08.鈍色の白銀(六)
恵里とジッロがダシュトに滞在し始めてから一週間と少し。”ホル・シェド”としての使命に燃えたのか、ジッロは村人たちに石切道具の手入れの方法を指導し、さらに希望する者には野鍛冶を教えたり、その傍らで鍋釜の修理や包丁砥ぎなんかも請け負うようになった。恵里でも”鍛冶師ジッロ”の姿を格好いいと思うのだから、筋骨たくましく鉄を打つその様に幼いナセルが憧れを抱くのも道理だろう。ナセルはすぐにジッロに懐き、一番弟子を自称しては鍛冶場の中をくるくると忙しく飛び回っている。手先が器用で案外目端の利くナセルだから、ジッロも重宝しているようだった。
「ジッロってば、すっかりカミサマになっちゃったねぇ」
昼時、恵里は”ホル・シェド”に捧げられたお供え物のおこぼれにあずかろうとジッロを訪ねた。朽ちかけていた吹き場は鍛冶場として改修され、今ではすっかりジッロの仕事場になっている。”ホル・シェド”の働きも目覚しいジッロのもとには毎日のように野菜や果物、木の実といった貢物が届けられ、恵里がそれをたかりに行くのもほとんど日課のようになっていた。
「ホル・シェドって呼ばれるのには馴れねぇが、毎日やりがいはあるな」
ジッロは額に浮かぶ汗を拭い、汲んだばかりの冷たい井戸水を飲み干した。朝晩はまだ冷え込むが、日中は身体を動かすと汗ばむくらいの初夏の陽気である。それでも村の空気は相変わらず説明のしようがない陰鬱さに包まれているのだった。もしかするとこの村の呪いは、鉱山病によるものだけではないのかもしれない。
「ニーノ、そっちはどうなんだ?」
恵里は恵里で”シェドの従者”の任務を全うすべく、魔封箱の製作を始めていた。坑道内が常に新鮮で清浄な空気で保たれるように、風の魔封箱で空気の循環を制御する換気システムを作るためである。鉱山という大きな空間の空気の流れを常に一方向に規定するには大型の魔封箱が必要になるのだ。
「まあ順調だよ。今は魔封箱を作ってる最中」
「ああ、あの魔法の出る箱か」
魔封箱は内側に呪いを描いた板を組み合わせたもので、呪図自体もそこそこ複雑なのに加え、箱の組み立てにも少々骨が折れる。釘などを使わない組接ぎの手法なので、かなり正確な加工が求められるのだ。隙間などが空いていたらそこから魔法が漏れてしまう。イェーラに頼んで木工細工の得意な者を集めてもらい、イェーラも含めて五人ほどで作業をしているところだ。
「何にしても、お互い妙なことになっちまったもんだよな」
感慨深げにジッロが言う。恵里も同感だ。よもや”神”に祀り上げられることになろうとは。全く何が起こるか分からない世の中である。そもそも、恵里にとってはこの世界に来たこと自体が既に想定外の事態で、それは常に実感していることではあるのだが。それでも一寸先の闇路も面白おかしく歩いて行こうと心に決めてからは、この世界の諸々がずっと楽しく感じられるようになっていた。
「でもさ、”ホル・シェド”の座は居心地いいんじゃないの?皆にかしずかれて」
「勘弁してくれ、息が詰まりそうだぜ」
精神の弱いものならば、思いがけず手に入れた地位に溺れ、その権力を縦にするのかもしれない。けれどもジッロに驕り高ぶったところはまるでなく、一流の鍛冶師という矜持を持って村人たちと接している。恵里の質問に弱りきった顔で答える、ジッロのその清廉さ高潔さを恵里は好ましく思う。だからこの男は性根の真っ直ぐないい奴だというのだ。
「けど、やりかけた事を中途半端にはしたくねぇから、もう少しここに滞在したいと思ってるが…お前、箱が出来上がったらどうするんだ?」
「前にも言ったけど、空路の開発!」
「だからさあ、何なんだよ空路って」
「多分できると思うんだけどね。やってみないと何とも」
「ふん…ま、俺ぁお前の奇想天外なところも嫌いじゃねぇけどさ。見てて面白ぇし」
「へへっ、ご期待に添えるよう頑張りますよ」
思いがけないジッロからの評価が嬉しくて、何だかニヤニヤしてしまう恵里なのだった。
完成した魔封箱二十個のうち、坑道内に設置したのは八個。入り口から奥の通気口へ空気の流れが一方向になるよう試行錯誤を重ね、最適な場所に魔封箱を配置した。その結果、常に新鮮な空気が切り場まで届くようになり、坑内の環境改善はこれで一段落というところだろう。これなら採掘現場を除いて、坑内でもマスク着用を義務付けなくても良さそうだ。”轡”の着用を嫌がっていた者達はもちろん、マスクにさほど抵抗のない者からも煩わしさから開放されるとあってずいぶん歓迎された。何より坑内に淀む汚れきった空気が目に見えて一掃されたことは、呪い払いの為に遣わされた”シェドの従者”としての面目躍如というところである。
換気システムの構築に魔封箱八個で済んだのは、絵里の魔力が以前と比べて格段に強くなっていたからだ。魔力は体力と同様に鍛えれば増加するものなのか、あるいは絶対量に変化はなくて出力効率が上がったのか、どちらかは恵里にもよく分からない。いずれにしても大型の魔封箱に封じた風魔法は数ヶ月は保ちそうな感じである。交換用に用意した残りの八個も含めたら半年ほどは機能するだろう。その後のことについての算段に、残りの四個の魔封箱が鍵になるのだ。
「イェーラ、銀を三キロほど買いたいんですが用意できますか?」
「数日…待ってもらえるならば」
「構いませんよ。支払いは五〇万ラルード、もちろん現金一括で」
恵里の提示した額に、イェーラは大きく目を見開いた。
「ま…まさか、そんな大金…!」
「ここの銀はそれだけの価値はある。普段の取引が不当だとは薄々感じていたでしょう」
「それはそうだが、仕方がないのだ。我々は人間の街へ取引に出向くことも物を買うことさえも出来ないのだから」
その辺のことも、恵里の空路の構想が上手く行けば解決できるはずだ。ただ上手くいくかどうかはまだ、やってみなければ分からないような段階だから口には出さなかった。
「…まあともかく、銀をお願いします。ラルードは用意してますから」
「ニーノ、あなたは我々の村のために無償で働いてくれた。鉱山の毒を払い、重い呪いを患った者の手当も教えてくれた。せめてそのくらいの銀は礼として…」
「”シェドの従者”として歓待してもらったんですから、村のために働くのは当然でしょう。シェドが見返りを要求しないのと同じ事ですよ。それと取引は別の話。お金は村のために有意義に使って欲しい」
「あなたがそう言うのなら…」
イェーラはまだ何か言いたそうにしてはいたが、それ以上押し通そうとはしなかった。恵里の”シェドの従者”としての顔を立ててくれたのだろう。
そうして取引が無事に成立したら、次に取り掛かるのは銀取引の仲介役としてニールバーに戻るための準備だ。そこで必要になるのが、例の魔封箱である。銀の用意ができるまでの間、恵里は魔動バイクの改造に没頭した。バイクに魔封箱を組み込むことで、より高く速く飛べるのではないかと考えたのだ。ヒントになったのは、盾で空を飛んだ時の経験である。盾よりもずっと安定性の高い魔動バイクならば、更に高度と速度を上げても制御が出来るはずだ。それに魔封箱ならば事前に魔力を貯めておけるので、飛行の為に魔力を使い果たすようなこともないし、走行中の疲労も軽減できる。
恵里はそれぞれ推進と浮遊の魔法を掛けた魔封箱二つをバイクに組み付けた。推進力は箱の開度によって決まるので手元で調節できるようにし、浮遊の方は一定の開度を保てるように工夫した。それから旋回しやすくするために、取り外し可能な小さな翼も取り付けた。そうすると何だかずっと空を翔ぶ乗り物らしく見えてくるから面白い。と言っても飛行機というよりは羽の生えたバイクという形容の方が近いのだが、実際に飛んでみると案外小回りもきいて操作もしやすい。離陸、飛行、着陸が問題なく無事にできることが確認出来れば、完成だ。
おそらくは魔動バイクを作ったのも飛行バイクを作ったのも、この荒唐無稽な異世界にあってさえきっと恵里が初めてに違いない。そう思うと、完成した魔動飛行バイクがずっと誇らしく思えてくる恵里なのだった。




