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高く翔べ、ニーノ! 〜恵里の異世界奮闘記〜  作者: 羽牟
第二章 異世界の住人
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23.切り札は娘想う父の瑕疵


「ドゥー・ジーは一時間も前に出発したよ。トルドの荷を納めにな」

 デンインはニヤニヤと野卑た笑みを浮かべ、壁際に置かれた大きな時計を眺めながら言った。これがデンインの最後の切札。恵里は怒りのあまり血の気が引くのを感じた。つまりデンインは、奪った荷に細工をしてペギア伯爵へ納入し、トルドの名を穢すつもりだったのだ。

「ペギア伯爵はさぞお怒りになるだろうな、あんななまくらを寄越されたんじゃ」

「貴様…!」

いきり立つルシアーノを抑え、恵里はデンインを睨みつける。

「でも、出来上がった本物が届けられればあんたの企みも水の泡だ」

「はっ、」

とデンインは鼻で笑った。

「ドゥー・ジーがペギア伯爵に到着するまで十数分ということろだろう。その後で、作り直したものなどなかったことにすればいい」

 ジッロは今日の正午ごろには納品できそうだと言っていた。自分の工場ではなくオルロで剣を鍛えているのだから、それが元鍛冶師のデンインの耳に入っていても不思議じゃない。デンインはドゥー・ジーに再び荷を襲わせるつもりなのだ。もちろんトルドとて何かしらの対策は講じているだろうが、果たして娘の身を案じるドゥー・ジーを止めることが出来るだろうか。

 そして時計を見れば午前十一時二十分。オルロからペギア伯爵領まで馬車で二時間弱というところだから、トルドの荷も既にオルロを発っているはずだ。早馬でも一時間以上はかかるだろう。恵里のバイクは手元にないし、取りに帰って飛ばしてもやはり三十分以上はかかりそうだ。あまりにも時間がない。何か、何か方法は…。

「今更もう間に合わんよ。観念し給え」

「どけ、ニーノ!」

 ルシアーノは恵里を押し退け、デンインに斬りかからんと剣を振り上げ向かって行く。その背中に燃える憎悪の炎。もしここでデンインを斬り殺してしまったら、ルシアーノはきっとその炎の燃え盛る地獄へと落ちてしまう。恵里はそんな気がしてならなかった。この美しき少年に修羅の道を歩かせてはいけない。

「ダメだルカ!」

恵里は叫んだ。

「そんな奴のために剣を汚しちゃいけない!」

「…だがっ!」

「私が何とかするから」

咄嗟にそう言って何かないかと辺りを見回した恵里は、壁に飾られた装飾用の盾に気づいた。大きさは縦一メートル、横幅五〇センチほどで逆三角形のカイト型の盾。そうだ、これならいけるかもしれない…!恵里は盾を壁から取って外へと走り出た。

「おいニーノ、いったい何を」

「とりあえず私はドゥー・ジーを止める。それから荷馬車をこっちへ向かわせるから、リー・ジーと一緒にそいつ連れてペギア伯爵のところへ」

「しかし時間が」

「必ず間に合わせる!」

恵里は盾を裏返して地面に置き、革製の持ち手の部分につま先を突っ込んだ。

 ホウキに乗れないから木製バイクを作った。バイクがなければ違うものに乗ればいい。バイク以外のものを試したことはなかったが、迷っている時間などない。

 恵里は盾に浮遊の魔法をかけた。一メートル、二メートルと高度を上げていく。オルロとペギア領を結ぶ街道は森を迂回しているから、森の上を突っ切って飛べば多少は時間が短縮できるはずだ。高度が十メートルほどになった頃、恵里は唐突に魔女の言葉を思い出した。

”この魔法はね、アンタが空を飛ぶってわけじゃなく、ホウキに魔法をかけるのさ。落ちりゃ、死ぬからね”

 落ちれば死ぬ。

 恵里は首を振った。だから、何だというのだ。落ちなければ良いだけの話じゃないか。魔女に魔法を教わっていたあの頃は十センチ浮かすので精一杯だったのに、今ではこうしてこんなにも高く飛べる。そんな私がヘマをするわけがない、絶対に大丈夫、必ず上手くいく。恵里は心の中でそう唱えると、更に盾の高度を上げた。

「落ちるなよ!」

 下から、ルシアーノの声が小さく届いた。見れば、ルシアーノが心配そうに恵里を見上げている。恵里は声を張り上げて応えた。

「もちろん!リー・ジー、ルカがそいつ殺さないように見張っててね!」

リー・ジーが大きく手を降るのを見届け、恵里はありったけの魔力を使って盾を発進させた。

 デンインが言った制限時間は十数分。以前、オルロから襲撃現場まで行った時に掛かった時間も十数分。距離はその倍近くある。森をショートカットするにしても、時速一〇〇キロ程度では到底間に合わない。恵里は肘を前方に突き出すようにして顔を覆い、半身に構えて膝を落とした。冷たい空気を切り裂くようにスピードを上げる。

 もっと速く、もっと!

 身体に感じる風圧はかなりのものだが、景色はゆっくりとしか変わらない。それがもどかしい。どのくらいの速度が出ているのか、比較できる経験がないから推測も出来ない。だから今は、ただ前だけを見て。恵里は飛ぶ。

 落葉しない緑の針葉樹の森を越えると、再びオルロから続いている街道の上へ戻った。ペギア伯爵邸へ行ったことはないが、おそらくは遠くに見え始めた街の真ん中に見える城のような建物がそうだろう。ここまで来ても、細工された荷を運ぶドゥー・ジーの馬車は未だ見えない。もしかしてもうペギア伯爵邸へ到着してしまったのだろうか。デンインの屋敷を出てから一体どれくらいの時間が経ったのか、ずいぶん長く飛んでいるような気がする。恵里の操る盾は段々と高度を下げていった。高度を保つだけの魔力を出せなくなっていたのだ。恵里は街道の白っぽい土の上を砂埃を巻き上げながらただ一心に盾を走らせた。

 そして遂に。恵里は今まさに街へ入ろうとする小さな荷馬車の姿を見つけたのだった。

「ドゥー・ジー!馬車を止めて!」

力の限りに叫ぶ。馬車の速度が少し落ちた。

「リー・ジーは安全だから!馬車を止めて、ドゥー・ジー!」

馬車が止まる。恵里はホッと息を吐き出して馬車の前へ回り込み、御者を見上げた。黒い髪に黒い瞳。リー・ジーの面影が確かに見える。

「あなたがドゥー・ジー?」

「…いかにも」

「リー・ジーは救い出しましたから、まずはご安心を」

「あんたは誰だ?なぜ私や娘のことを知っている」

恵里はちょっと待ってくれと片手を上げた。全力疾走した時のように息が切れていた。魔力は体力と同源らしく、使い過ぎるとドッと疲労感に襲われるのだ。しばらく息を整えてから、恵里は顔を上げた。

「私は新野田恵里と言います。トルドの奪われた荷を追っていて、あなた方父娘を知ったんです」

「娘は、娘は本当に無事なのか」

「ええ。馬車を転回させてください。リー・ジーはデンインの屋敷にいます。信頼できる者が保護しておりますから、どうかご安心ください」

「あんたは…あんたは何者なんだ」

「私はデンインというあの卑劣な男が許せない。ペギア伯爵の厳正な裁きを願っています。もしかしたらあなたの名誉を傷つけることになるかもしれないが…協力して頂けますか」

 ペギア伯爵は厳格で公明正大な為政者だと、その評判はオルロまで聞こえていた。デンインは本来伯爵のものであるはずの品物を奪った上、細工を施し伯爵に納めようとしたのだ。直截的な不利益を被るのはペギア伯爵なのだから、当事者である伯爵に裁きを委ねるのは当然だろう。

「名誉など…!私は娘可愛さに悪事に加担し、義なき剣で人を傷つけたのだ。あんたへの協力は惜しまない。その後で私は死を以て償おう」

「いけないよ、ドゥー・ジー。あなたの償う方法はペギア伯爵に示していただくべきで、あなたが判断することじゃない」

恵里はドゥー・ジーの固く握り締められた拳に手のひらを置いて静かに言った。

「そうだな…独りよがりに償ったつもりになってはいけない」

ドゥー・ジーは噛み締めるようにそう呟くと、手綱を捌いた。馬車はゆっくりと向きを変え、オルロへの道を戻り始めたのだった。


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