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高く翔べ、ニーノ! 〜恵里の異世界奮闘記〜  作者: 羽牟
第三章 異世界の旅人
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01.長い旅路の始まり(一)


 高く険しくそびえ立つ西の山脈。恵里はいくらか登山の経験があったが、見上げる峰々の標高は日本アルプスの倍以上はゆうにありそうだ。魔動バイクだからガレ場だろうが崖道だろうが足元の不安定さの影響は大してないものの、平地を自由に駆け回るのに比べると段違いに体力を使った。

 急峻な山肌に荒々しく突き出す巨大な岩の上にバイクを停め、恵里は眼下に広がるニールバー国を見渡した。登ったばかりの太陽が照らし出す広大な平野。キラキラと朝日を反射するペギア伯爵領はかすかに見える。だが、オルロやサルヴォ伯爵領はもう判別がつかない。この国で過ごした一年は本当に楽しくて素晴らしい日々だった。振り返っては、足が岩に張り付いたように動かなくなる。感慨は次から次に湧き上がった。いつまでも名残は尽きない。


 出発の前日、恵里は魔女の隠れ家を訪ねた。出立の報告をしようと思ったのだ。剣技大会にも大会の打ち上げにも誘っていたのだが、断られてしまった。人前に出るのがよほど嫌いらしい。魔女アーデル、誰もが名前を知っている生ける伝説なのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

「決めたのかい」

「うん。明日、発つよ」

「そうか、気をつけてお行きよ」

会話は、短い。お互い機微を読み違えるようなことはないから、それで十分だった。緩く沈黙が流れる。それはやわらかな手触りで恵里の心を暖かく満たした。魔女の家を出た時のことを思い出す。恵里が素晴らしい縁に恵まれかけがえのない日々を過ごせたのは、きっとあの時魔女がかけてくれた祝福魔法のお陰なのだろう。

「もし魔道士ノモルテに会えたら、何か伝えることはある?」

 魔道士ノモルテ。魔女アーデルに魔法の使い方を教えた男。アーデルが焦がれた不死の男。

「…これをお返ししておくれ」

魔女はゆっくりとした動作で胸元から首飾りを取り出した。ペンダントトップは直径三センチほどの円形で複雑な紋章のようなものが刻まれている。魔女はそれを外し、恵里に差し出した。

「元々はノモルテ様の短剣の飾りだったんだ。何かの拍子に外れたものを、こっそり拾って首飾りにしつらえ直したのさ」

好いた人のものを身につけておきたいと思う幼い恋心は分からなくもない。少女アーガタが恋した結ばれ得ぬ人の思い出。恵里は手元の首飾りに目を落とした。凝った作りだ。そして良く手入れされている。細部まで黒ずんだ部分はなく、だが時を経て返す光は柔らかい。

「寂しくならない?」

「乙女は悠遠の彼方さ」

「分かった、預かるよ」

恵里はその首飾りを自分の首に掛け、大切に胸元へ仕舞ったのだった。


 朝焼けに染まるニールバー国を見下ろしながら、恵里は服の上から預かった首飾りを押さえた。

 すべては魔女の手違いから始まったことだ。けれども今はそれを恨む気持ちなど欠片もない。この世界での経験や出会いや思い出の何もかもが恵里にとっては宝物だった。平和な日本で平々凡々と暮らしていてはついぞ触れることもなかっただろう様々な出来事は、恵里をひとまわりもふたまわりも成長させた。この世界に来られて良かったとすら思う。

 ぼんやりとこの世界に来てからのことを思い返しながら、一方ではいつまでもこうしているわけにはいかない、もう行かなければ。そう思うのに、立ち止まった足は根が生えたように動かない。けれどもそれを無理やり引き剥がしたのが、

「いつまでそうやってんだよ」

と岩の下から掛けられた、聞き慣れた声だった。恵里が驚いて岩の下を覗き込めば、驚いたことにそこに立っていたのは。

「ジッロ!?」

「早く行こうぜ。陽が暮れちまうよ」

ジッロはばん馬のような巨大な青毛の馬にまたがって、呆れたような顔で恵里を見上げている。

「あ、あんた何してんの!?」

「俺、この国から出たことねーからさ。他の国の鍛冶技術も見てみてーし、ちょうどいい機会だと思って」

「いやちょっと待ってよ、いきなりそんな事言われても」

「何だよ、嫌なのか?」

「そういう訳じゃないけど…」

「じゃあ何なんだ」

「心の準備が」

「おかしな奴だな、なんで準備が要るんだよ。嫌か嫌じゃねぇかどっちかだろ」

嫌ではない。じゃあいいのか。そういうものか。

「…そうかもしれない。それじゃジッロ、これからもよろしく」

「応よ」

ジッロは機嫌よく胸板を拳でどんと叩いた。あれだけメランコリーに浸り切って立ち尽くしていたのが嘘のように、岩から飛び降りる恵里のその足取りは軽い。恵里の中で、別れの寂莫は出会いの希望へ、険しく辛い覚悟の旅路は気楽で愉快な物見遊山へとガラリと変化してしまったのだ。旅は道連れという言葉の意味を思い知る。同行者の存在がこんなにも心強いものだとは。

 そうして恵里とジッロは二人、肩を並べて歩き始める。はるか頭上に切り立つ残雪の峰々のモルゲンロートは、旅立ちを祝福するかのように美しく輝き、圧倒的な荘厳さで二人を迎えるのだった。

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