222話〜ヴェルド=エン・金座の風〜
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
南方自由貿易都市《ヴェルド=エン》。
陽光の降り注ぐ港に、白帆の船が立ち並び、
香辛料と金貨の匂いが潮風に混じっていた。
ヴェルド=エンは、アナトリア大陸南部に位置する自由都市連合の中心地。
各地の商人たちが集い、交易を通じて独自の繁栄を築いてきた。
その経済を統べるのが――都市代表会議《金座》。
そして今、その“金座”を束ねる若き女性商人がいた。
メリッサ・ヴェルド。
黄金の髪に碧い瞳、齢二十にも満たぬ若さで
前議長ガルド・サーヴェンの後を継ぎ、
新たな《金座》の議長となった才女である。
「……南方諸島との交易、交渉はどう進んでいるの?」
帳簿を捲りながら、メリッサが部下に問いかける。
報告を行うのは、補佐官のグレイン・ルドゥ。
灰髪の実務家で、メリッサの参謀役として知られている。
「順調です。シルヴァ諸島連合との交易路がようやく確保されました。
来月には最初の船団が出航予定。
ですが――問題は北の情勢です」
メリッサが手を止める。
「北の……バトランタ領とその周辺のことね。黒霧の噂は、ここまで届いてるわ」
「ええ。霧に飲まれた街があるとか。
それに呼応するように、バハンタール公国の魔物も動きを活発化させています。
砂漠の辺境で“黒煙”が上がったという報告も」
メリッサの表情がわずかに険しくなる。
「北の霧と、南の砂嵐……
まるで大陸そのものが、不吉な風を孕んでいるみたいね」
グレインが頷いたあと、帳簿を閉じる。
「……それにしても、ガルド・サーヴェンの件は放っておけませんね」
その名に、室内の空気が変わった。
「前議長ガルドの失踪。
“黒霧騒動”の混乱に紛れて、金庫と帳簿ごと消えました。
その後、南方で“ガルド名義”の取引がいくつも報告されています。
匿名出資、奴隷商人の買収、果ては砂漠商団への援助まで……」
メリッサの瞳が細くなる。
「……やはり、あの老狐。
ヴェルド=エンを見限って、“砂の王国”に逃げたのね」
「はい。バハンタール公国の港町には、
ガルドが昔支援していた交易商団が今も残っています。
おそらく、そこに拠点を――」
「いいわ」
メリッサが遮った。
「南方航路の再開は、“利益”のためだけじゃない。
ガルド・サーヴェンの尻尾を掴む。
ヴェルド=エンを裏切った代償は、必ず払わせるわ」
室内に静かな緊張が走る。
若き商人の声には、権力の重さと誇りが宿っていた。
「それと、もう一つ。
新しい航路には、護衛団を付けるように。
南海は今、魔物の出没が増えている。――例の“黒霧”が海を渡ってくる前に、
わたしたちが先に動くのよ」
「承知しました。すでに海竜討伐で名を上げた傭兵団《紅潮》と交渉中です」
メリッサは小さく頷き、机の上の黄金の印章を見つめた。
それは“金座議長”の証であり、ヴェルド=エンの象徴でもある。
(この都市は、もう誰にも奪わせない……
わたしが、この手で守る)
彼女の脳裏に浮かぶのは、金座の混乱、
ガルド・サーヴェンの逃亡、そして崩れかけた街の市場の光景。
それでもメリッサは微笑んだ。
「――風を読めば、未来は見えるわ。
金の風が吹く方向へ、舵を取るだけ」
夜の港
月明かりが波間に揺れ、帆船の影を銀色に染めていた。
潮風が吹く中、メリッサは港の先端でひとり立っていた。
「……ガルド・サーヴェン。あなたの亡霊が、南で蠢いているなら――」
彼女はそっと金のペンダントを握る。
それはかつての恩師であり、裏切り者でもある男から贈られたものだった。
「この《金の風》が吹き払ってあげるわ。
ヴェルド=エンの未来は、あなたの掌の中にはもうない」
遠く、黒い海の彼方で雷光が閃いた。
まるで砂漠の嵐が、この港へ迫りつつあるかのように。
港の鐘が鳴る。
メリッサの金の瞳が、決意に燃えた。
その夜、
南の自由都市《ヴェルド=エン》を発つ最初の交易船《ラ=レグリア号》が、
静かに出航した。
それは――金と嵐、
そして“新たな風”の物語の始まりであった。
──続く。
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