02.長い旅路の始まり(二)
人を拒むような険しい山脈だが、その東西で全く行き来がないというわけではないらしく、山腹を巻く峠道は細いながらも確かに続いている。しかし交易となると、馬車が通れるほどの道幅がないために規模の大きなものは難しかろうと思われた。
恵里とジッロは片やバイク、片や馬に乗って、春の草花が青々と茂る山道から雄大な山脈を眺めるのだった。
「しかし、いつの間にこんな立派な馬を?」
ジッロが跨っているのは本当に巨大な馬で、バイクの高度を地上から二メートル辺りまで上げないと、ジッロと目線が合わないのだ。恵里はしげしげと隣に並ぶ黒馬を見つめた。その首はがっしりと太く、前足を支える胸筋は隆々としていかにも力強い。 並の血筋でないことが窺える。
「ロレントの東の草原に昔からいる馬なんだ。誰にも捕まえられないし、誰も捕まえようとはしなかった」
「主ってこと?それ捕まえてきたの?」
「いや、普通の馬を探しに草原に行ったら、こいつが勝手に着いて来た。一緒に行くかって聞いたら、」
ブルルッ!
と馬が鼻を鳴らした。まるで会話を聞いていたかのようなタイミングである。
「という訳だ」
ここは魔法の世界だ、人語を解する馬がいたって不思議ではないだろう。しかしこの規格外の大きさといい、魔獣なんじゃないかと訝しまずにはいられない。恵里の乗る魔動バイクの”聖なる木”の匂いを嫌わないのだから魔獣とも言えないのかもしれないが…まあ害をなさないのならどっちだって構わないか。恵里はひとりそう納得して、改めてジッロの乗る黒馬を見遣った。
「名前は?」
「黒王号。どうだ、いい名だろう」
…おっと、黒王号と来たか。するとバイクの恵里はモヒカン役ということに…いやいや。懐かしいマンガの話は置いておいて。
「黒く艷やかな毛色に堂々たるこの巨躯、黒王号の名に相応しいと思うよ」
「そうだろう、そうだろう」
ブルルン!
腕組みしてうんうんと頷くジッロに得意気にいななく黒王号。何だ、もう既にいいコンビじゃない。恵里は思わず苦笑してしまうのだった。
「それにしてもさぁ…こんな突然旅に出ちゃってあんた家族は?仕事とか、友達とか、あっルカはなんて言ってた?平気なわけ?」
恵里の矢継ぎ早な質問に、ジッロは後頭部をがりがりと掻いた。
「家族ってもな、俺にァ女房も子供もいねぇし、親はガキの頃に死んじまったし、代わりに育ててくれた親方もトルドさんもしっかり修行して来いって言ってくれたしよ。ルカは…そうだなぁ、」
「反対されたでしょ?」
「今生の別れってわけじゃねーんだから反対とかはねぇけど、そういやあいつヘンなこと言ってたな」
「ヘンなことって?」
「ニーノが女だったらどうするとか何とか」
「はぁッ!?」
恵里は目玉を剥いて心の中でルカ〜〜〜!と叫んだ。一体あんたどういうつもりなのよ!?
「だろ、俺もさっぱり意味が分かんなくてよ」
「そ、それで?」
「いやだから意味分かんねぇし、ニーノが女になったらどう思うかってことかって聞いたら、そうだっつーから」
「で…で?」
「運び屋のリリィよりゃマシじゃねーかって答えたら、あいつ爆笑してたぜ。ホント何考えてるのか分かんねぇ奴だよな」
ルシアーノの笑い転げる様が眼に浮かぶようだ。恵里はムカムカと湧いた怒りのまま、ジッロの上腕辺りを思い切り拳で殴りつけた。
「いてっ、何だよ。何怒ってんだ?」
「知らない!」
「何だよ?ニーノ、待てよ」
ジッロが旅に同行すると言って姿を現した時、最初に思ったのはルシアーノのことだった。惚れた男が長旅に出ると言って、しかも女の恵里との二人旅なんだからきっと相当反対したんじゃないかと思ったのだ。けれどルシアーノは自分の感情で修行に出る男を引き止めるほど子供ではなかった。それに、恵里を全く男としか思っていないジッロの返答はさぞ愉快だったことだろう。意地悪なニヤニヤ顔が容易に想像できる。
「ルカぁ…」
恨みがましく言った名前が峰から吹き降ろした一陣の風に乗ってオルロまで届けばいい。そうしたらルシアーノはもっと喜ぶかもしれないけど。振り返っても、山脈に遮られてニールバー国の姿はもう見えない。
初日の行程は思ったよりも順調だった。その半分は黒王号のおかげだと恵里は思う。大男のジッロと彼の荷物を満載していながらどんな急登でも意に介さず、ほとんど休憩を取らずとも疲れ知らずの持久力。黒王号というペースメーカーがいなければ、恵里は張り切り飛ばしすぎてとっくにバテていたに違いない。
黒王号が並の馬と違うのはそれだけではない。山越えの途中、岩場に差し掛かったときのことだった。何の変哲もないように見えた石ころをしきりに気にして、何かをジッロや恵里に伝えようとするのだ。不思議に思ってその石を拾い上げてみれば、驚いたことに天然の魔封石である。その辺りの岩場一帯はどうやら魔封石の鉱床らしい。
「すごい、黒王号、偉い!」
恵里が手放しで褒めそやせばヒヒン!と胸を張るが、どうにもこの馬の素性が怪しく思えてならない恵里だった。とはいえ、魔封石をたくさん手に入れられたのは運がいい。魔封箱の作り方は魔女に習って知っているが、とりあえず目ぼしいものをずだ袋に詰め込んで浮遊魔法をかけた。そうして魔動バイクにくくりつければ、浮遊魔法の労力から開放されるというわけだ。
夕暮れまでにいくつか峠を超えて、最初の野営地は低木がまばらに生える草地に決めた。恵里は茂みの脇に一メートルほどの棒を立ててロープを渡し、幌用の布で作ったテントを張ってその端とロープをペグで固定した。中に絨毯を敷いて魔封箱で空気を温め、羽毛入りの寝袋に入れば日が暮れて急激に冷え込んだ山の夜でもまあまあ快適に過ごせるだろう。形は少し違うがジッロもテントを立て、日暮れ前にはキャンプの準備は整った。
魔封箱のコンロに鍋を掛け、干し肉と野草を具にオーツ麦の粥を炊く。食料は色々持ってきていた。低温発酵させてじっくり焼いたクラッカーや乾パン、ナッツ、ドライフルーツ、チーズ、干物や燻製などなど。魚は捌けても哺乳類を捌くのはちょっと難しい恵里にとって、携行食は多めに用意しておくに越したことはない。それから野草の知識と魔法で火や水が出せるのは旅をする上で大きな利点だった。まったく魔女さまさまである。
「はい、ジッロ」
オートミール粥をつぎ分けてジッロに手渡す。ジッロはお返しとばかりに炙った燻製肉を恵里に差し出した。
「ありがとう」
一日の終りの食事を噛み締めながら味わう。暖かな粥の優しい味と濃厚な燻製肉の旨みが疲れた身体に染み渡るようだ。
「あーあったまるなぁ」
「ニーノ、お前は家族はいるのか?」
「うん?両親はいるよ。年に一、二回しか帰らないけど、会わないのと会えないのとでは違うよねぇ。ジッロはご両親のことぜんぜん思い出せないの?」
「親父の記憶は全くねぇな。俺が物心つく前に死ぬか蒸発するかしたんだろうよ。お袋のことはうっすらとだけ」
「どんなこと憶えてる?」
「長い、秋の麦穂色の髪で、俺が悪さをすると困ったように笑う人だった。細い指はいつもひんやりしてた。何となく覚えてるのはそれくらいだな」
ジッロの話に思い浮かぶのは美しく儚げな淑女の姿。恵里はジッロの横顔にその面影を探した。よくよく見れば整っている方だろう。すっと通る鼻筋や涼し気な目元は母親譲りだろうか。
「何だ、ジロジロと」
「見ようによっては男前だなあと思って」
「何言ってんだ、どこからどう見ても男前だろう」
「ははは」
「へっ、まあいいや、乾杯しようぜ」
「何に」
「旅の始まりに!」
二人は平たいスキットルボトルに詰めたウイスキーで乾杯した。降るような星空の下、焚き火に頬を染めながら嘗める酒はまた格別だ。幸先の良い旅の始まりに心地良く酔う二人を、夜の帳が優しく包むのだった。




