25.潰えた野望とその結末
「お待ちくださいませ!」
鈴を転がすような透き通った、しかし凛としてよく通る美しい声が広いホールに響いた。これは一体誰のものだろうと、恵里は声の主を探して顔を上げた。そうして見つけたのは、胸の前で祈るように手を組みペギア伯爵へ懇願の眼差しを向けるリー・ジーの姿だった。
「お主は口が利けぬのではなかったか」
「先程までは確かにそうでございました。ですが、わたくしと父を救って下さったニーノ様に恩を仇で返す様なことをしてはならないと。そう思いましたら、突然に声が戻ったのでございます」
何と芯の強い娘だろう、この雰囲気に呑まれもしない。淀みなくそう言って頭を下げるリー・ジーの美しい声と、何よりその泰然とした振る舞いに恵里は驚かずにはいられなかった。彼女の隣に跪くドゥー・ジーは伯爵の御前で娘を掻き抱くようなことはしなかったが、じっと床を見つめるその肩は小さく震えていた。
「ではもう一度尋ねよう。お主はこの件の首謀者がデンインであると証明することができるか」
リー・ジーはすっと顔を上げて真っ直ぐに伯爵を見つめた。
「はい。できると思います」
「ならば申してみよ」
「わたくしがこのデンインという男の屋敷に閉じ込められておりました時、この男は奪い取った品物を検分してこのように言っておりました。『この剣だけは鋳潰すには惜しい出来だ。他は作業場へ持って行け』と」
「バカな!あの場にお前はいなかったはずーー」
そこまで言ったデンインは、はっと己の失言に気づいて唇を引き結んだ。しかし口を衝いて出た言葉はもう取り戻すことなど出来ない。
「わたくしは唇を読むことができるのです」
リー・ジーの言葉に頷き、ペギア伯爵は厳しい声をデンインに向けた。
「なるほど読唇術か。語るに落ちたな、デンインよ。出来の良い剣を惜しむのはお主に鍛冶師としての心が残っていたからであろう。だがそれを踏みにじり、己が利益のために人をたばかり徒に治安を乱したこの所業、決して看過出来ぬ」
ペギア伯爵は手にしたアンティーク調のステッキをドンと床に衝いて立ち上がった。
「被告人デンインに裁きを言い渡す。その方を強盗傷害教唆、略取、詐欺の罪により、私財没収の上我が領内鉱山での使役五十年の刑に処す。証拠品が揃い次第正式に沙汰する故心しておけ」
五十年の強制労働、つまり終身刑である。デンインにとっては死罪よりも辛い刑だろう。汚い手を使って成り上がり、一夜の栄華を味わった後ならば尚更。己の暗い末路を思い描いてでもいるのか、デンインは両拳をぶるぶると震わせ床を睨みつけている。
「告発者、ニーノ・ダエリ。お主が罪に問われることはないので安心せい」
「訴えをお聞き届け下さいましたこと心より感謝申し上げます」
恵里がペギア伯爵に深々と礼をした時だった。
「貴様のせいで…、貴様のぉおおおお!」
突然広いホールに響き渡る叫び声を上げ、デンインが恵里に向かって突進してきた。その手にはどこに隠していたのか短剣が握られている。怒りに我を忘れた悪鬼さながらの憤怒の表情、恵里への明確な殺意を込めた鋭い切っ先。
「ニーノ!何をしてる、逃げろ!」
ルシアーノの声だ。それが耳に届いても恵里は動けなかった。足は萎え身体は竦み、迫り来るデンインを、その手のギラギラと凶悪な輝きを放つ短剣を、ただ眺めることしか出来なかった。
「バカがっ」
短い叫びと共にルシアーノが恵里を突き飛ばし、デンインの手を蹴り上げて短剣を弾いた。よく磨かれた石の床に落ちた短剣は硬質な音を立てて滑っていく。デンインはルシアーノに掴みかかろうとしたが駆けつけた伯爵の兵士たちに取り押さえられ、聞くに耐えない罵りの言葉を喚き散らした。尻餅をついたまま呆然としていた恵里は、ホッと安堵の溜息を吐き出したのだった。
「ああ、伯爵様!これは私の鍛えたものです!」
デンインの手から飛ばされた短剣を拾い上げたジッロが声を上げた。その場にいる皆の視線が新たな登場人物に注がれる。
「我ながら会心の出来栄えだったので、柄に銘を刻んでおります。それが証拠になろうかと」
「ふむ、その剣を持て」
ジッロは伯爵の前に歩み出て膝を付き、恭しく両手で短剣を捧げた。受け取った伯爵は側に控えた兵に命じて柄に巻かれた革を外させる。
「トルドよ。その者の名を知っているな」
「もちろんでございます。我が国で最も腕のよい鍛冶師、ジッロ・トヴィにございます」
「剣の柄には何とある?」
「はい、ジッロ・トヴィと」
兵士がそう答えるや、伯爵は険しい声で宣告を下した。
「この剣が揺ぎ無き証拠。デンインが罪は明白である。引っ立てよ!」
もはや騒ぎ立てる気力もないらしく、ぐったりと項垂れたデンインは引きずられるようにして部屋の外へと連れ出された。その姿のなんと哀れなことか。これがデンインの思い描いた野望のあまりにも惨めな結末なのであった。
デンインを見送ったペギア伯爵はドゥー・ジーに向き直ると、先ほどよりも穏やかな口調で告げた。
「さて、ドゥー・ジー。娘を案ずるがためとは言え、強盗傷害を働いたのは事実である。よってこれより裁きを言い渡す」
「娘の声が戻り、デンインへの讐いも必要なき今、私には思い残すことはありません。どうか厳刑に処して下さいますように願います」
覚悟の決まった静かな声である。伯爵はうむと頷いて厳かに宣告した。
「その方を当家の剣術指南役に命ずる。生涯を後進の育成のために捧げよ。それを以て刑とする。以上」
「お、お待ちください!それでは、それではあまりにも…!」
「我が裁決を不服と申すか」
「い、いえ、そのような…滅相もございませぬ」
「私はかねてよりそなたの剣が世に出ず、後代に継承されぬのを惜しいと思っていたのだ。償いが足らぬと思うのならばそなた自身が気の済むようにすれば良い。だが我が命に背いてはならぬ」
恵里はペギア伯爵の温情判決に快哉を叫びたい気分だった。生きて償いをせよというのが伯爵の命である以上、ドゥー・ジーは早まったことは出来ない。さすが音に聞こえた名領主、なんと見事な判断であろうか。
「ありがとうございます、伯爵様、ありがとうございます」
涙声で何度も何度も礼を言い父に縋りつくリー・ジーの姿に、恵里は思わず潤んだ目元をぐいと袖で拭うのだった。
こうして一件落着と相成り、恵里たちはペギア伯爵邸を辞した。屋敷の外は冷え込んでいるものの、空はまるで恵里の心を映しているかのように雲ひとつない快晴である。恵里は青空に向かって伸び上がり大きく深呼吸した。ここ数日の胸のつかえが取れて、何とも晴れやかな気分だ。ドゥー・ジー親子は今後のことでまだ邸内だが、出てきた皆はそれぞれ笑顔で事件の解決を喜び合った。
「さっきは助けてくれてありがとう、ルカ…っと、ルシアーノ」
生まれて初めて烈しい殺意に晒された時、恵里は怯え硬直しその場を一歩も動くことが出来なかった。ルシアーノが助けに来てくれなければ凶刃のもとに倒れていただろう。己の弱さを思い知った瞬間だった。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。ニーノには感謝している」
ルシアーノはそう言って頭を下げ、「それから…ルカでいい」と少し恥ずかしそうに付け加えた。天使と見紛うばかりの美青年がうつむき、下から恵里を覗うように見つめて頬を赤らめるのだ。その色気といったら!そこらの女じゃとても太刀打ちできないその様に、普段から彼に接しているジッロが恵里を女と分からなくても仕方ない。と妙に納得してしまう恵里だった。
「あああ、なんて可愛いルカ!食べてしまいたい!」
恵里が飛びつくと、ルシアーノは躍起になって恵里を引き剥がそうとする。本気になれば恵里など軽くいなせるだろうし、今までのルシアーノなら問答無用で一刀両断のはず。それがこうしてじゃれ合っているのがよほど不可解だったらしく、
「お前ら、いつからそんなに仲良くなったんだ…?」
としきりに首をかしげ不思議がるジッロなのだった。




