11.パン屋開業の事業計画
恵里がセミオンからもらった宿題は簡単なものではなかった。パン屋開業のための事業計画である。
披露宴の翌日、恵里は自室で頭を抱えていた。自分のままごとパン屋は商売じゃないというのはただの言い訳で、どんぶり勘定でいい加減な売り方をしていたことに今更ながら気がついたのだ。
「えーっと売り上げは一日四〇〇~六〇〇ネイくらい。パンは一個五ネイで売ってて、だいたい三~五個くらいまとめて買う人が多いから、お客さんは二十人から三十人くらいかなあ…。店を持つとなると倍以上は売らないといけないよね。小麦粉はキロ五十ネイ、一日どのくらい使ってるっけ?二~三キロくらい?」
ということをセミオンの前で報告したら大目玉を食らった。
「現状の分析もできないのか?まるで話にならん、商売をなんだと思ってる!いいか、当初の売上目標は月十万ネイだ。売上原価は五万以下に抑えろ。経費は家賃込みで私に三万、その他一万までで見通しを立てるんだ。それから店の方向性、展望を示せ。私に援助したいと思わせるビジョンを提示してみせろ。いいな、吐くまで頭使って考えて来い!」
屋敷を放り出された恵里は、セミオンに言われたことを考えながらトボトボと歩いた。この時点ですでに軽い吐き気を感じるのだから前途は多難である。恵里は情けないため息を吐き出したのだった。
現在のひと月の売上は一万五千程度。材料を仕入れるのにかかる金額は小麦粉、バター、レーズン、砂糖や牛乳など合わせて九千ネイくらい。セミオンの要求だと原価を売上の半額にしろってことだから、月額目標の十万ネイを達成するため単純に売る数を増やすだけじゃオーバーしてしまう。この割合で行けば月に一万ネイ足が出るが、原価を抑えるにしてもそこまでの削減は無理だろう。材料の質は落としたくない。となれば、客単価を上げる必要がある。
まずは売るパンの種類を増やす。現状丸パン一本だが、ラインナップにひとつ十~十五ネイの惣菜パンと菓子パンを加える。あまり増やしても仕込みが大変だから三種類ずつぐらいが妥当か。それからオープンカフェを併設し、薬草茶を一杯十ネイで提供する。カフェではホットドッグを四〇ネイで販売。これらによって客単価を五〇ネイに上げ、一日の来客目標数を八〇人とする。五〇ネイ×八〇人×三〇日で月間売上十二万ネイ達成も可能と思われる。
「うーむ、だいぶ形になったな。君のやりたいことはだいたい分かった」
再度セミオンに提出した事業計画はぎりぎり及第点だったようだ。恵里はほっと胸をなでおろした。
「ただ、その惣菜パンとか菓子パンとかホットドッグというのが主力になり得るかどうかが懸念点だな。どんな食い物かまるで想像がつかん」
この世界ではパンといえば基本的に食事パンを指す。というかそれしかない。だから”それだけで食事が完結するパン”とか”クッキー生地をかぶせた甘いパン”などと説明されてもピンと来ないのだろう。
「そこでだ、一週間後に試食会を開こうと思う。その結果如何で計画を根本から見直してもらうことにもなる。君の紹介も兼ねるつもりだからな、しっかり頼むぞ」
商品開発に当たって試作品を作るつもりではあったが、モニターをどうするかが悩みどころだった。セミオンの提案はまさしく渡りに船。
「ありがとうございます!」
恵里は次々と思い浮かぶパンのレシピでいっぱいの頭を勢い良く下げたのだった。
広い草原にそびえ立つ大樹、その幹のドアを力任せにノックすれば苛立たしげに魔女アーデルが顔を出す。しかし初めて訪れた時とは違って恵里も魔女も今は笑顔だ。
「おや珍しい顔だね」
「ご無沙汰」
恵里は手土産に作ってきたシフォンケーキを魔女に手渡した。
「元気そうじゃないか、オルロはどうだい?」
招き入れられた久しぶりの魔女の家は、恵里がいた頃と何も変わっていなかった。薬草や香の交じり合ったなんとも言えない匂いの空気をポットの蒸気が温めている。
「色々あってさ、パン屋を開業することになったんだ」
「ほ、驚いたね、パン屋だって?アンタがかい?」
不思議な縁に恵まれて、と恵里はオルロでの出来事を説明した。ミーズのこと、サルヴォ伯爵のこと、そしてセミオンのこと。魔女は恵里の話をうんうんと聞きながらお茶を淹れてくれた。
「それで…ああ、この香り!カモミールとローズヒップ?」
「それからリコリスの根」
「なるほど、優しい甘みがあるね。うーんやっぱり美味しい。…それで実を言うと、今日は商売の話もしようと思って来たんだ」
「パン屋のことかい?」
「うん。この美味しいハーブティーを店で出したいと思って。その相談なんだけどどうかなあ」
「相場通りに買ってくれるんならもちろん構わんさ。調合も協力しよう」
「ありがとう!魔女ブレンドの味は私じゃ出せないんだよなあ、年の功?」
「女らしさの差さ」
返す言葉が見つからなかった恵里は魔女の言葉を咳払い一つで受け流し、ところで、と話題を変えた。
「魔法を使わなくても魔法が出続けるような方法ってないかな。例えば湯を沸かす時にずっと火魔法を使わなくてもいいような」
「そうだねぇ、それなら魔封石が近いね。…ええと、たしかこの辺に」
魔女は棚の奥をゴソゴソと探って十センチ四方ほどの小箱を取り出した。
「こいつは魔封箱って言って、中に魔封石が入ってる。ほら、」
と魔女が差し出す小箱を受け取る。スライド式の箱のフタを開けてみるが特に何も起こらなかった。中には小ぶりな石ころがひとつ入っている。
「その石に風魔法を使って箱のフタを閉めてご覧」
恵里が言われた通りにやってみる。魔法で起こしたはずの風は石に吸い込まれでもしたのか、全く凪いだまま空気はちらりとも動かなかった。
「今度はそのフタを開けてみな。いいかい、そうっと開けないと、」
魔女が言い終わる前に魔封箱のフタを全開にした恵里は、小箱から吹き出した風に飛ばされ天井近くまで舞い上がってしまった。
「人の話は最後まで聞くもんだ」
落ちてくる恵里を魔法で受け止め、呆れ顔の魔女が言う。恵里は頭を掻き掻き、「魔封石ってすごいね」と照れ笑いを浮かべたのだった。




