11.鈍色の白銀(九)
「私の可愛いアメリアをさんざん泣かせておいて、よくもまあしゃあしゃあと戻って来られたものだな」
険のある台詞を親しげな声で言って、サルヴォ伯爵は手を差し出した。
「おかえり、ニーノ」
その暖かくやわらかな響きに、思わず浮かんだ涙を恵里は慌てて上着の袖で拭った。
「恥ずかしながら、戻って参りました」
照れ笑いを浮かべながら伯爵の手を握り返す。優しい眼差しにほっとした。
「アメリアは、皆さんはお変わりないでしょうか」
「うん、皆元気にしているよ。アメリアは泣いて塞いで大変だったがね」
「申し訳ないことをしました」
伯爵の愛娘アメリアは、恵里のことを男だと勘違いしたままだ。最後に本当の事を打ち明けたほうが良かったのかもしれないと思うこともある。
「君が女なのだと告げるべきか告げざるべきか……それは私も判別しかねて結局言わないままだよ。思い出は美しいままの方が良いだろうしなぁ。フェーデレにとっても」
「フェーデレ?どういうことです?」
「剣技大会で君に負けて発奮したようでね。今までどうも抜け切れなかった貴族の甘えを排して実にストイックに剣術に打ち込むようになった。君と剣士ボルドとの試合も良い刺激だったみたいだ」
そんなライバル視している相手が実は女だったのだと知ったら。フェーデレの憔悴ぶりが目に浮かぶようだ。確かに、と恵里は頷いた。
「そういうわけで君は我が家では未だ”男”のままだよ。まあ掛けたまえ」
連邦議会議事堂の一室、建築は豪華だが調度などは案外質素で、恵里はすすめられるままその飾り気のない椅子に腰を下ろした。テーブルの上に置かれた水差しを取り、伯爵は恵里の向かいに座って水を注いだグラスを恵里の前に置いた。
「ありがとうございます」
「さてと、ニーノ。話を聞こうか」
やはり、サルヴォ伯爵に前置きなど不要のようだ。恵里は伯爵手ずから注いでくれた水で唇を少し湿らせると、単刀直入に言った。
「銀取引について少々、お聞きしたいことがありまして」
「君は……いつも突飛なことを言うね。銀だって?」
「はい。旅先で銀山を見つけたのですが、不当に安値での取引を強いられているんです」
「私は他所の領土に手を出す気はないが」
伯爵の懸念は銀山をめぐる争いに巻き込まれるのではないかということだろう。銀を安価で吸い上げられるのは圧政か植民地的な支配のためだと考えるのが普通だ。権力者から銀を奪う形になれば戦に発展する可能性は高い。
「いえ、銀山を持つ村はどこにも属していません。銀山を抱えていながら貧しい生活を余儀なくされているのは、獣人の村だからなんです」
”獣人の村”。その一言だけで伯爵はおおよその背景が分かったらしい。村の独立性についてそれ以上多くは聞かなかった。
「獣人の村か。場所は?」
「西の山脈を越えてすぐのところです」
恵里の返答に、サルヴォ伯爵は前のめりになっていた身体を椅子の背もたれに投げ出した。
「ニーノ、君ねえ。いくらなんでもそれは」
伯爵は心底呆れたように額に手を当てて大げさに溜息をついた。
「輸送についてはご心配なく。手配は済んでおります」
「どういうことだね」
仰け反った姿勢のまま、伯爵はちらりと恵里に視線を投げかけた。恵里はにやりと笑う。
「オルロとその村ーーーダシュトは一日で行き来できます」
「何だって!?」
再び伯爵は身を乗り出して話に食いついてきた。伯爵のこの、オーバーリアクション気味の反応が嬉しくてたまらない恵里である。
「私も今朝方ダシュトを出たんですよ」
「まだ日暮れ前じゃないか!」
「いえ、こちらに着いたのは昼過ぎです」
「まさか!一体どんな魔法を使ったのだ」
「空を飛んできました」
「私は、君が魔法を使えることを知っている。だから君の言う事を笑いはしまいよ。だがねえ、旅の途にあるはずの君が運搬役を務めるのかね?」
「伯爵は”無頭立て”の運び屋バルデリ・リーガンをご存知ですか」
「うむ……名だけは」
伯爵とリリィは恵里のお別れパーティーの時に顔を合わせているのだが、伯爵はそれがバルデリ・リーガンだとは気づかなかったようだ。
「空路を担ってくれることになっております」
「空路だって?」
「”無頭立て”に少々手を加えて、空路、つまり空の道でオルロとダシュトを結びます」
「そんな夢物語のようなことが実現可能とはとても思えんが……」
「空飛ぶ”無頭立て”は二日ほどで完成の予定です。ご判断はその後で結構なのですが、ひとつお伺いしたいことがあります」
「ふむ、聞きたいことがあると言っていたね」
「空路が現実に稼働するとして、オルロ商人組合とダシュト銀山との銀取引はニールバー連邦国として認めていただけるのでしょうか」
「うん、アール領、ペギア領にも鉱山がある。取引価格と輸入量制限は議会で決めなければいけないな。それに前代未聞の空路や獣人相手の取引は過去に例がない。それらは確かに懸念材料になるが、国の財政が潤うに越したことはないからね。おそらく強固な反対は出ないだろう」
サルヴォ伯爵の領地運営の理念は「皆が衣食住に困ることなく自由に生活の出来る国を作ること」だ。福祉を手厚くすれば財政は逼迫する。この国では通貨に純金純銀が使われているから単純に増鋳すること自体がままならない。さりとて混ぜ物をして通貨の質を落とすのは信用に関わる。多量の金や銀を安定して供給できる鉱山が手元にあるのは国として望ましいことだが、一方で国内の領地のように他国の鉱山を接収すれば大きな火種になりかねない。ロスが出ることになっても、一旦商人組合を通して取引を行うのはそのためだ。
財政は強化したいが、他国との摩擦は避けたい。サルヴォ伯爵がそういう考えの持ち主だからこそ、彼が議会の代表を務める今が絶好の機会だと恵里は思ったのである。国の運営に関して、例えば多少でもリクスを冒すくらいなら増税と歳出引き締めで財政を健全化させたほうが良いというタイプや、歳入の爆発的な増加が見込めるのなら例えハイリスクであろうとも銀山を接収してしまえというタイプだったなら、この銀取引を伯爵に持ちかけることもなかっただろう。
「では……」
「その”無頭立て”が完成したら連絡をくれ。その時セミオンも交えて話そう。それまでに議会に諮っておく。決着しなければ、私が専決する」
「ありがとうございます!」
恵里は深々と頭を下げた。ここまですんなりと話が運んだということは、裏を返せば伯爵にとって折衝や交渉事の面倒が山積みになったということでもある。本当に伯爵には感謝してもしきれない。
「ところでニーノ、うちの皆には会っていくかね?」
「いえ……私、たぶん泣いちゃうから会わずにおこうと思います」
「そうか。うん、その方がいいのかもしれんなぁ」
サルヴォ伯爵はしみじみ言ったが、すぐににやりと唇の端を持ち上げた。
「ならばサシで飲もうか。私の執務室に上等の酒をこっそり隠しているんだ」
「よろこんでご相伴に預かります」
「きっと君のことだから、そのダシュト村でも色々と活躍したんだろう。酒の価値に見合う奇譚を期待しているよ」
「伯爵の秘蔵のお酒のお供には役者が足りませんが、獣人の村は不思議なところでしたよ。ひょんなことから私が神の従者ということになったりして……」
執務室への道すがら恵里がダシュト村での顛末を話し始めると、伯爵は興味深げに耳を傾けてくれる。楽しげで穏やかな空気が、緊張していた恵里の心をゆっくりと解きほぐしていくのだった。




