11.伝説の真相
魔女の家に戻って一息つくと、甘いものが欲しくなった。サルヴォ領では甜菜の栽培が盛んだったので甜菜糖は手に入りやすくふんだんに使える。たっぷりの砂糖にバター、卵、それから小麦粉。これだけ揃っていれば大抵の菓子は作れるけど、と恵里は少し考えて、バウムクーヘンを作ることにした。
「おや、何をするんだい?」
恵里がボウルで生地を混ぜていると、魔女が興味深げに手元を覗き込む。
「バウムクーヘンを作ろうと思って。ねえ、伝説の聖魔女アーデル、この棒をその偉大なる魔法で回してくれない?」
恵里がにやにや笑って言うと、魔女は唇をへの字に曲げた。
「まったく、つまらん話を仕入れてきおって…」
「だけど結果的に戦争を止めたんだから、過大評価ってわけでもないじゃない」
魔女が暖炉の火の前でゆっくりと回転させる麺棒にケーキ生地を掛けていく。焼き色が付いたらその上にまた生地を掛ける。これを何度も繰り返していけばバウムクーヘンの出来上がりだ。時間はかかるが手間は大してかからない。手を動かしながらのんびりおしゃべりするにはちょうどいいのだ。
「兄弟王の話かい、あれはとてもアタシひとりで出来ることじゃあないよ。確かに森が荒らされるのには迷惑していたし、負傷兵がごろごろ転がっているのを見ていられなかったってのはあるけどね」
「すると協力者がいたってこと?」
「ああ。国の分断、そして同胞との戦に抵抗する人達がいたんだ。兄側にも、弟側にもね。そういう統一派の勢力と手を組んだのさ」
「ははぁ。中枢部にも統一勢力がいれば、アーデルが捕まるのも王を脅して逃げるのもスムーズにいくよね。その後の王の説得もしやすいだろうし」
「そういうこと。アタシひとりがやったことにしておけば統一派が反逆罪の不名誉を被ることもないだろ?それでそういう"説話"が作られたのさ」
「なるほど、初めからシナリオがあったってわけだ」
恵里は腕組みをしてうーむと唸った。それならば大団円に収まったのも納得がいく。とすると、他の逸話にも真相があるのだろうか。
「じゃあさ、龍神の話は?井戸を復活させたっていう」
「あはは、龍神だって?いいや、簡単なことだよ。枯れた水脈よりもさらに深い水脈まで掘り下げたのさ」
「龍神は出て来ない?」
「出て来やしないよ。ただその岩盤が硬くてねぇ、魔法で穿ったんだが苦労した。だけど岩盤の下の水脈ってのは良質な場合が多い。生薬の栽培にはもってこいなんだ。だからちょいと頑張ってみたのさ」
「雨を降らせたのにも龍神は関係ないんだ?」
「もちろん関係ない。雨雲になりきれない雲に氷魔法を使えばいいのさ、氷の粒が雨の核になるからね。雲ひとつないとなればアタシもお手上げだね」
解決の手段に魔法を使ってはいるが、その方法自体は実に科学的な考えに基づいている。恵里は感心した。何もかもを魔法で解決しているわけではない。背景にあるのは知識だ。
「すると、疫病も地道に封じたの?」
「ああ、あれは…恐ろしい病気だった、罹ったらまず助からない。だがネズミとノミを駆除して清潔な環境に保ち、患者を正しく隔離すればいずれは収束する。あれだけ広がったのは迷信と無知のせいなんだ」
衛生と防疫の観念がなければ疫病は得体のしれない悪魔のままだ。いくらオカルトチックな対処をしたところで病を食い止めることは出来ない。いたずらに感染を拡大し死者を増やすだけだ。
「アタシはあの病のことを知っていたから対応できた」
だが、と魔女は言う。こうした知識や知恵の蓄積が体系だって行われていないのが問題なのだと。魔法使いの間には魔法と共に口伝として受け継がれてきたが、市井にも広く共有すべきなのだと。
「アーデルにもそういう師匠がいるの?」
恵里が尋ねると、アーデルはああ、と頷き微笑む。思いがけず柔らかな微笑に恵里は少し驚いた。
「バウムクーヘンとやらも焼き上がったようだし、ひとつ昔話でもしてみようかね」
飲みものを用意しよう、と言ってアーデルが台所へ行ったので恵里はバウムクーヘンを切り分けて皿に盛った。
「まずは口の滑りを良くしなけりゃ」
アーデルが湯気の立つカップを二つ持って戻って来た。カップの中身は砂糖抜きのホットラム。甘いバウムクーヘンにはぴったりだ。
暖炉の火が揺らめく影を壁に映し、手元には甘い菓子と湯気の上がるラム酒。準備は万端。後は物語の幕開けを待つばかりだ。




