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高く翔べ、ニーノ! 〜恵里の異世界奮闘記〜  作者: 羽牟
第三章 異世界の旅人
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12.鈍色の白銀(十)


 サルヴォ伯爵の、つまり連邦議会の承諾を得られれば銀取引は交渉妥結も目前である。恵里は肩の荷を半分おろして伯爵秘蔵のウィスキーに舌鼓を打ち、口も滑らかに旅の顛末を語ったのだった。そうして伯爵の執務室で楽しいひとときを過ごした後、恵里は魔女の隠れ家へ向かった。飲酒運転になってしまうが、事故を起こす相手もいない草原なら構わないだろう。無論、道路交通法など無いわけだし。

「アーデル!久しぶり」

「おや、あんたは帰郷の旅に出たんじゃなかったかね」

 裏の庭で畑仕事をしていた魔女アーデルがよっこらしょと腰を伸ばす。魔女が構っていたのは青々と茂った葉と鮮やかな赤い実のコントラストが眩しいトマトだ。

「わお美味しそうなトマト!」

恵里は断りも言わずにたわわに実るトマトを一つもいでかぶりついた。まだ少し若い実は瑞々しく爽やかな酸味と青臭さが絶妙にバランスして、濃厚なウィスキーの後に食べるには実にさっぱりとして心地いい。

「うーん美味しい」

魔女は呆れ顔をしているものの、恵里の無遠慮を叱りはしなかった。

「ところでアーデル、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

恵里はトマトを頬張りながら手近な丸太に腰掛けた。

「なんだい」

「獣人、犬頭人のことについて教えてくれない?もし知ってるなら、西の山脈の先にあるダシュト村の事も」

「ふむ。あんたはニールバーに伝わる昔話は知っているかい」

「聞いた聞いた。えーと何だったっけ、正義の味方っぽい感じ」

恵里のざっくりした返答に魔女ははぁーと溜息を吐き出した。

「感覚としては間違っちゃいないだろうがね。”犬頭人とは天の忠臣にして死者を迎ふる者、あるいは冥界の門番。御神により天降あまくだし給うた秩序の番人”」

「そうそれ。もっと分かりやすく教えてよ」

「伝説によれば、犬頭人もともとは犬の姿をした天上界の住人だった。彼らは死者の魂が悪魔に奪われることのないよう天の門へ迎える護衛であり、また天上界への無法の輩の侵入を阻む門番でもあった。彼らのその深い忠誠心と優れた働きを喜んだ神は彼らに人の身体を与え、秩序の守護であれと乱世のこの地上に遣わしたのだという」

「えー、てことは完全に正義の味方の方だよねえ。それが何で”驚き恐れ蔑み”の対象になっちゃったんだろう」

「西の文化についてはアタシもあまり詳しくは知らんよ。魔法もあまり好かれんし。アンタも気をつけな」

「ありがとう、なるべく魔法は使わないようにするよ」

魔女に聞いていなかったら、うっかり魔動バイクで走り回って顰蹙を買うところだった。西の文化圏を抜けるまでは、バイクに車輪でも付けて黒王号に引っ張ってもらうのが無難かもしれない。

「ダシュト村のことは何か知ってる?私は最初、鉱山特有の病を”銀の呪い”って言ってるのかと思ったんだけど、どうもそれだけじゃないみたいなんだよね」

「なぜそう思う?」

「皆が腰に付けてる呪い除けの札っていうのも何だか妙だし、だってあの村に司祭はいないのに呪い除けは一体どこから来てるんだろう。それに、何となく村の空気の流れが悪いっていうか、晴れてるのに湿っぽいというかさ。うーん、上手く言葉にできないなぁ……」

「ふうん。呪い除けというのは知らないが、空気が重いのには訳があるだろうね。そういうのは大抵、祖先の霊の慰められない悲しみがあらわれていることが多い」

「祖先の霊を祀ってるものがあるのかな?お墓とか仏壇とか?……いや、仏壇はないか」

「さて形は分からんが、朽ち果て忘れられた古い墓や祠があるなら、それだろうね」

「なるほど、戻ったら探してみるよ。あっ、とそれから」

 恵里はチラリとアーデルを見遣った。どう切り出すのが良いかと考えていたのだ。黒王号のことである。恵里はアーデルと何か関係があるんじゃないかと睨んでいた。あの馬はどうもおかしい。絶対に何かある。

「黒王号のことなんだけどさ、連れて行っちゃって大丈夫だったの?主みたいな存在だってジッロ言ってたし、そういう存在がいなくなったらそれこそ秩序が乱れたりするんじゃない?魔獣が増えるとかさあ」

あの馬は・・・・主なんかじゃあないさ」

ほとんど無意識の返答だったのだろう。アーデルはつるりと口を滑らせた。

「馬?馬って言ったね?私は”黒王号”としか言ってないのに!」

首尾よくアーデルが引っかかったことに恵里は手を叩いて喜んだ。ジッロがこの草原から連れてきた馬に”黒王号”と名付けたのは、ジッロと恵里しか知らないはずだ。恵里の罠にうっかり引っかかったアーデルはしまったという顔をしたものの、すぐに「小賢しい娘だよ」と苦笑いを浮かべたのだった。

「……まあいい。アタシはあの馬と眷属の契約をしてるんだ。知恵と力を与える代わりに、あの馬はアタシの目となり耳となる」

「やっぱり。尋常じゃないと思ったんだよ。思い通りに操ったりもできるんでしょ?」

「ふん、あんたをこの世界へ呼んじまった張本人なりに多少の責任は感じちゃいるのさ」

「またぁー。魔道士ノモルテに会いたいだけじゃないの?」

恵里が笑いながら言うと魔女も笑った。

「ま、否定はせんよ」

とは言えまだ決して長いとは言えない道中で既に、黒王号には様々な形で助けられてきたのも事実だ。

「でも感謝してる。これからもよろしく」

「ああ。ずっとそばで見守っているから安心おし」

思いがけず優しい魔女の言葉に恵里は少しうるっとなってしまった。この魔女の家が恵里にとって異世界の始まりの場所で、この世界にあってはここが故郷ふるさとなのだと思う。懐かしく暖かく優しさに満ちた場所。

「今晩泊めて」

「ああ、ゆっくりしてお行き」

親戚の叔母さんにでも言うように気軽に恵里は言い、魔女もまた同じように答えたのだった。


 翌日、恵里がリリィの自宅を訪ねると、大工のジルとリリィが親しげに話をしているところだった。何やらいい雰囲気である。

「やあ、リリィ」

恵里が声をかけるとリリィは笑顔で振り返り、ジルは一瞬だけ邪魔者を見るような目をした。ふーん。なるほどねえ。

「ごきげんよう、ニーノ。ジルったらすごいのよ!昨日は夜遅くまでしてくれて、今日も朝早くから頑張ってくれたの。見て、もう完成よ!」

「へぇ、すごいねぇ」

そりゃリリィの側にいられるからじゃないの、と恵里がニヤニヤしながらジルを見れば、視線に気づいたジルは顔を赤くした。やっぱりそうなんじゃない。ちぇっ、青春しやがって。

「でしょでしょ!ねえ試走してみたいんだけど、ニーノ付き合ってくれる?最初は一人じゃちょっと不安」

「もちろん」

ふたつ返事で快諾し、恵里は改めて改造版”無頭立て”を眺めた。御者台の部分に風除けのために取り付けた合掌型のガードは耐久性を考えてかなり頑丈に作られていて、まるで装甲車のような厳つい外観になっている。内部の骨組みには太い木材をいくつも使い、ちょっとやそっとの風圧じゃびくともしないだろう。総重量は相当増しただろうが、動力は魔封箱だから操縦にそう支障をきたすこともないはずだ。

「すごいねぇ」

今度は、素直な感嘆を込めて言った。リリィが言ったとおり、ジルは本当に腕の良い大工らしい。

「ニーノ、乗って」

御者台に座ったリリィに呼ばれ、恵里は早速”空飛ぶ無頭立て”に乗り込んだのだった。

「まずは浮遊のほうよね」

「初めはそっとだよ。壊れやすい砂糖菓子を扱うみたいに、そーっとね」

 恵里が魔封箱を開けようとするリリィの耳元に囁くと、リリィはひゃあっと言って飛び上がった。真っ赤な顔をして耳を押さえている。

「もうっ真面目にしてよっ」

「真面目だよ。いきなり全開にしたら天井に張り付いちゃう」

「……分かったわ。そうっとね」

リリィがソロソロと浮遊の魔封箱を開けると、重い車体がゆっくりと動き始める。

「いいよ。そのままもっと……」

「ニーノってば!」

あんまりからかっちゃ本気で怒らせてしまいそうだからこれ以上は自重することにして、

「さ、もっと高度を上げて」

「まだ上に?」

リリィは不安そうに辺りを見回す。今やっと地上数十メートルという所だ。

「まだまだ。オルロの街が小さく見えるくらい高度を上げなくちゃ、西の山脈は越えられないよ。大丈夫、何かあったときは私が魔法で助けるから」

恵里の言葉にリリィはこっくりと頷き、魔封箱を開けてぐんぐんと空高くへ”無頭立て”を運んでいく。高さにさえ慣れれば、リリィは元々推進魔法は得意なのだから操縦は自由自在だ。

「ニーノ、私楽しくなってきちゃった」

しばらく空の上をあっちへこっちへと走りまわったリリィが少し興奮した声で言う。恵里は笑って目的地を告げた。

「さて、それじゃ連邦議会議事堂へお願い」

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