03.魔法との出会い
魔女の「この世界で困らないように」というのは日常生活のやり方を教えることだった。料理洗濯などの家事に始まり、畑仕事や大工仕事、編み物に繕い物などは教えるというよりは完全に召使の扱いだったが、さすがに魔女らしく簡単な魔法も教えてくれた。
「そもそも人間には生まれつき魔力が備わっている。だが、使い方を知る者は少ない。大昔は魔女が村の者に魔法を教えていたそうなんだが、百五、六十年ほど前に弾圧があったらしくてなぁ。それ以来皆姿を隠すようになってしまった」
「じゃあ、私にも魔力はある?」
恵里が問うと魔女は頷いた。
「アンタは今何語で喋ってる?」
「え、日本語だけど」
「じゃあ、アタシが喋ってるのは?」
そう言われて、魔女の言った言葉をそのまま繰り返そうとして、気づく。今まであまりにも普通に言葉が通じるものだから意識したことはなかったが、言語という意味で、それは恵里にとって全く理解のできないものだったのだ。知らないのに、分かる。なんで?と首をひねる恵里に魔女が笑う。
「魔法の一種さ。伝達魔法。意識せずに使ってたんだろう。言葉による意思の疎通ができる相手ならば、誰であろうと会話ができる」
魔女アーデルはなぜ恵里がその魔法を使えるようになったのかはわからないと言った。
「ただ、魔法って言うのは想像と庶幾の力だからね。強ければ強いほど、上手く発現出来るようになる」
なるほど、恵里が初めてアーデルと出会ったとき。不安でたまらない中を歩き、出会った人間。問いたいことは山のようにあった、ボディランゲージじゃとても追いつかない様々のこと。意思の疎通を強く願ったから、無意識のうちにその魔法が発現したのだろう。
「とはいえ、そういう場面というのはなかなかあるもんじゃないからね。今からアタシがアンタの身体を操って魔法を使うから、魔力の流れをよーく感じてご覧」
魔女によって操られる恵里の唇が風よ、と唱える。ヘソの奥の辺りから、うねるようなさざ波が人差し指の先へと流れてゆく。草原の彼方から渡った風がザァ、と草をなびかせ木の枝々をざわめかせた。次に魔女が火よ、と唱えると指先からバーナーのように火がほとばしり、水よと唱えると大きなボウルいっぱい分ほどの水の球がふわんと浮かんでパシャッと弾けた。
「次は自分でやってみな。できるようになったら、ホウキの乗り方も教えてやろう」
恵里は手を叩いて喜んだ。あの魔女の空飛ぶホウキ。見るたびに羨ましくてたまらなかったのだ。早速恵里は魔法の練習を開始した。
コツを掴むのには丸一日掛かったが、魔女アーデルは筋のよい方だと言った。更に三日間みっちり魔法の練習をした恵里は、小さなつむじ風にマッチ程度の炎、コップ一杯ほどの水を自在に操れるようになった。それを魔女アーデルの前で披露してみせると、
「うん、ま、及第点かね」
魔女の言葉に恵里は、喜び勇んでホウキにまたがった。魔女は呆れたようなため息をつきつつもどこか楽しげだ。
「この魔法はね、アンタが空を飛ぶってわけじゃなく、ホウキに魔法をかけるのさ。落ちりゃ、死ぬからね」
けれども魔女アーデルの心配は杞憂となった。恵里がまたがるホウキは、地面から十センチ程度しか浮かなかったからだ。これでは落ちようがない。アーデルに笑われて恵里は膨れ、それから何事か考えこむように腕組をした。
恵里が魔女の元にやってきてから早数週間。流されるままバタバタ非日常の日常を過ごすうちに、恵里は次第にこの事態を現実として受け入れ始めていた。夢ならば醒めるはずなのに一向にその気配はなく、魔女にこき使われるのは地味に辛いし何一つ思い通りにならない。身体を動かせば疲れる。何より、夢の中にしては全てがあまりにもリアルなのだった。
そうして現実と認識するようになってから、元の世界に戻りたいと強く思うようになった。一人知らない土地に行って暮らしたこともあったが、ホームシックにならなかったのは帰る場所があったからだ。帰ろうと思えばいつでも、飛行機に乗るだけで良かったからだ。バックボーンのない寄る辺のなさが、ここまで心もとないものだったとは。
日中は汗ばむ陽気でも、夜になると気温が下がった。恵里はホットミルクを手に外へ出て椅子替わりの丸太に腰掛け、手の中のぬくもりを味わう。魔女との生活は嫌いではない。大変なことは多いが楽しくもあるし、刺激的でダイレクトに生を感じる生活は充実しているとさえ思うこともある。だけど。
「家に帰りたい」
家族や友人たちに会いたい。掛け替えのないもの。大切な人たち。自分の不在に心を痛めてはいないだろうか。せめて元気だと伝えられればいいのに。心配しないでと。いつか必ず帰るからと。
「…帰りたい」
つぶやきは、柔らかな夜風に紛れて消えていった。




