07.鈍色の白銀(五)
恵里とジッロが”シェドの従者”と”ホル・シェド”として村に受けいられらた翌日から、恵里は本格的に鉱山内の環境改善に取り掛かることにした。坑道の主要箇所には既に火魔法の照明を設置していたので、暗闇の不安からはずいぶんと解放されている。複雑に入り組んだ坑道の隅々まで明るいわけではないが、頼りないランプだけの時よりも格段に歩きやすかった。
まず恵里は坑内の見取り図を作ることにした。風の魔封箱をどこにどう設置すれば空気の流れがよくなるか、考えやすくするためだ。案内役を買って出てくれたのは小生意気で可愛いナセルである。物心付く前に父を亡くし、母の行方は分からず、幼い頃から過酷な労働を強いられ、そしてそれがどれほど辛いことなのかすらもナセルは知らない。ダシュトの村の者の境遇は概して同じようなものだから、そうした不遇さは悲しいことにここでは当たり前なのだ。けれども、ナセルのこの底抜けの明るさや元気さは、きっと生まれつきの性格に依るところが大きいのだろう。ぴょんぴょんと跳ね回る様子を見ているだけで、何かこちらまで楽しい気持ちになって来る。
「キビキビ歩けよ、従者様!」
恵里がメモを取りながら坑道を歩いていると、はるか先まで駆けて行ったナセルが振り返って叫ぶ。恵里が”シェドの従者”となった今でも、ナセルの口調は相変わらずだ。あえて言えば「お前」呼ばわりが「従者様」になった程度だろうか。肩書きに左右されない子供の目というのは、何より真実を写す鏡だ。恵里がそんなにご大層な人間じゃないということを、ナセルは子供の純粋さで見抜いているのだ。
「今行くからちょっと待って」
恵里はメモもそこそこに、苦笑しながらナセルを追いかけるのだった。
粗方坑道を見て回り、魔封箱の設置場所に当たりを付けて坑道を出てみると、何やら村の方が騒がしい。ナセルと恵里は顔を見合わせて首を捻った。
「どうしたんだろう?」
「行ってみよう!」
駆け出したナセルに恵里も慌てて着いていく。騒ぎが起こっているのは恵里たちが宿に借りている集会所の前、そしてその中心にいるのは”ホル・シェド”ことジッロである。
「何でこんな状態になるまで放っておいたんだっ」
ジッロは真っ黒に錆びてボロボロのツルハシを手にそう喚き散らしていた。
「ちょ、ちょっとジッロ?どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇよ!見ろこの有様を。とても見過ごしちゃおけねぇ」
どうやらジッロは鉱夫たちの持つツルハシやタガネといった石切道具があまりにひどい状態なのを目の当たりにして、鍛冶師の血が煮えたぎったらしい。
「この村に鍛冶場はねぇのか!?」
村人はお互い顔を見合わせ、困惑顔でささやき合っている。鍛冶というのにどうもピンと来ていないようだ。
「道具の手入れを一度もしたことないのかよ?」
「そう言えば…長老が生きていた頃、昔は吹き場ってとこで道具を手入れしたとか言ってたなぁ」
「ちゃんと吹き場もあるんじゃねぇか。案内してくれよ」
「それが長老も死んでしまって、どこがその吹き場なのか…」
「普通は仕事の前に手入れをするから、鉱山の近くだろう。小さな炉と金床なんかありゃ間違いねぇんだが」
「金床ってなんだい?」
恵里の隣にいたナセルが興味津々に尋ねる。ジッロの言葉を聞き漏らすまいと、耳をピンと立てているのが実に愛らしい。
「おう坊主、金床ってな鉄の作業台さ。平らになってて、その上で刃先を叩くんだ」
「うーん、おれ知ってるかも!こっち!」
駆け出したナセルを早足で追い掛けるジッロ、恵里もその後に続く。遠巻きにしていた村人たちもゾロゾロと着いて来た。何とも妙な行列である。
「ねっ、ホル・シェド!これ!」
ナセルが指差すのは鉱山前の広場の隅に立つ、半分朽ちかけた建物だ。壊れた木戸の代わりにクモの巣が張って、いかにも忘れ去られて久しいという風情である。蔓延るツタやクモの巣を払って入ってみると、中は案外広くカマドのようなものや確かに金床らしきものもある。槌や火箸、フイゴなんかも転がっていて、子供の目には宝の山だったことだろう。きっと秘密基地にして遊んでいたに違いない。
「大正解だ坊主、偉いぞ。ここが吹き場に間違いねえや」
ジッロに褒められて、ナセルは誇らしげに胸を張る。普段から村じゅうを駆け回るナセルだからこその功績だ。村人たちは思いも及ばなかったらしく、村にこんな所があったとはと驚いている。恐らく、この吹き場が機能していたのは恵里の感覚で言えばそう遠い昔のことでもないのだろう。しかしこの村の皆は短命だ。それが故に知恵や技術が次代に伝えられぬまま、この吹き場のように忘れられ打ち捨てられていったのだ。
「ニーノ!火床に火を入れてくれ。魔法の方が早いだろう」
ジッロがカマドを指して言う。パン屋の焼き窯には毎朝火を入れていたが、こちらは鉄を鍛えるのだからずっと強い火力が必要なはずだ。恵里は火と風の両方を駆使して火床を熱した。火が起きたらフイゴを手にしたジッロと交代する。
「ついでにこの桶に水も頼む」
「ったく、人使い荒いなぁ」
恵里は文句を言いつつも指示された大きな桶に魔法で水を注いだ。”鍛冶師ジッロ”のその真剣な横顔は、嫌いじゃない。
”ジッロ・トヴィ”と銘の入った剣を持つことは剣士の誉れ。とは、ジッロにぞっこん惚れている美少年剣士ルシアーノの言だが、余程納得したものでなければ銘を入れないジッロがその名を刻んだ剣は、金と権力の欲に溺れた者すらも魅了したことがあった。卑劣な手段も厭わず成り上がろうとしたデンインという男である。己の身を危険に晒す事になってさえ、デンインはあまりに出来の良いその剣を鋳潰すことが出来なかった。ジッロの腕がどれほど卓越したものであるのかが垣間見える逸話だろう。
そんなニールバーで当代随一と名高い鍛冶師のジッロ、その彼が丹精を込めて石切道具に焼きを入れ直すのだ。
「おお…何ということだ」
「奇蹟だ…!」
遠巻きにジッロを見守る住人たちがざわめいた。ほとんど手入れがされないまま鉄塊と化していた石切道具がみるみると息を吹き返し、ジッロが槌をひと振るいするごとに本来の姿を取り戻していく。村の者達の目に、それはまさしく鋼を司る神”ホル・シェド”の姿として映ったはずだ。見事に蘇った道具を手に、鉱夫たちは皆ジッロの前にひれ伏して鋼の神を崇め称える。そんなジッロが恵里まで神々しく見えてくるのだから、不思議なものだ。
「道具は、手を掛けてやると身体に馴染んでずっとよく働くようになる。この村には鍛冶師はいないみたいだから、各々自分の道具の手入れの仕方は覚えておいてくれ」
”ホル・シェド”の奇蹟を目の当たりにした住人は、鋼の神の業が下賜される感激にむせび泣き、その思いがけない僥倖に崇敬の祈りを唱えるのだった。




