまたまこの城の王子と秘密裏に婚約しているから、こうしていられるけれど、そうでなければ貴族であれ出入りは非常に難しい。まして、婚約していることを開示していないのに、どうしてここにいると分かったのだろう。
両親のどちらかにでも聞いて、教えられたのだろうか。
だが、彼とは一つ約束があったことに気づいた。
元気になったら連絡してください、と彼は言ったのだ。元気とまで言えないけれど、その後の一切を取り仕切ってくれた彼にはちゃんと連絡するのが筋だった。
「なかなか連絡できずに、ご心配おかけしましたわ。本当に申し訳ありません。ちゃんとこちらからお礼を兼ねた連絡をすべきでしたのに。…でも、よくお分かりになりましたね。私がここにいると。」
「ああ、実は心配になって君の家…ハッシュトン邸に連絡を入れたのだ。すると君の母君から、療養のためにしばらく家を離れていると返事が来てな。場所までは教えられなかったのだが、気になって探偵を雇ったんだよ。」
探偵!?
この世界にもいたのね。…というか、私の療養先を知りたいだけで探偵を雇うだなんて。
「温泉の湧く村や国境にある療養村にでも行ったのかと思っていたが、驚くことにこの城だった。君の負担にはなりたくないが、知ったからには様子が知りたかった。迷惑だっただろうか。」
「いいえ、迷惑なんかじゃありませんわ。具合が悪いときに、自分を心配してくれる人がいてくださると思えることがどれほど救いになるか。」
「そうか…。なら会いに来て良かったのかな。それに気にもなっていたんだ。あのパーティーで飲ませたジュースが君に合わなかったんじゃないかとか、色々とね。」
ハリソンの件もある。その話をした直後に熱を出したタイムリーな状況に、ますますダンテを不安にさせていたのだろう。
確かに酔ったような気配がしていたが、熱の原因ではなかった。
エリーは心底、ダンテに不義理をしてしまったと悔やんだ。
「いいえ、あのジュースはとても美味しかったですし、熱の原因でもありませんわ。私の体力が落ちていただけですもの。ダンテ様のせいでは絶対にありませんから!」
まさか呪いが原因でしたとも言えず、エリーはごまかしながら微笑む。
「そうか、なら一つ安心したよ。それなら、君の熱の原因は分かったのか?」
今一番困る質問が来てしまった。
「そ、そうですわね。感染病の類ではないとのことでしたので、ダンテ様もご安心くださいね。」
「そうじゃない。そんなことなど心配して聞いたんじゃない。」
上手い答えを用意していなかったエリーは、誤魔化すために言ったことだったが、ダンテに不快な想いをさせてしまったようだ。
うつることを心配しているのなら、そもそも見舞いになんて来ないだろう。
場合によっては、逆に見舞客から感染病やその他の諸々が原因で患者の症状が悪化する場合もあるから面会謝絶する必要もあるだろうが、エリーの立場はどちらにも属さない。
「……ごめんなさい、ダンテ様。不快にさせるつもりなんてなかったんですわ。実のところ…私にもよく分からないのです。その…なんて言ったらいいのか。事情が入り組んでいて、まだ分からないことばかり。でも、きっと訳をお話しできるときが来たら、お伝えしますわ。」
ダンテは困惑したような顔になった。
きっと、熱という事実が目の前にあって、王城という国の一番頭が集う場所で療養しているにも関わらず「よく分からない」なんて答えが来るとは思ってもいなかったのだろう。
「原因不明、ということなのか?ならこれからどうするとか、ここの医師はなんて?診てもらっているんだろう?」
身を乗り出したダンテの銀糸の髪がきらりと輝く。
眼鏡をクイッと直しつつ、ダンテはエリーを真剣に見つめている。
心配して矢継ぎ早に質問を重ねるダンテに、エリーはふと、ダンテが兄だったらこんな感じかなと思った。
そう思うと、こそばゆいような気がする。
こんなところにまで会いに来てくれた人に、本当のことを言えないのが心苦しい。
「ええ、もちろんですわ。もちろん…。焦ることはないと仰っていました。対策を考えると。その……ダンテ様、一つ疑問に思っていることがあるんです。まだ顔を合わせてもいない人を憎む時、そこにはどんな理由があるのものでしょう?」
突拍子もないエリーの質問に、ダンテは顔を変えずに黙って考え込んだ。
眼鏡を抑えながらひとしきり考え、ゆっくりと口を開く。
「そう、だな。その質問の背景が私には分からないが、理由は色々あるんじゃないだろうか。お互いにそれは嫌というほど経験しているはずだ。深く知り合うこともなく、表面を見て決めつけそれが全てのように思い込む。例えば、『自分にはないものを、あの人はすべて持っている。』や『なんの努力もなしに、奪っていく人だ。』と言ったものや、他人の陰口を信じた者など。よく知ってるはずだが…私に再度確認したくなるような、何かがあったのか?」
――自分にはないものを、すべて持っている。
――なんの努力もせず、奪っている。
エリーは侯爵令嬢であり、何故か歩くだけで叩かれる運命にある。
だからこそ、ダンテの推測には、どこか納得するものがあった。
だが、しかし。
相手は王妃だ。エリー以上の権力を持ち、すべてを兼ね備えている女性。エリーを羨む必要もなく、まして妬む必要もないはず。一人の女性として、彼女はこの国一番の憧れの象徴なのだから。
だとすると、やはり分からない。
それならどうして、呪いなんて。
私は何も持ち合わせていない。あるのは、侯爵家という肩書だけ。未だレオンとの関係はあやふやで、将来的に彼のそばにいられなくなる日を恐れている。
そんなことを考えると、こうして彼のそばにいて心配してもらって、暇を見ては会いに来てくれる今という時がそのまま止まってしまえばいいとさえ思ってしまいそうだ。
近い将来、主人公と手を取り合うレオンを見送って、そう言えばこんなことがあったわねと微笑ましく思い出せる日が来るとは今のエリーには言えなかった。
「……エリー?」
ダンテの声が、物思いを止めた。
「…申し訳ないですわ、考えこんでしまって。」
「…何か、悩みがあるのか?もしかして、それが熱の原因?」
ダンテはやはり鋭い。
突拍子もないあんな質問をすれば何かあったのかと思うのも当然だけれど。
そうではないと口を開こうとした瞬間、ドアが叩かれた。
待機していたマリーがすぐに反応すると、外から男性の声が響く。
「レオン王太子殿下専属執事のコールでございます。ダンテ・ヴォート様はこちらにおいでか」
「ただいま。」
マリーがドアを開けると、コールの姿が現れる。
彼はレオンの執事で、まだ30代前半と若い。だが、中々に厳しい教育係でもあり、レオンは彼から育てられていると言っても過言ではない。
七三分けのきっちりとした髪も瞳も薄い栗色。スマートな立ち姿とハンサムな顔立ちで、城のメイドたちの中には隠れファンが多く、積極的な女性からのアプローチも頻繁だという。
「エリー様、ご歓談中のところ失礼いたします。ヴォート様、お時間が整いました。どうぞ私とご一緒に。」
左胸に手を添え、完璧なお辞儀でダンテに声を掛けた。
ダンテを見ると、彼は黙って頷きコールに了承の意を示している。
「ごめん、エリー。少しの間、席を立つよ。」
「え、ええ。」
レオンの執事が動いているのだから、レオンと何かあるのだろうか。
もしかして、二人は知り合いだったの?
それなら、この城に出入りできるのも頷ける。
部屋を出るダンテを見送りながら、エリーはのんきにそんなことを考えていた。
ダンテの表情に苦いものが込み上げていることなど、遠ざかる背中からは見えるよしもなかったのだから。




