33.思い出と旅立ちの乾杯
ーーーこの国へ来たのは偶然でした。魔女のほんの手違い、それだけで身一つでこの世界に投げ出されたんです。
最初に出会ったのはお転婆で可憐な少女でした。彼女は家をこっそり抜けだしてガラの悪い男に追われていた。逃げる少女がアメリアで、追う男がジッロです。
「嫌よ、ニーノ!」
アメリアが顔を手のひらで覆い隠した。ふわふわ揺れる金髪の隙間からちらりと覗く耳は真っ赤だ。
「そうだ、ひでぇぞニーノ。ガラの悪い男ってどういうことだ」
ジッロも顔を赤くして抗議する。恵里はまあまあ、と宥めて話を続けた。
ーーーこの国へ来てまだ間もない私は世間知らずの無鉄砲で、可憐な少女をひとりで街にやるなんてどういうことだとサルヴォ邸へ乗り込んだ。今思えば何という大それたことをしでかしたものでしょう。青い顔して止めてくれたジッロの心中がいかばかりだったか察して余りある。
そうして恐れ多くもロベルトとフェーデレという美青年兄弟に説教をしたのであります。寛大な二人はこの無作法な振る舞いを容赦してくれました。そればかりか翌日にはサルヴォ伯爵御自ら食事会へ招待してくださった。高貴な方々の鷹揚さに私は深く感銘を受けました。サルヴォ伯爵領が豊かで栄えているのも頷ける。かくも素晴らしき領主様たちによって治められているのですから。
「領主様万歳!」
ジッロが合いの手を入れた。彼はサルヴォ伯爵領出身だから伯爵の治世の素晴らしさをその身で実感しているのだ。暖かな拍手が伯爵に贈られる。
「皆ありがとう。二ーノ、君の進言はまことに身に染みたよ」
「ディアゴの親バカにも呆れるが、アメリアに微笑みかけられては際限なく甘やかしたくなっても仕方がないからなぁ」
とはセミオンの言。その隣でミーズも頷いている。
「ですが貴族の子女たるもの、きちんと礼儀作法を身につけねばなりませんよ。美しい振る舞いは女の価値を高めます」
幼少の頃に両親から厳しく躾られたミーズは、このところアメリアにマナーを教えているらしい。アメリアに母の記憶はないが若い頃の母の肖像画を見て育ったから、ミーズとの歳の差は十と少しなのに彼女を母のように慕っている。今までアメリアにつけた教師たちがさじを投げたほどの我侭はミーズの前ではなりをひそめ、彼女の言いつけはよく聞くのだとか。
「アメリアはずいぶんレディらしくなった。ミーズのお陰だよ」
父に褒められアメリアは誇らしそうだ。「素敵なお嫁さんになるの」と言って、幸せな新婚生活を送るミーズを見上げる。その微笑ましい様子を皆笑顔で見守るが、フェーデレだけは面白くないという顔で恵里を睨んでいた。いつかはアメリアも誰かの花嫁になるだろうに、フェーデレはこんな調子で大丈夫なんだろうか。全く、と呆れ笑いを抑えられない恵里である。
ーーー魔女曰く、西の果てに魔法使いの住む島があり、そこへ行けば帰る方法が見つかるかもしれないという。私はそのための旅費を稼ぎに単身オルロ出てきたものの、職もなければ住むところもない。そんな私を拾ってくれたのがミーズでした。お恥ずかしいことに彼女に養ってもらって日々を過ごしていたのですが、ある時ミーズがセミオンから干しぶどうを貰って帰ってくる。これが転機となり、私はパンを作り始めるようになりました。
「干しぶどうが?」
呟いたのはバドだ。あの頃、バドは恵里を憎んで復讐を考えていたというが、底辺生活から浮上する切っ掛けが干しぶどうだったとは想像外だったらしい。解せないという顔をしているのは干しぶどうをくれたセミオンも同様である。
ーーー干しぶどうを水につけておくと発酵して酵母になるんです。私はこの酵母でパンを作り始め、セミオンからの援助を受けてとうとう店まで構えさせてもらった。「ニーノのパン」の成功は初めからすべてセミオンのおかげと言っても過言じゃない。本当に感謝しています。
「私は根っからの商売人だ。見込みのないものに援助するような慈善家じゃあないさ」
ぶっきらぼうなセミオンの台詞に、彼の旧友でもあるサルヴォ伯爵が苦笑して言うには、
「お前は照れるとすぐそんな風に誤魔化すよなあ。快く感謝を受け取り給えよ」
「うるさい!」
商人組合の長と領主という重鎮二人のいかにも軽い掛け合いだ。そのギャップに思わずニヤニヤしてしまう。高い地位にあるのに何とも親しみやすい人たちである。
ーーーパン屋を始めて最初に常連になってくれたのがリリィ。彼女が”無頭立て”の運び屋、バルデリ・リーガンその人であると知るのは少し後でしたが、あの時は本当にもう度肝を抜かれたよ、リリィ。
彼女の運び屋という顔を知ったのは、とある事件に端を発する一連の出来事の中でだった。武器商トルドの荷がデンインという男に奪われたのです。この時私はこの世のものとも思えぬほど美しい少年、ルシアーノに出会う。私はデンインという卑怯で姑息な男の野望を打ち砕くためにルシアーノと協力し、事件の解決に走りました。そうして人質になっていたリー・ジーを助け、彼女の父ドゥー・ジーと出会うのです。
先日の剣技大会決勝で驚嘆すべき素晴らしい試合を見せてくれたドゥー・ジーと、剣聖として名を馳せるルカの二人に私は贅沢にも剣の教えを受けます。その成果は皆さんご存知のとおり、剣技大会の本戦に出場するという栄誉を勝ち取ることが出来ました。私にとって剣の道に触れられたことは成長の糧であったと思う。大会に出場出来たことは実に得難い経験でした。
そして、目利きの武器商人トルド曰くこの国で最も腕の良い鍛冶師、ジッロ。私がここまでやってこれたのも彼の励ましや助力があったからこそです。愚痴を吐く私を慰めてくれたり諌めてくれたり、その一流の腕前で私のバイクやこの店の設備を整えてくれたりと、ジッロにはずっと助けられてばかりだった。この場を借りてお礼を言いたい、いつも本当にありがとう。
「何だニーノ、水くせえな!親友だろっ!」
鼻の下を擦るのは彼の照れたときの癖だ。一見強面でガラが悪そうなのに、その内面は素直で気のいいお人好し。恵里は勝手に親友だと思っていたけれど、ジッロにもそう言ってもらえたことが素直に嬉しかった。
「ありがとう」
「俺だって、お前には感謝してるんだ。今まで知らなかった色んなもんを見せてもらったからな。それに、こんなに気の合うダチは初めてだぜ」
この言葉に、恵里が本当は女だと知っている面々はちょっと複雑な表情をした。え、本当に男だと思ってるのか?みたいな。うん、思ってるね。普段ジッロを見ていると、子供から老人までおしなべて女には親切で優しい。そういう配慮は恵里に対して全くなかった。だって普通にどつき回されるし。恵里が女だと気づいていて今までと変わらず振る舞えるほど、ジッロが腹芸に長けた男ではないことはよく分かっている。男女間の友情が成立するかの是非はどうあれ、今更ジッロに女だと告げてややこしいことになってもつまらない。だから恵里は「友情に」とコップを持ち上げてみせるのだった。
ーーーこうして振り返ってみると、時には慣れない生活に辛い時もあったけれど、かけがえのない友人たちに出会い、素晴らしい人々に囲まれ、私はこの国へ来られて本当に幸せだと思っています。
このままずっとこの幸せに浸っていたくもあるけれど、やっぱり私は旅に出ようと思う。大会の準備をしながらずっと考えてた。お陰さまでこの店も軌道に乗ってセミオンへからの融資も返済できたし、リー・ジーは今ではもうひとりで立派に店を切り盛りできるから、この店は彼女に譲りたいと思ってる。
今言わなくちゃきっと決心が鈍ってしまうから、こうやって皆に集まってもらいました。今日は来てくれてありがとう。そして今まで本当にありがとうございました。
最後の方は、涙声になってしまった。
「イヤ、イヤよニーノ!」
声を上げて泣いているのはアメリアだ。それをなだめるミーズも目頭をハンカチで押さえている。
「わたくしがお店を継ぐなんてできません。ですが、ニーノ様がお戻りになるまでお店はきっと守ります」
気丈なリー・ジーはそう言ってくれたが、目は真っ赤だ。情に厚いサルヴォ伯爵は天井を見上げて涙をこらえているし、あんなに憎々しげに恵里を睨んでいたフェーデレもジャケットの袖で乱暴に目元を拭っている。皆押し黙ってすすり泣きだけが店内に満ちていく、そのしんみりした空気を振り払うようにジッロが木杯を高く掲げた。
「ニーノの、素晴らしき旅立ちを祈って!」
皆、はっとしたように顔を上げた。ジッロの声は、友の旅立ちを喜ぶ力強い明るさに満ちていた。別れは寂しい。けれども一歩を踏み出した恵里の勇気を讃えてくれているのだ。ジッロに倣って皆口々に門出を祝う言葉を唱えて木杯を掲げる。恵里も皆と同じく木杯を突き上げた。
「乾杯!」
ああジッロ、あんたって本当に最高の親友だ。恵里は木杯の酒を飲み干し、涙を拭って笑顔で皆の祝福に感謝するのだった。
第二章 〜異世界の住人〜 完
次回、第三章は〜異世界の旅人〜編です。
また、新章開始を機にタイトルを『高く翔べ、ニーノ! 〜恵里の異世界奮闘記〜』に変更いたします。経緯につきましては「活動報告」をご覧ください。




