27.春を告げる剣技大会
ペギア伯爵領のはるか西に連綿と続く山脈が切り立つ絶壁を雪で閉ざして旅人を固く拒む、冬。条件が良ければ白い山肌に朝日が当たって黄金色に輝き、そのあまりにも神々しく美しい光景に恵里はうっとりと見惚れるのだった。
オルロの冬は、日本で言えば関東以西の太平洋側と同じ程度の寒さで雪が積もることは滅多になかった。積もってもせいぜい十数センチというところだが、雪が降った後の一面真っ白に覆われた草原に魔動バイクでシュプールを描くのは何とも爽快だった。恵里はこの新しい遊びが気に入って、雪が降れば遊びに出かけた。”無頭立ての運び屋”ことリリィとレースごっこを楽しむこともある。そうして遊び呆けて戻った恵里は
「ニーノ様ったら!またこんなに汚して!」
と店番を頼んでいたリー・ジーに叱られるのだった。店の表で汚れを落としてもらいながら、店員の説教を店長が頭を垂れて神妙に聞いているという図はすっかり日常の光景になっていた。最近ではしっかり者の看板娘にまるで頭の上がらない恵里である。
そんなのどかな冬のある日のことだった。
恵里が剣術の練習にトルド邸を訪れると、ルシアーノがドゥー・ジーと額を付きあわせて何事か相談している所だった。何とも珍しい取り合わせだ。
「おや、ドゥー・ジー。お久しぶりです」
「娘がいつも世話になっている」
「こちらこそ、彼女には助けられてばかりで。それなのにお給金も満足に出せず申し訳ありません」
リー・ジーにはだいたい週休二日で働いてもらっている。休みの日はペギア伯爵領の両親の元で過ごしているからか、ドゥー・ジーが娘の様子を見にパン屋を訪れるということはなかった。オルロへ来る用事でもあればついでに、となるのだろうが、あまりそういう機会もないらしい。
「住む場所に食事、小遣いまで頂いているとか。あなたには娘ともども感謝しているよ」
「ぜひ後で店に寄ってください。リー・ジーもきっと喜びます」
「ああ、そうさせてもらおう」
「ところで今日は?剣の買い付けか何かで?」
「三ヶ月ほど後、早春に剣技大会がある」
横で遣り取りを聞いていたルシアーノが口を挟んだ。恵里は首を傾げる。ルシアーノは一度優勝しているし、ドゥー・ジーが再挑戦するのだろうか。
「あなたが出場されるのですか?」
恵里はドゥー・ジーに尋ねたが、答えたのはルシアーノだ。
「いいや、出るのはお前だ。もうエントリーは済ませた」
「ええっ!?何それどういうこと!?」
恵里はルシアーノとドゥー・ジーの顔を交互に見比べた。ルシアーノはニヤニヤしていて、ドゥー・ジーは無表情で何を考えているのかよく分からない。彼はもともと表情に乏しい男だ。
「まだ三ヶ月あるから、ドゥー・ジーにも協力してもらって特訓する」
「ちょ、ちょっと待って、話を勝手に進めないでよ!」
「何も優勝しろとは言わないが」
「…が?」
「お前、剣を護身程度で良いと思ってるだろう」
「そりゃ剣術家を目指してるわけじゃないし」
「もっと真剣にやればもう少しマシになるのに、お前まるでやる気がないから。目標があったほうがいいだろう」
「そんな無茶な」
「今まで教えた型を通してやってみろ」
ルシアーノはいっこう頓着せず命令する。相手が従って当然という態度なのに、なぜだか横柄さを感じさせないのはその類まれな美貌のおかげだろうか。全くさわやかなのだった。恵里はへいへいとため息を吐いて、ルシアーノの言葉に従った。
中段に構え、振り下ろすと同時に右足を引き、右上段水平に構え、手首を返して左、切り下ろして薙ぎ、左下段から切り上げる。動作は止めず流れるように。足捌きにも気を使う。つま先の向き。それから目線。肩の位置。隅々まで意識して。でなければルシアーノが持つ細くてよくしなる棒でピシャリとはたかれる。これが地味に痛いのだ。最後に右足を力強く踏み出し、柄での打撃の型から剣を横に払ってすっと足を引き、一礼。この一連の動きがルシアーノに教わった基本の型で、これだけは暇があれば剣無しでも動きを練習していたから割りとスムーズに出来るようになっていた。
「どう思う、ドゥー・ジー」
「ふむ…荒削りだが、光るものはある」
「そうだろう」
ルシアーノはどこか得意げだ。あんた私に散々センス無いって言ったくせに!と思ったが、悪い気はしない恵里である。
「錬成次第では良い所まで行くのじゃないか」
ドゥー・ジーにそんな風に褒められるとおだてに弱い恵里はまんまと乗せられ、俄然やる気になるのだった。
「私、頑張る!」
そうしてその後の三ヶ月、恵里は徹底的にしごかれた。剣聖ルシアーノに伯爵家の剣術指南ドゥー・ジーのダブル教官である。ふたりとも恵里が女だとわかっているのにちっとも配慮する様子がなかった。そういう実に厳しく、だが的確な指導のおかげで恵里はメキメキと剣技の精度を上げていった。
朝起きて店の仕込みを終えたら筋トレ、ジョギング、剣の訓練。昼に少し店に顔を出した後、再びトルド邸へ行って訓練、夕方店に戻って翌日の仕込みをした後はまた筋トレ、ジョギング、剣の訓練。家に帰ったらもう何もできずにベッドへ直行だ。ストイックもストイックな日々である。店のことはほとんどリー・ジーに任せっきりになってしまったけれど、彼女は文句ひとつ言わずに応援してくれた。父に言い含められたのかもしれないが、笑顔で送り出してくれるのは有り難かったし嬉しかった。
剣の訓練漬けの毎日はあっという間に過ぎていった。三ヶ月という短い間にもかかわらず、濃くて質の高い訓練の成果は恵里にも実感としてある。両手にできた豆は潰れて硬くなり、初めは重く感じていた剣を体の一部のように扱えるようになった。思ったように体を動かせるのは気持ちの良いことだった。達成感がありながらも自分の未熟さを痛感するこの感覚に、恵里はすっかりのめり込んでいた。バイクに乗り始めた頃も同じで、毎朝早起きしては峠を走り込んだものだ。ラインの取り方が分かり、荷重移動もスムーズに出来るようになって上達を感じても、もっと速く、もっと上手くと走るほどに夢中になっていった。恵里をして熱中させる何かはきっと剣もバイクも共通なのだろう。
王都オルロの剣技大会は、ニールバー王国時代から続く春の風物詩である。闘技場の周りには屋台なども出てお祭りのような賑やかさだ。もともとは王へ剣技を披露する御前試合が前身であり、当時は主に貴族の子弟が剣技を競ったのだという。剣技大会はその名のとおり剣技の練度を吟味するもので単純に強さを競う剣闘大会というのが別にあったらしいが、国の平和が続くようになって出場者が減り、今は廃れてしまった。その代わりに剣技大会の出場資格が撤廃され、平民の腕自慢にも出場機会が与えられるようになったそうだ。
大会には全国各地から猛者どもが数多く集まるので予選がある。まずはここで勝ち残らねば出場すら出来ない。予選で四つに分けられたブロックごとに上位六人が選出され、合計二十四人が大会本戦に出場してトーナメント方式で頂点を目指すというわけだ。
そして予選当日−−−
「いよいよだな!」
と恵里の背中を叩いたのはジッロである。彼もこの三ヶ月間、恵里を励ましてくれた。いろんな人に支えられて迎えた剣技大会である。さすがに優勝は無理だとしても、応援してくれる皆の前でみっともない姿は見せられない。せめて本戦出場だけでも果たしたいところだ。
「うん、頑張るよ!」
恵里は両手で頬をパンと叩いて気合を入れた。
恵里が割り振られたのは第二ブロック、参加者数はおよそ六十人。既に本戦出場が決まっているシード選手が二人いるので、実質このうちの四人に残らないといけない。そのためには四勝する必要があるが、筋骨隆々の男達が大会規定の剣を小枝のように振り回しているのを目の当たりにして、恵里の自信はみるみる萎んでしまうのだった。
「ねぇールカ、無理だよ。あの人とか見てホラ、うわぁ、あんなの絶対勝てないよー。やっぱりねぇ棄権しよう」
「今更何を言ってる。名前呼ばれてるぞ、行って来い!」
腕に縋る恵里を邪険に振り払い、ルシアーノはよろめく恵里の背中をドンと押した。恵里は不安いっぱいの表情で「ニーノ・ダエリはおらんか!」と叫ぶ審判の元へ重い足を引きずっていくのだった。




