主人公恋人候補の最後の一人
ダンテのエスコートを受けながら、ご令嬢の激しい睨みが身体中に刺さる。
令嬢たるもの微笑みを崩すべからず。いつかの家庭教師の声を頭に響かせて、表情筋を総動員して働かせたが、さすがに突き刺さるものが痛くなってきた。
横にいるダンテはダンテでご令息一団から陰口を目の前で叩かれるなど、これはなかなか手厳しい経験を積んでいるようだ。
なにをやられようと、涼しい表情が崩れない。
エリーは密かに、彼を称賛した。もちろん、ダンテの内心はどうなのか分からないが。
私なんて、軽やかに微笑んでも、悪魔の微笑みに見えるようだし?
ほら今だって、睨んでいたはずの令嬢に向けて爽やかに微笑んで見せたら、ビクッと身体を強張らせ青白くなった顔を背けた。
ふふふ、もうヤになっちゃう☆
などと、やけくそ気味に考えているときだった。
喉を潤すためにジューススタンドへ足を進めていると、なにやら目的地が騒がしい。
遠巻きにしつつ、事の成り行きを見守る者、ニヤニヤと面白がっている者たちがその方向を見つめている。
人だかりから、この騒ぎの本元は誰なのか、姿は見えないが声が聞こえてくる。
「君!子供が飲むものだという自覚はあるのかい!?ほんのわずかに酒が入っているとは何事だ!」
「…あっ、いえっ!隠し味にとアルコールを飛ばしたお酒は確かに入っておりますが、アルコール分は飛んでいるはずですので…!」
「無責任ではないか!!何故、アルコール分は飛んでいるなどと分かるのかね!少しは残っているかもしれないと、想像もできないのか!もし、この味を占めた子供が、安易にアルコールに手を出すようなことになったらどうする!?万一、弱い子が飲み体調不良などの一因になったらどうする!」
どうも飲み物に含まれていた、アルコールを飛ばしたリキュールの味に気づいた男性客が怒っているようだ。
ジューススタンドを任されていた給仕係りがしどろもどろに対応に困っている。
この国は、前世の世界のようにアルコールの飲用は年齢制限をかけ法律で定められている。
しかし、民間療法として風邪や未病の緩和、血流改善を謳う効能などを信じ、火にかけアルコールを飛ばした酒をミルクにいれたり、レモンや紅茶で割ったり、場合によっては生薬などを専門家にブレンドしてもらい酒に漬けて薬膳酒などを作ったりと、わりと年齢関係なく利用されている。人によっては火にかけず、そのままの人もいるそうだ。
すごく真面目な方なのだろうな。よほどのことが、過去にあったとか。
と、彼を目の端に捉えながら、騒ぎのことなど気にも留めないダンテに連れられジューススタンドに辿り着いた。
だが困った。
ジューススタンドとは言え、今まさにクレーム対応している給仕係りの彼に、注文しないといけないシステムらしい。
クレームとは言え、男性の言い分も分かるのだ。
この世界の言うところの「酒」は、前世の酒とはけた違いのアルコール度数なのだ。
猛者はそのまま原液で飲むが、大半の人は割るそうだ。
社会人として幸子もお酒を飲んだことはあるが、私はまだ11歳で民間療法も実践していないので、この世界のそんなべらぼうな度数のお酒というものは、いかほどのものか分からない。
ただ、ほんの僅かの可能性とは言え、アルコールが残っていることによって、アルコールに弱い人にとってそれは毒になりうることもあるということ。
前世の酒は、火にかければだいたい飛ぶ。
だが、この世界の酒は煮立ててフランベして、煮るくらいの勢いでないと飛びきれないのだとか。
それによって特に家庭で起きる事故として多いのが、度数の高い酒のアルコールを飛ばしきれていない、若しくは、飛ばさないでそのまま匙一杯分を子供に与えてしまったことにより、肝機能に影響を及ぼしたり、急性アルコール中毒の症状を起こし、場合によって命の危機に陥ることが頻繁に続出した時期があった。
そのために、一時「家庭内での民間療法として15歳までの子供に酒、または薬膳酒を与えることを禁じる」という法案が成立しかけたが、「稀なケースのために有用な療法を潰すことのほうが、多くの命への損害ではないか。きちんと火にかけることで防げるはずだ」という声が多くなり、禁止法案は否決した。
けれど、それだけ酒というものは、危険と隣り合わせなのだろう。
民のものたちの中には、簡単に医者にかかれない人もいる。薬を買うことも困難なこともある。
そんな中、この世界の酒は薬効が高く、値段も薬よりは安いとして、常備薬のように常に用意している家庭が多いのだ。
きっと、彼はそういうことを危惧しているのだろうか。
エリーからすると、前世のお酒を知っている以上、とんでもない代物のように感じていたのだ。
などと考えていると、後ろから圧を感じた。
「君たち、ここで飲み物を注文する気かい?」
と、声を掛けられて声の主に顔を向けると、エリーはピシりと固まった。
先程からお酒の危険性について給仕に文句を言う後ろ姿と怒る声しか見聞きしていない、その人の顔を正面から見据えた結果。
その人が誰なのか、否応なく分かってしまったのだ。
「なんだ、失礼な子だな。人の顔を見て固まるとは。挨拶もできないのか。」
ビクリと身体が揺れる。
という、『彼』にダンテが言い返す。
「お言葉ですが。淑女相手に声を掛ける前に、紳士の礼儀に則り挨拶すべきは貴方のほうでは?それでは怯えられてしまいますよ。」
うッと声を詰まらせた彼は、しかし納得した面持ちでエリーに向かって会釈した。
「全くその通りだな、ヴォート君。君、失礼した。いささか憤慨が過ぎ、八つ当たりのような態度を取ってしまった。まったく幼稚であった。私は、ハリソン・アークエット。アークエット子爵家次男だ。」
「・・・私は、エリー・ハッシュトンですわ。ハッシュトン侯爵家の娘にございます。どうぞ、お見知りおきを。」
「うむ。なるほど、君がハッシュトン家のご令嬢か。ふぅむ。…この気難しいと有名なダンテ・ヴォートの腕を取るとは。なかなかやるじゃないか。もしや、二人は許嫁か何かか?」
前世の姿絵よりも髪は短いが、ほぼ同じ。きっと彼は現在19歳か、そこそこだろう。
教師になるためには、義務教育を終えた後、院に入り学問を深める必要がある。となると、現在は院生ということになる。優秀であれば飛び級もあるので、年齢では分からないが。
ゆらりと知的な輝きを見せる黒の瞳が、何か推し量ろうと自分たちを見据えていたが、まさかこんな質問が来るとは思ってもいなかった。
どこをどう見たら、そう見えるというのだ。
困ったように隣のダンテを見上げると、別段困った風もない。
困惑しているのは自分だけなのか、と思うと居たたまれなくなってくる。
エリーは慌てて首を振った。
「いいえ、アークエット様。私たちは今日知り合ったばかりですわ。喉を潤したい私のために、エスコートしてくださったのです。」
「なるほど、そうか。無粋なことを聞いたな。いやなに、どちらにしろこのヴォート君には珍しいことだ。親から宛がわれたはずの婚約者候補のお相手すらまともにしなかったという話だからな。」
「…えっと」
返事の困る話しがひょいと出てきてしまった。
エリーにも婚約者というものがいる以上、ダンテの年齢だったら十分にあり得る話だ。
しかし、無口ななかで少々の無神経な発言があったとしても、それを上回る心遣いのできる人だと見受けられるダンテが、許嫁候補に対して無礼な態度を取るとは想像しにくい。
「ハリソン殿。今はそんな話、関係ないと思いますが。先程の仕返しでしょうか。」
「仕返しだと思うのなら、それはヴォート君、君にとって弱みであることを証明しているようなことだ。それともなにか?彼女に知られたくなかったのか。」
「馬鹿なことを仰る。」
ピクリとも変わらない表情のダンテ。
エリーには見えなかったが、ハリソンにはしっかり見えていた。
銀糸のような髪に隠れた耳が、しっかり赤く染まっていることに。
「ま、まあ、お互いご挨拶も済みましたし、もうよろしいではないですか。ね、ダンテ様だって、候補者様となにか事情があってお相手できなかったのかもしれませんし。それより、先ほどから揉めていらっしゃるようですが…」
と話しを振ると、聞いてくれと言わんばかりに溜め息を吐いた。
「まったく、この世の酒への浅慮さときたら、呆れるばかりだ。なぜ分からぬのか。ほんの少数派のために法など変えないという国のおかしさにも気づかない民!法で定めることによって守れた命もあるかもしれないという事実や可能性に蓋をする、まさに臭いものには蓋を体現したような議会!」
熱い圧のある演説に、圧倒されかけているといつの間にか飲み物を注文していたらしいダンテが、静かに手渡してくれた。
「今のうちに飲んだ方が良い。気づかれたらうるさいから。」
「ええ、ありがとう。ダンテ様。」
厚意に甘えて、ピンク色の甘い飲み物を口にする。喉をひんやりと通り、桃のような香りが鼻を通る。
「美味しい。」
「なら良い。味は分からないが、君に似合うかと勝手に選んだだけだからな。」
「味は桃ですわ。果肉も入っていて、とても美味しい。」
などと会話している横でも、ヒートアップしていくハリソン。
「アークエット様とは、お知り合いなんですの?」
「ああ、古い知り合いだ。尤も、あちらのほうが6歳年上と言うことも手伝って、あまり親しい付き合いはないのだが、会うと何かとからかってくる嫌な隣人さ。」
「隣人?」
「彼は風変りな性格だと揶揄され家族に理解されなくてね、若くして家を出て私の家の領地まで引っ越して来た。その際に挨拶に来られた彼と、私は知り合った。彼の才能を買った両親の一存で、一時期私の家庭教師に就いたこともあったんだ。……あのことがあってからというもの、ずっと塞ぎこんでいたからね、こんなに暑苦しく吠えたてるほどに元気になって、良かったよ。議会にまで意見を言いに行っているくらいだからね。」
「…あのこと?」
ふと、零れたダンテの言葉に、エリーは何気なく疑問を返す。
すると、ハッとしたダンテが、すまないと呟いた。
何故なのか、ダンテの視線を追うと先程まで酒の危険性とその認識不足について、論じていたはずのハリソンが黙ってエリーの隣に立っていた。
「君には変なところばかり見せてしまうな。…ハッシュトン君。」
やれやれと言ったように自らの顎を擦っている。
それにしても、ハッシュトン君とは、斬新な呼び名だ。
「…よし、ここまで聞いたなら、今さら秘密にされても好奇心を煽るだけだろう。…私がこれほど酒に対して懐疑的になり、嫌悪感すら覚えるようになった出来事こそが、ヴォート君の言っていた『あのこと』に繋がるわけだ。」
エリーはハッとして周囲を見渡す。
何か大事な話をするのに、聴衆がいるのはよくないだろう。
だが、心配をよそにギャラリーとはとっくの昔に飽きて、自分たちの話しに花を咲かせている。
私の心配に気づいたハリソンは、気遣い有り難く受け取るよ、と言って話しをつづけた。
「私には、結婚を誓い合った女性がいた。ヴォート君の言うように、私は貴族でありながら手に職を就けたいと望む風変りな思考を持っている。それが一族からは受け入れられなかったのだ。職に就くより、跡を継げ。大方は長男が継ぐのだから、お前は楽できるというのに感謝もしないのか、とね。私はそれが嫌で、ヴォート辺境伯が治める領地に身を置くことにしたのだ。そこで出会った、同い年の女の子…確か当時で14歳くらいだったろうか。その子のことを、私はとても好きになった。同じ気持ちだと分かったときから、将来も誓い合った。子供の世迷言だと笑う者もいるだろうが、私も彼女も本気だったんだよ。そのために、実家に頭を下げ義務教育を受けるための印章を貰うことも、躊躇わなかった。親の承認の証が必要だからね。だが、彼女は16歳の誕生日の寸前に、ほんの些細な風邪を元に死んでしまった。」
「……それって…」
「酒のせいだった。彼女は元来、丈夫だったはずだった。だから、風邪を引き倒れた娘を早く治してやりたい一心で、彼女の母親は手製の薬膳酒を与えた。しかし、彼女の身体は実はアルコールを分解する能力が著しく低く、尚且つ、薬膳として漬け込まれていたハーブにも異常反応を示していたことが、後に分かったのだ。」
ということは前世の知識で言うところのアルコール中毒とアレルギーによるアナフィラキシーショックを併発していたということのなのだろうか。
「成す術がなかった。まだ医療が進んでいないからだ。もし、彼女が貴族の生まれで病弱で頻繁に医師の診察を受ける身であったなら、彼女の弱点に気づけていたかもしれないが。……だが、重篤に至らしめたのはアルコールだった。誰も悪くなどない。でも、危険性を周知させる義務が国にはあるはずなのだ。彼女の死を、同じような事故で亡くなった者の命を無駄にしたくないのだ。…誰かを一度でも、『たった一人の人』として愛おしいと思ったことのある人間なら、失う辛さを知っているはず。なぜ、彼らはそんな心までも理解しようとしない?」
今こうして彼の言葉を訊いて、そして話している間の彼の様子や表情を見ていて、やっと原作のイメージと繋がるところがあった。
なぜ、原作で庶民出である主人公を最初は冷たくあしらっていたのか、何故自分の気持ちに鈍感になっていったのか。
彼は、もう二度と愛する人を失いたくないと怯える、ただ一人の男性だったんだ。
「・・・「彼ら」のことはよく分かりません。でも、人間は大いにして、自分の大切な人の身に何か起きなければ、他人事として済ませてしまう人が多い。想像力の欠如とも言いましょうか。もし、自分の大切な人が誰かに傷つけられたら、きっとそんな人たちだって躍起になって怒るでしょう。いざ自分の番になればですが。」
「では、私の望みが果たされることはないのだろうか。」
困ったように黒い髪を撫でつけている。
こんな幼い生意気な娘の言葉を真剣に聞いてくれるなんて。
「さあ、それは分かりませんわ。でも何事も、いつ叶えられるかより、叶えるために何をするかのほうが大事なことかもしれません。お酒が身体に合わない人がいる一方で適量と用法を守れば薬のように効いてくれる人もいる。例えば、医療の面が進めば、身体の情報を知り事前に危険から身を守る術を身につけることもできる。」
「…そうか、なら禁止を求めることばかり声高に叫ぶより、医療面の進化を希望したほうがより多くの人のためになる・・・。多面的な視野を持つ必要性があると言いたいのだな?…なぜ、今まで気づかなかったんだろうな。」
「例えですが、医療の進展が鍵になるなら、その域に到達するまでの間だけでも禁止したほうが守れる人が増えるから。ではないでしょうか。ダンテ様は間違っていませんわ。」
「うむ。…いつ、叶うかより、叶えるために何をするか、か。…少しばかり今後の自分の身の振り方を考えねばならないな。さっそく帰ることにしよう。…ダンテ君、…逃すなよ。」
身を翻す間際、ハリソンはダンテにだけ聞こえるようにボソッと囁いた。
「なっ」
「ハッシュトン君、目が覚めるような想いだ。礼を言うよ。また、会おう!」
そう言うと、待ちきれないかのように足早に去っていった。
取り残されたダンテが、先ほどのエリーのように戸惑い、反応に困っている。
「あの、ダンテ様?私、おかしなこと言ってしまったでしょうか?」
「いや…」
ダンテの様子がおかしいことを心配して、見つめていると、ふと視線を寄越したダンテと目が合った。
すると勢いよく目を逸らされて、そこからたっぷり10分は無言のままだった。
仕方なく、ジュースを飲み干して、ダンテが正気を取り戻すまで待っていた。
そう言えば、少し。
身体が、だるい。




