06.鈍色の白銀(四)
「昨日一日何してたの?ていうか、あの時何で逃げ出しちゃったわけ?」
恵里の質問にジッロはきまり悪そうに頭を掻いた。
「”犬頭”といや、俺の生まれた土地じゃ死神の代名詞だったもんでよ。お伽話だと思ってたらホントに現れたんで、もう肝が潰れちまってさ」
イェーラによれば、彼らの種族が森の外に出ることは滅多にないらしい。西の街サニエラに住む者は何かの拍子に森で彼らを見かけることがあるかもしれないが、険しい山脈で隔たったニールバー国ではそんな機会もないのだろう。しかし、見慣れぬからといって死神呼ばわりとは、何か理由があるのだろうか。
「死神とはずいぶんと穏やかじゃない形容だねえ」
「正確には確か、”死者を迎ふる者、あるいは冥界の門番”だったかな、端的に言や死神って事だろ」
いささか乱暴な気がしないでもない。けれど、長い歳月を経てディティールが端折られていくのはある意味仕方が無い事なのだろう。
「獣人って種族がいると知っちゃ、ここの人らを死神なんて思いやしねぇけどよ。あの時は不意打ちだったからさ…」
ジッロは言い訳がましく呟いて口を尖らせた。
「それで、あの後はどうしてたの?私はイェーラの家に泊めてもらったけど」
「この先の街でお前のこと待ってたんだ。別々の方向に逃げたんだろうと思ってさ。でも夜になっても朝になっても来ねえから、心配になって戻ってみたんだ」
そうして恵里が残したメモ書きを見つけ、かと言って単身無防備で乗り込むのも躊躇われて森の陰から村の様子を伺っていたらしい。
「お前の姿見つけたときはホッとしたけど、何か様子がおかしいしお前が食われるんじゃねぇかと思って、俺もう無我夢中で」
「死神と思ってる相手に斬り込んできてくれたわけでしょ、私を助けるために。ジッロってホント勇気あるよね」
「皮肉かよ?」
「違うって、感激したし感謝してるんだ」
例えば、ジッロが大鎌を手にしたおどろおどろしい骸骨の群れに囲まれていたとして、自分はそこに飛び込んでいけるだろうかと考えるとどうにも心もとない。死神に立ち向かうなんて並の覚悟じゃできない事だ。ジッロって男は本当に友情に厚くて男気に溢れた奴だと改めて噛み締める恵里である。
「ジッロの気持ちはすごく嬉しかったよ。ありがとう」
たとえそれが勘違いであったとしても。不思議な巡り合わせもあったもので、そのお陰で思いがけずシェドの称号を授かることになったし、後の話は非常にスムースに進んだのだった。
「シェド!我らが守護神!」
そう口々に唱えてはひれ伏すダシュトの村人の前に恵里は片膝を付いた。立って彼らを見下ろすのは横柄すぎるように思ったのだ。
「皆さん、どうか顔をお上げください。私はシェドの従者です。シェドは村の呪いを嘆き私を遣わされました。呪いを払うには皆さんの協力が必要なのです」
「おお、シェドの従者様。どうか我々をお救いください」
「呪いを払ってくださるならばどんな協力も惜しみません」
シェドというのは彼らにとってかなり強い崇敬の対象らしい。今までの猜疑や敵愾心は雲散し、もはや盲目にも近い信奉と崇拝を”シェドの従者”たる恵里に向けるのだった。
「先ほども言いましたが、坑内に満ちているのは毒の空気です。これをすぐに浄化するのは難しい。ですから、毒を吸わないようにマスクを装着して欲しいのです」
牙を奪う轡と同じマスクの形状にはかなり抵抗があるようで、さりとてシェドの言いつけにも逆らえず、彼らは葛藤の唸り声を上げる。
「し、しかし…そんなものをしては、余計に息苦しいのでは」
おずおずと誰かが言った。
「マスクの内側には風を生む石を仕込みますから、その心配は要りませんよ」
「だが、だが…」
「マスクは鉱山に入る時だけ着けてもらえれば良いのです。仕事着のようなものだと思ってください」
「普段はしなくて良いのか」
「もちろんです」
「それならば…」
仕事に必要なものだと割り切る。彼らにとってはそれがギリギリの妥協点なのだ。
「では、作り方を説明しますから、各自で製作をお願いします。ちゃんと身体に合ったものでないと、毒の空気が入り込んでしまいますから」
そうして恵里の指導の下、各々で防塵マスクを作ってもらった。轡を着けるなど、とはじめは嫌がっていた者も実際に装着してみると存外に風魔法が心地良かったらしく、坑内に入る際は必ず着けると約束してくれた。マスクをしたからといって呪い、つまりじん肺症への効果が一朝一夕で現れるものではない。そのためにマスク着用の重要性を理解してもらえるか不安だったが、作業中の息苦しさが軽減されるとあれば皆進んで利用してくれるだろう。
恵里とジッロも同じように防塵マスクを作り、イェーラに案内してもらいながら坑内に入った。火魔法のランプを取り付けるためである。油を燃やして明かりを得るランプは、その油煙もまた空気を悪くする原因のひとつなのだ。
村人に襲いかからんと最悪の形で登場したジッロだが、不思議なことにすぐ村人たちから受け入れられた。というのは、ジッロが”ホル・シェド”と認識されたためらしい。”ホル”というのは守護者、あるいは側近という意味で、”ホル・シェド”もまた剣と鋼を司りシェドを守護する者としてシェド伝説に登場する武神なのだそうだ。ジッロが剣を振り上げて突っ込んできたのは、シェドの従者である恵里を護ろうとしたのであって、村人に危害を加えるつもりはなかったという理屈である。それはまあその通りなのだが、案外彼らは素朴というか、信じ込みやすい性質を持っているらしい。きっとこの村には騙し騙されるという観念がないのだ。だから不当な銀取引にも甘んじているのだろう。恐らくは、もっともらしい事を言われてそれを信じきっているのだ。
そしてその晩、恵里とジッロは村の集会所を宿に借りて再会の酒を酌み交わしているのだった。
「先にある街っていうのはサニエラ?」
「そうだ。オルロほどじゃねぇけど、割とでかい街だったな」
「両替はした?」
「ああ。この辺の通貨はラルードっつって、概ねネイの十分の一ってとこかな。両替商の話じゃ山脈の西側で広く使われてるらしい。しばらく使うことになりそうだから、五万ネイ分ほど替えてきた」
「五十万ラルードってことね。物価はニールバーと比べてどんな感じ?」
「そうだなぁ、ちゃんと見て回ったわけじゃねぇが、食いもんに関しちゃそう変わらなかったな」
食料品の相場が同等ならば麦の価格もさほど変わらないはず。やはりここでははかなり不当な銀取引を強いられているようだ。
「貸してもらえない?」
「そりゃ構わねぇけど、いくらくらいだ?」
「全部」
「はぁっ?」
ジッロは目を丸くして額にシワを寄せた何とも言えない顔をした。
「…説明しろよ」
しかし驚き呆れていたのもつかの間で、ジッロはすぐに真面目な表情でそう問う。まったく話が早い。ジッロのこの察しの良さも恵里は好きなのだ。
「ニールバーでの銀の相場は?」
「グラムあたり二〇ネイ」
「千ネイ銀貨一枚だと…」
「銀貨は三〇グラムだ。地金だと六〇〇ネイ相当だな。お前、この銀山と取引でもするつもりか?」
恵里は舌を巻いた。なんて聡い男だ。
「うん。ここだと銀三〇グラムで買える大麦が一、二キロ。物価の差を考えずに単純にネイ換算すれば多く見積もっても五〇ネイ。ニールバーでの相場の一二分の一ってことになるね」
「ここの銀の質は高いし、サニエラもそう遠い街じゃない。いくらなんでもそりゃ不当だろう。それでお前、ここで銀商人でも始める気なのか?」
「いや、オルロ商人組合とダシュト銀山の仲介をするつもり」
「バカ言うなよ、あまりにも非現実的すぎるだろ。オルロからここまでどれだけ掛かったと思ってる。輸送費で差額なんぞ消し飛ぶぞ」
「陸路だったらね」
「山越えする他にどうするってんだ。ここには川なんてねぇんだぞ」
川はないし、もちろん海もない。それで陸じゃないといったらつまり。
「空がある」
「はぁっ!?」
再びジッロの面に現れた、目を見開き額にシワを寄せたこの表情。何とも味わい深い。
「何言ってんだ、空だと?」
「ちょっと考えがあるんだ。とりあえず五〇万ラルードで銀三キロを買う。それを手土産にオルロに戻って商人組合と連邦議会に話をつけてくるよ」
現在の連邦議会の代表はサルヴォ伯爵が務めているはずだから、話の通りも良いはずだ。
「ずいぶん簡単に言うけどよ、往復するだけでも何日掛かるか…」
「だから、考えがあるんだって。まあ、とりあえずは鉱山の環境改善を優先するけど」
「俺、時々お前の考えについて行けねぇよ」
ジッロはため息混じりにそう呟いて、手にした酒をぐいと呷った。ダシュトでも酒は作られているが、祭事の時にしか飲まれない貴重なものらしい。あの食卓を見ればそれも頷ける。酒では腹は膨れない。
いつか、ここでも皆が当たり前に酒が飲めるようになればいい。そんなことを考えながら、恵里もスキットルボトルを傾けるのだった。




