呪われし令嬢と、刻まれた跡。
暗い部屋の隅に、呆然と座り込む人影があった。
その人には、光も音も届いていない。あるのは、飲み込まれるような深い闇だけ。
そんな彼女の心に、愛する人たちの顔が過るたび、知らず涙が零れていた。そんな心を揺るがす人の顔も、流れる涙の意味も、彼女の心は理解する力を失っていた。
そして遠い、遠い過去の映像が流れる度に、彼女の心は千切られて、枯れることのない憎しみと果てることのない怒りが、人形のように座り込んだ彼女のすべてになっていった。
彼女の心は、もう今ある愛すべき人の顔を映していなかった。
ただ、二度と戻らない日々と人々との愛おしい記憶を糧に、憎悪を増していくだけ。
手に持っていたオルゴールが、少しの振動で僅かに鳴った。
……どうして、私ばかり。
―――………
「ねえ、お父様」
両親が寄り添い歩く。その前を小さな足でよたよたと歩きながら闊歩していた。
父を呼びながら振り返ると、父は優しい顔で応えた。
「なんだい?」
頭に被った麦わら帽を風に飛ばされないように抑えて、はにかむ。
「私、きっとお父様とお母様みたいに愛し合える人と出会いたいわ!」
そう。まるで、おとぎ話の王子様とお姫様のように愛し合う両親と同じ道を歩みたい。
だけど、父はその言葉を聞いて、母の顔を照れ臭そうに見てから、ふと寂し気に言った。
「お父さんはお前が適齢期になっても、お嫁に行かせたくないな。もう少し、お前と過ごしたい。」
父がそう言うと、母が微笑みながら父の腕を優しく叩いて窘めた。
「うふふ、あなたったら。女の子は成長が早いものですよ。」
「それにしたって、まだ5歳でこういうんだ。早くに結婚したいと言い出したら…」
「女の子は生まれた瞬間から、一人の女性として立っているものです。愛する人に出逢うことは、人生の最初に描く夢。これから沢山生まれるであろう夢の中の一つなのよ。いかなる人生であっても、愛すべき人に出会い、心で呼びかけるだけで幸せになれる。そんな人に出逢いたいと思うものですわ。」
「…だが、それでも……。ハア…、君のお父さんには悪いことをしたな。」
「まあ、なぜ?」
「きっと今の私と同じ気持ちで愛する娘を見守っていたはずだ。そんな大切な娘を私に託してくれたのだろうからね。」
「…二度と会えないわけじゃないのに、あなたったら大袈裟よ。…でも、おかげで私は幸せだわ。」
「ああ、私もだよ。」
そんな娘の存在を忘れたかのように見つめ合う両親の姿に、憧れていた。
太陽を浴びながら、愛されている喜びを感じて、ただニコニコと笑っていた。
あの日が来るまでは。
――…その日、私はすべてを失ったのだ。
::::::::::::::::::::
の、のろ…呪わている。
直球過ぎる台詞は、寧ろ理解するまで時間がかかった。
エリーのこれまでの人生を支配していたのは、薄井幸子という薄幸な人生を送った前世と、その前世で流行っていたアニメの世界に転生し、あろうことか自分が悪役令嬢であったということ以上の呪いというのは、なんだというのか。
というか、ここまでがいっそ一つの呪いではなかったのか?
なのに、そのうえ呪われるって。
一体、私が何をしたと言うのか。
「あの、呪われているって、呪いってどういうことでしょう?」
エリーはオレンジ色の髪を短く切り揃えた専属騎士団団長のアルトを目で見上げて聞いた。
彼は他の二人より飛び抜けて背が高い。加えて筋肉も隆々で割とがっしりとした体形をしている。
彼と比べてしまえば、魔法使いジュリアンも医師ユーリもそれぞれ筋肉は適度についているが、細身でひょろっとしていると表現されてしまうだろう。
そもそも呪いってなんだ?という気持ちが上手く言葉にならない。
そんな混乱した私をジュリアンは無表情で、ユーリは柔和な表情で見守っている。
だが、アルトは呪いとは何かの説明を省き、意外な話しを教えてくれた。
「そのままだよ、お嬢さん。あんたは呪われている。その熱の原因も、そして君が毎夜聞いている奇声もひとつに繋がる。」
「奇声のことをどうして、ご存知ですの?」
両親が動いたの?
「お嬢さんが耳にして怯えていることは、きちんと報告は受けていたし、なによりその異常事態に際し、対処していたのは我々だ。本来なら、聞こえないはず。だが、お嬢さん。あんたには聞こえていた。だから最初から何かあるかもしれないとは思っていたよ。」
「普通なら聞こえないって、どういうことですの?私には聞こえましたし、何かあるかもって、何があるというの?」
混乱したエリーは、ふと最初の晩を思い出す。
あの時、私には聞こえていた。マリーは疲れて眠っているから気づかないだけだろうと思っていたが、もし聞こえていることが普通なら、起きていただろうか。
それに、レオンの護衛は疲弊し、雰囲気で何かあったのだろうかと推測できるような何かがあった。
そんな護衛の彼も、聞こえてはいなかったけど異常事態の発生に、王子を守る身として疲弊していたのだろうか。
「レ、レオン様も聞こえていなかったんですの?」
と、レオンのほうを見つめる。
彼は困ったような顔して、首を縦に振った。
「ああ、聞こえていない。だが、王子としてこの城の中で何が起きたのか、把握していた。だから、心配になって見に行ったんだ。君の様子を…。」
聞こえるはずもないものを耳にして、怯えている私をまだ知識の浅いレオンですら、何かあるのではないかと危惧していたと言う。
「だから、彼らに報告したんだ。でも…確証のない状態で、君に話すのは不安を煽るだけだと思って、黙っていた。それに、君は熱で意識をなくしていた時間のほうが長い。そうしたら…」
と、レオンはちらと私の胸元当たりで視線を彷徨わせて、少しばかり気まずそうに瞳を揺らしている。
それに、どこか頬も先程より赤いような…。
ジッとレオンを見つめて様子を観察していると、咳払いが聞こえた。
どうにも、ジュリアン以外の大人が訳知った顔でニヤニヤと見ているの気づく。
アルトに至っては、今にも噴出しそうだ。
「いいかな、君たち。話しを続けよう。」
咳払いはジュリアンのものだったらしい。
意識をジュリアンに向けると、彼は話し出した。
「普通の人は聞こえない。だが、君には聞こえた。そしてそんな君は結果として呪われていた。それは即ち、我々にとって呪いを与えた人間と、受けた人間にしかない繋がりのコードがあるからだと見ている。これはよくあることなのだ。聞いたことはないかな?このことを、『呪詛の糸』と呼んでいるのだが。」
「いいえ、聞いたことはありませんわ。」
なるほど、そうだな。と、納得したようにジュリアンが頷く。
たまらずエリーは聞いた。
「呪いって、…なんででしょう?私、また誰に憎まれているんでしょう?」
「また?変な聞き方するお嬢さんだな!それでは、何度か憎まれた経験があると認めているようだ!」とアルトが笑った。
「え?えぇっと…そんなつもりでは…。」
分からんだろうな。何もしてなくても批判の的になり、ありもしない悪い噂だけで人から軽蔑され憎まれる身なんて、そうそういないのだから。
はぁと、溜め息を零しそうになったとき、レオンがぐいと近寄り私の手を取って握った。
伝わってくる温もりに、エリーは息を止めて自分の手を包むレオンの手を見つめた。
自分よりも固く、大きな手に包まれているだけで急に、鼓動が早くなったような気がする。
こんな話をしているときに、なんて呑気なんだろう。と、エリーは自分を叱咤した。
「彼女はまだこの世に呪いがあることを知らないんだ。」とレオンが言うと、ジュリアンが、黒いマントのフードを取った。するとさらりと流れる純黒な長い髪の毛を先のほうで一つに束ねているのが見えた。
影になっていたが、繊細そうな顔立ちの美形だ。
黒い髪に金色に輝く瞳。
確か、金の瞳は魔力の強大さの証だと聞いたことがある。それが本当だとしたら、やはり彼は国一番の魔力の持ち主になる。
「だろうな。まだ11歳だ。レオン王子ならば、帝王学において歴史から知ることになるが、一般では知る由もない。本来なら禁忌とされる呪いの話しなど、耳にいれようという親はいないからな。順序を踏まえて脱線してはいけない禁忌領域を知るのは、これから学校で知れば良かっただけ。…だが、エリー君。君はもう、そうはいかない。この世界には、魔法があることは知ってるね。そして、その魔法の中にはしばしば人を危険に晒し、危害を加えてしまう性質のものもある。だが、それは使われようによっては甲乙のつけがたいものだ。毒が薬になるようにね。だが、僕たちが言っている『呪い』とは、魔法とはまるで性質が違う。」
そこまでジュリアンが言うと、次は医師ユーリがブルネットのさらさらヘアをかきあげて話しを繋げた。動くたびキラキラ衣装に施された石がキランと輝く。そんな服を着ても浮かない美男子の彼は細身だが鍛えられ身体だ。アルトの横に立つから、細身に見えるだけで実際はそうでもないのかもしれない。
「そう、毒が薬になるように魔法というものは異国で言う陰陽の理をないまぜた複雑な物。だが、呪いは『不幸だけを望む心』から発する言葉や見えない思念から生まれ、そして確実な害意を持って発動する陰のみの性質を持っている。似ているようで、まるで違う性質のものだ。魔力を持たない者であるなら、その影響は薄いが、わずかでも魔力を保持したものの呪いを受けると影響は甚大なことになる。」
そしてアルトが言った。
「その『呪い』は悪意のみで成立する。無意識で呪いを発動させることはほとんどない。故に、それを使った者は、この国では厳罰対象だ。」
「エリー・・・この三人を集めたのは、その呪いを発動させ君を苦しめている張本人は誰なのか突き止め解決するために組んだチームだ。体調管理は医師ユーリに、魔法対処はジュリアン、発動者捕縛のためにアルトという役割分担で解決していく。それぞれ魔力を持っているし、力も強い。この呪いを解くために協力してくれないか。」
「協力って…。そんなこと急に言われても…」
まだ、自分が本当に呪わているという実感がない。まして、呪いを受けたからといってどうなるのかも分からないのだ。
「熱があるだけですわ。呪わているなんて言われても、実感がないんですもの。」
と、呟くと。
「ちょっと失礼。エリー君。」
ジュリアンがエリーの寝巻の襟元を掴み、胸元を広げた。
あまりの早業に呆気に取られたエリーは、咄嗟に抗議の声も出ない。
「ジュリアン、やめてくれないかな。」
とエリーの代わり以上の怒気でレオンがジュリアンに睨みを入れるが、ピクリともしない。
「これが君が呪われた証拠。そこの君、手鏡を。」
ジュリアンがマリーに視線を向け言いつけると、マリーはすぐに反応した。
はいと、寝台の横に置いている手鏡を持ってきたマリーは、それをジュリアンに渡す。
彼はその鏡をエリーに向けた。
鏡を覗き込むと、自分の白い首から胸元が見える…はずだった。
エリーは鏡を、マリーは直に覗き込んで、息を止めた。
そこには赤黒い蜘蛛の巣と髑髏のような模様が、まるで皮膚を裂いたかのように刻まれていた。
毛細血管のように細かく枝分かれしながら、白かった肌を食いつぶそうと広がっているようだ。
その気味悪さに、エリーは今にも気を失いそうになりながら、口元を抑えた。
呆然とするエリーに、ユーリは言った。
「今回は初期段階だからこれで済んでいるんだ。このままでいけばその模様は体中を埋め尽くし、細胞を破壊して、やがては心臓の鼓動を止めることになる。君にとって多少辛い儀式になるかもしれないが、清めと祓いの儀を乗り越えなければ君は…」
「……死ぬのね。」
エリーが呟くと、マリーが声もなく泣きだした。
そのすすり泣く声が、彼らの言葉よりも現実であると如実に現しているようで、エリーはひっそりと恐怖を噛み殺した。
エリーの手を握るレオンの手に力が入る。
私はその手を握り返して、そして三人を見回しながら言った。
「正直なところ、私の理解に及ばないことばかりで混乱しています。この跡が証拠であるなら、私のやるべきことは、きっと皆さまの助言とお力を借りることくらいだと言うことは、分かりましたわ。」
ユーリがゆっくりと頷いて応えた。
「そこまで理解できていれば、十分だ。…詳しいことはこれからゆっくりじっくりと話していくから、事を急ぐ必要がない限りは焦らなくていい。」
「事を急ぐとは、どのような場合ですの?」
この質問には、ジュリアンが返してくれた。
「相手あっての呪術だからな。相手の出方に急な変更が生じ、速やかに対処せねばならない緊急性の高い事態が起きた場合は急ぐことになるが、そうではない場合、焦る必要はないのだ。ただ、苦しいのも長引くことになるがな。その間、相手の様子や呪術方式を探る時間が持てて、呪詛返しの策も練りやすい。」
「そうですか。…分からないことばかりで、今はまだ思いつかないのですが、教えていただきたいことが沢山でてくるだろうと思います。よろしくお願いしますわ。」ふと、エリーはあることが過る。
処刑されて死ぬのは5年後からの運命だったはずなのに、なぜ11歳の今なのだろう。しかも、呪い。
呪いを受けて死にかけるなんて紹介文にも書かれていなかった。
これは、原作通りなのか、突発的なオリジナルなのか、まるで分からない。
「ああ、そのために我々は来たのだ。」
というアルトにニコリと笑ってみせる。
「ありがとう。…もしかして、この時点で既に誰が発信者なのかお分かりなのですか?」
エリーの質問に、一同が口を閉じた。
「ああ、いや、それは…まだ、というか…。」
突然、歯切れの悪い言葉で濁そうとしているが、さすがに何か隠していることがあるのだとエリーにも勘付けるレベルである。
困ったような顔の大人三人が、一点に向けて視線を揺らす。
その先にいたのは、レオン。
自然と彼に目をやると、彼は悲しそうな顔で俯いた。
「…ああ。俺の義母さんだ。」
そして、大人三人が気まずそうに顔を背け、彼は一人、私を見た。
エリーは彼の瞳を見つめながら、考えた。
自分を呪った相手が、まさかまだ対面もしていないこの国の現王妃、リリーであることなんて。
いくらなんでも、想像もしていなかった。
まさか、本能的に怯えていたのはこのことがあるからなのだろうか。
中途半端な記憶がもどかしい。
「君をこんな目に遭わせて、本当に…すまない。」
そう言って、彼は掴んでいた手を離した。
温かな手が離れると、手には冷たい空気が刺さるようだ。その物寂しさに、エリーは言葉にできない感情が口から出ようと胸の奥で早く出せともがいているかのように、胸に奇妙なざわめきを感じた。
けれどそれを呑み込むと、ふいにレオンの弟の顔が浮かんだ。
母を想い、けれど傷つくことを恐れて反発を避けた心優しい少年。
「このこと、ユリアス様は?知ってるの?悲しんでいない?」
だけど、この名前を出した途端、レオンの様子が一変した。
「…君が心配することではないよ。……もう疲れただろう?もう寝たほうが良い。」
そう苛立ちの籠った声のレオンに、エリーは戸惑って、足早に去っていくレオンの後ろ姿に声も掛けられなくなった。
その様子を見守っていた三人は、同様に驚いた表情を見せながらも、やれやれと言った風にそれぞれ言葉を残して去っていった。
アルトはこう言った。
「若いって、良いねぇ!んじゃ!」
ユーリは
「まだまだ青い盛りだからかな?自分の感情を上手くコントロールできないのだろうね。それじゃあ、また来るよ。身体冷やさないようにね。」と言い。
ジュリアンはフードを被り直しながら、
「君、何か変わりがあったらすぐに言いなさい。…王子のことではなく、呪いのほうだからな。」と、何故か念を押して去って行った。
ベッドに入り直しながら考えるのは、やはりレオンのことだ。
「……レオン様、どうしたのかしら。急に…」
ぼそっと零すと、マリーはただ微笑んで首を傾げた。
でも何故か、自分以外の大人たちはみんな事情を把握していそうだと、エリーは不貞腐れた。
胸に刻まれた跡のある場所を指先で辿りながら、その跡がもたらすかもしれない苦痛を想像しないように、ただ一人の顔だけを心に描き続けた。
何故急に、怒ったの?……レオン。




