10.新郎と新婦の父とその妻
ミーズはふんだんにレースのあしらわれた繊細かつゴージャスなドレスに身を包み、上品で明るい化粧を施して髪を芸術的に結い上げ、実に実に幸せそうな笑顔を浮かべている。アフロディテもかくやという彼女の回りにはキラキラと光が舞っているようだ。
「ミーズ!本当にすごく綺麗だ。ああ、私はずっとミーズのそういう姿が見たかった」
着ているものがドレスでさえなければ、恵里はひざまずいて彼女の手の甲にキスをしただろう。そうしたくなるほど気品にあふれた美しい姿だった。
「今のこの幸福はみんなニーノのおかげよ。本当にありがとう」
「いいや、ミーズが姿形の美しさだけじゃなくて穢れのない純真な心を持っていたからこそだよ」
「ニーノの言う通りだ」
と答えたのはセミオン。
「ミーズ、確かに君は私の初恋の女性によく似ている。だが、君の心の美しさに私は惹かれていったのだ。前妻と別れてもう二度と結婚などすまいと思っていたのだがなあ」
「セレーナは絶世の美女にして稀代の悪妻だったからな」
隣にいたサルヴォ伯爵が軽い口調で言った。二人の間では定番の冗談のようなものなのだろう。
「まったく癪に障る男だお前は、ディアゴ。…そう、セレーナは美しかった。傷心の私はついあの美貌に揺らいでしまったのだ」
「失恋でもなさったのですか?」
恵里が口を挟むとセミオンは顔を顰め、なぜだか恵里ではなくサルヴォ伯爵を睨んだ。
「そうだ。この男がクレアを奪い去っていったのだ」
「へえ、伯爵とエイデックさんは恋敵でもあったと」
「そして私が敗れた。クレアはこの男と結婚してすぐ子宝にも恵まれ、本当に幸せそうだった。それがまた辛くてな。そこに現れたのがセレーナだ。美しかったよ。外見だけは本当に。だが金遣いはとんでもなく荒く、使用人に対して人を人とも思わぬ態度を取る。挙句には夜な夜な酒宴を渡り歩いての浮気三昧だ」
「ははぁ、そりゃ文句なしの悪妻だ」
「セミオンはそれ以来女性不信に陥っていたのだ」
サルヴォ伯爵が笑いながら言うと、セミオンは口をへの字に曲げてウームと唸った。
「そうではない、とも言い切れんな。女などもうこりごり、妻なんぞ持つものじゃないとこの三十年、ずっとそう思ってきたからなあ」
「けれどミーズと出会って恋に落ちた。ドラマですねぇ」
と呟いて、恵里ははたと気づく。そうか、セミオンの初恋の相手、クレアというのは伯爵の妻でありロベルトたち兄弟の母になるのか。だから皆ミーズを見てあんなに驚いていたのだ。
「私、そんなにそのクレア様に似ているのでしょうか」
「ああ、本当にそっくりだ。だから君が街頭に立っているのを見たときは心臓が止まるかと思ったよ。だけど外見は切っ掛けに過ぎない。私は”クレアに似た人”ではなくミーズ、純粋で美しい心を持つ君と結婚したいと思ったのだよ」
見つめ合う二人。サルヴォ伯爵がおっほんと咳払いをした。
「そう言うのは夜に二人だけでし給え。ミーズ、こちらへ来なさい」
サルヴォ伯爵は戸惑うミーズを強引に連れ去っていってしまった。それは紛れもなく父娘の後ろ姿だった。愛娘が親友の元へ嫁ぎ複雑な父とそういう父を無下には出来ぬ娘。ミーズが極自然に伯爵を"お父様"と呼ぶのを聞いた時、恵里はこの二人がもうすっかり親子なのだと確信し安心したのだった。
「ディアゴの奴め、父親ぶりやがって…」
セミオンは悪態をついてみせるが、顔に浮かんでいるのは苦い笑い。彼もまた、恵里と同様に二人が親子となったことを心の中では喜んでいるに違いない。
「それでエイデックさん、さっき仰っていた償いというのは?」
「セミオンで良い。償いの件だが、君には毎月売上の三割を納めてもらう」
「ちょ、ちょっと待ってください。売上ってどういうことですか?」
「大通りに面した条件のいい居抜き物件を押さえてある。まずは三日以内に事業計画書を提出するように。いいね」
「申し訳ないのですが、私には何が何だかさっぱり…」
「まったく血のめぐりが悪いな、私は君のパン屋開業を援助するつもりだと言っているのだ」
「なんですって!」
恵里が目を剥くと、セミオンは人好きのする笑顔を浮かべて恵里の肩を軽く叩く。
「私の可愛い妻がな、君のパンをあまりに褒めちぎるものだから気になって、こっそり部下を買いにやったのだ。するとこれが実に旨い。これならば投資しても十分に回収可能と判断したのだよ」
その言葉が社交辞令でなく本心だとしたら、商才溢れる大商人のお墨付きだ。この上ない褒め言葉である。
「ありがとうございます!」
「実を言うとディアゴからニーノという名は聞いていたのだ。面白い娘だからきっと会うことになるだろうとね。ディアゴの親バカをたしなめたり、街に現れた魔獣を退治したりと大活躍だったそうじゃないか」
「今考えれば大それたことをしたものだと冷や汗が出ます。伯爵家の事に差し出がましく口出しするなど…」
「ディアゴが良き為政者だったからこそ誰も何も言えなかったのだ。近すぎて見えぬこともある。君が現れたことは幸運だったろうと思うぞ」
「そう言って頂けると少し心が軽くなります」
「君がオルロに来るとディアゴに聞いて、きっと何らかの形で私の前にも姿を現すだろうと思っていたんだが、ミーズの口から君の名が出て来た時は驚いたものだ」
セミオンが恵里向かって手を差し出した。
「君のこれからの活躍に期待しているぞ」
「精一杯、やらせてもらいます。ご指導よろしくお願いします」
二人はがっちりと固く手を握り合った。願わくはこの握手の上に多くのものを築いていきたいと思う。友情や信頼や商売の成功を。恵里はそう心に誓い、セミオンの大きく暖かな手のひらを力強く握り返したのだった。




