13.鈍色の白銀(十一)
”空飛ぶ無頭立て”が音もなく着地したのはニールバー連邦議会議事堂の広い中庭の芝生の上だ。
「大丈夫なの?勝手に入っちゃって……」
リリィは心配気にキョロキョロしている。本来なら身元の照会をしなければ入れないような場所だ、リリィが不安に思うのも道理だろう。遠くに見える門番、豪剣グーリンはこちらに背を向けて侵入者が立ち入らないように見張っている。
「大丈夫だよ、約束してるから」
「約束?」
「正午に議事堂の中庭に迎えに来るってね」
「一体誰を……」
リリィがそう言いかけたところで、議事堂から二人の人影が出てきた。
「やあニーノ。これが例の”空飛ぶ無頭立て”かい?」
とサルヴォ伯爵。そしてその隣にいるのはもちろんオルロ商人組合の重鎮、セミオンだ。
「ディアゴから聞いて驚いたぞ。銀取引だって?俺が慈善家じゃないのは知っての話だろうな」
「順番にお話ししますから、とりあえず馬車に乗って下さい」
「大丈夫なんだろうねぇ」
いささか及び腰のサルヴォ伯爵に対し、セミオンは少年のように目をキラキラさせながら”無頭立て”に飛び乗った。その対比を面白く眺める恵里である。
「セミオンはご存知でしょうが、サルヴォ伯爵にはご紹介しておきましょう。彼女が”無頭立ての運び屋”ことバルデリ・リーガン、通称リリィです」
突然のことにリリィは面食らった様子だったが、さすがに取り乱したりはせず丁寧に礼をした。
「初めまして、伯爵様。オルロで運び屋稼業をしておりますバルデリ・リーガンと申します」
伯爵は淑女に対するようにリリィの手を取って片膝を落とした。
「やあ、君がかの有名な。以前ニーノの送別会で見かけたかな、麗しく逞しきレディ」
「嫌ですわ伯爵様。意地悪おっしゃらないで」
「そうですよ、伯爵。これからリリィの操縦を実際に体験していただくんですから、あまりからかうと大変なことになりますよ」
笑いながら恵里が言うと、リリィはキッと顔を上げて恵里の肩を小突いた。
「ニーノ、あんたがそれを言う!?」
「ははは、可愛いからついからかいたくなっちゃうんだよ。ごめんごめん」
「まったくもう……」
リリィは膨れっ面をしながら荷台の扉を閉め、御者台へ乗り込んだ。そうして”空飛ぶ無頭立て”は静かに走りだしたのだった。
リリィが少し抑え気味に走らせているからか車体に揺れは殆どなく、風切音もそう煩くはない。
「”無頭立て”の乗り心地はいかがでしょうか?」
「うん、悪くない。ちっとも揺れないんだな。でも外が見えないとつまらんね」
セミオンはそう言って伸び上がった。荷台には窓を設けていない。基本的に人を乗せることを想定していなかったからだ。それなら雨が降り込んだり荷が落下したりするリスクが少ないほうがいいし、窓があればその分強度も下がってしまう。
「ああ、本当に走っているのか首を傾げたくなるくらいだ。第一どこへ向かっているのかね」
「それは到着してからのお楽しみということで。ところで、お二人にご覧頂きたいものがあるのです」
恵里は手にした革の鞄の中から銀塊を取り出した。縦横十五センチ、厚さ二センチ程度の純銀三キロである。
「ダシュト銀山産出の銀です。精錬も現地で行い、この状態での出荷が可能です」
「質は?」
「精緻な鑑定をしたわけではありませんが、鍛冶師ジッロ・トヴィの見立てではかなり良質であると」
「ほう、彼が言うのなら間違いなかろう。それでニーノ、その銀塊は幾らで仕入れた?」
恵里はちらりと伯爵を窺った。銀の値段について商人組合と連邦議会とで折り合いが付いているのか分からなかったからだ。恵里の視線に気づいた伯爵が頷く。正直なところを話しても良いということだろう。
「銀三キロ、価格は五万ネイです」
「五万か。経費次第というところだな、いかんせん西の山脈越えというのは……」
セミオンは渋面を作って腕組みしている。ニールバーでの銀のレートだと銀三キロは六万ネイとなる。コストを考慮した上でそれを安いと取るか、高いと取るか。恵里は緊張してセミオンの言葉を待つ。
「交渉の余地はあるのか」
やはりそう来るか。恵里はもう一度伯爵を見た。今度は、伯爵は首を振った。
「最低価格は議会で決める」
「ふん、ま、そうだろう。どの位を想定している?」
「キロ一万五千」
「おい、経費のことも考慮してくれよ。あまり変わらんじゃないか」
「議会への売値はいつも通りでいい」
連邦議会はニールバー国内で流通する通貨の発行権を持っている。地金価格六百ネイの銀三〇グラムが千ネイ銀貨になるわけだから、銀貨を鋳造することで議会はシニョリッジを得るという仕組みだ。といって乱造してインフレを引き起こしてしまうと、逆に財政は逼迫することになる。その塩梅は慎重に見極める必要がある。おそらく議会でかなり喧々諤々やって来たのだろう、伯爵が少しやつれているように見えるのはきっと気のせいなどではないはずだ。
「……いいだろう。空路とやらがまともに稼働するんならな」
大きく息を一つ吐き出して、腹の決まった声でセミオンが言った。
「交渉成立だな」
伯爵が差し出した手をセミオンが握り、恵里はその握手の上に自分の手を置いた。
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはないさ。言っただろ、俺は慈善家じゃないんだ」
「しかしニーノ、前提条件を忘れてはいまいな?」
前提条件。つまり、オルロとダシュト間が果たして現実に空路で結べるのかどうかということだ。恵里は立ち上がって御者台と荷台を隔てる板壁をノックした。するとスライド式の小窓がスイと開いてリリィが顔を覗かせる。
「後どれくらい?」
「もう到着よ。これから着陸するところ。皆さん、念のため手近なものに掴まってくださいね」
その言葉に伯爵とセミオンは身構えたが、リリィの慎重かつ丁寧な操縦はほんの少しも車体を揺らすことなく実に軽やかに、重い車体をそっと地面へと着地させたのだった。
「どうぞ」
リリィが外から荷台の戸を開けると、ぱあっとまばゆい外の光が車内に差し込んだ。一瞬眩んだ目を薄く開いてみれば、眼前に聳えるのは白く大きなお屋敷である。
「まさか、ここは……」
伯爵は目を丸くして辺りを見回している。そう、”無頭立て”が着地したのはサルヴォ伯爵領ロレントの伯爵邸の庭だ。伯爵の家族は皆オルロに逗留中とのことだったので懐かしい顔に出会うことはないだろうし、当然二人にとっては馴染み深い場所だから、オルロから移動にかかる距離と時間の感覚も把握しやすいだろう。そう思って恵里はここを目的地に選んだのだ。
オルロとロレント間はおよそ六、七〇キロ。”無頭立て”に乗っていた時間は三〇分というところだから、伯爵が仰天するのも道理である。
「信じられん。どんな駿馬でも一時間以上はゆうにかかるのに」
「お二人が乗っておられますから、今回はゆっくり飛んでおります」
ちょっと得意げな表情でリリィが言うと、伯爵もセミオンもその言葉に素直に驚いてみせた。
「なんと!では、もっと速く飛べるというのかね?」
「ええ。同じ距離なら十数分ほどかと」
「……何ということだ!」
目をこぼれんばかりに見開いた全く同じ表情の二人が面白くて、恵里は吹き出しそうになるのをこらえながら「いかがですか」と問うたのだった。
「オルロ・ダシュト間の空路構想、決して夢物語ではないとご理解いただけますでしょうか」
「ああ、これじゃ認めざるをえんだろう」
「実際にこうして乗ってきたんだからなぁ」
伯爵とセミオンは顔を見合わせた。体験しても尚、いまいち実感は湧かないものらしい。飛行機に限らず一般的に普及していない技術というのは得てしてそういうものなのだろう。
「では改めて、交渉成立ということで。さっそく、あす朝ダシュトへ出発しようと思っておりますが、商人組合のどなたかにご同行をお願いできますか」
「私が行くよ、最初だからね。ところでダシュトというのは山あいの鉱山の村ということでいいんだね?」
「ええ。獣人の村です」
「ふむ、明日までに色々見繕っておこう」
「……というと?」
「せっかく行くのに商売しなけりゃ意味がなかろう」
「ははあ。お見それしました」
さすがは商才溢れる大商人。決して商機は逃がさない。恵里は呆れるような感心するような気持ちで不敵な笑みを浮かべるセミオンを眺めるのだった。




