10.魔女アーデルの伝説
ーーー昔、二つの国があった。元々はひとつだったが、兄弟が王位継承を巡って対立し、国を二分したのだ。その境界には森があった。古くから不可侵の言い伝えのある森だったが、その木々が木材として優れていたため森の領有権を巡って争いが起こった。
白兵戦となった戦場は、たちまち両国の兵士の血で染まった。矢が飛び交い、剣がぶつかり合って火花を散らすそのさなか、場違いな白い服の少女が倒れ伏す兵士たちの間を駆け回る。彼女は倒れた兵を治療しては助け起こし、安全な場所へと誘導するのだ。
深い傷を負い地に倒れた男は、自分の死を覚悟した。なぜなら、美しい天使が傍らにいて男の名を尋ねたからだ。男が答えると、天使は言う。
「ではジョアン、しっかりしなさい。あなたの傷は既に塞ぎました」
ジョアンは天使を仰ぎ見る。戦場にはあまりにも似つかわしくない華奢な少女。大きな緑色の瞳を縁取る長いまつげは小さく震え、亜麻色の髪は緩く編まれて戦場の凶風に揺れる。すべらかな頬をバラ色に上気させて、小さな桜色の唇が紡ぐ。
「さあ、早く!安全なところへ」
天使はジョアンを助け起こして茂みへと走らせた。ジョアンが身を隠すのを見届け、天使は再び戦火のさなかへ舞い戻ろうとする。
「天使様!お名前を伺っても」
天使はジョアンを振り仰いで短く告げる。
「天使ではありません。私は、魔女アーデル。戦を憎む者」
可憐なる聖魔女アーデルは敵味方の区別なく苦しむ兵の傷を癒し、また助からない傷を負った者には安らかな眠りを与えるのだったーーー
「ねえ、それちょっと脚色がオーバーすぎない?」
「そりゃ俺だって見たわけじゃないけど、ここらじゃあ有名な話だよ」
恵里が口を挟むとジッロは唇を尖らせた。
「でもさあ、敵味方なく助けてたら問題になるんじゃないの?」
「そうさ、ここからがいいところなんだ!」
我が意を得たりとばかりにジッロは目を輝かせ、アーデル伝説の続きを語り始める。
ーーーどちらの兵も同じく助ければ当然兵が減らず結果的に戦は長引く。業を煮やした兄王によってアーデルは捕らえられ、魔法封じの鎖に繋がれて王座の前に引き出されることになった。
「我が兵のみを助けよ。されば見逃してやってもよい」
戦況は兄王にやや有利だった。たとえアーデルを殺すことになっても勝てると踏んでいたのだろう。
「返事せい」
王が尊大に告げたその刹那、アーデルは鎖を振りほどいて跳躍しその首元に短剣を突きつけた。王の側に居た手練の護衛兵すら咄嗟の反応が出来ないほど、それは一瞬の出来事だった。
「この程度の鎖に縛られるアーデルと思うてか。森より手を引け。されば見逃してやってもよい」
短剣の切っ先を王の首にピタリと押し付けられているのでは、護衛兵たちも動くに動けない。そうしてアーデルはこう言い残し、煙と掻き消えてしまった。
「ーー王の寝首を掻くなぞ容易き事よ」
堅固な護りを誇っていた城の王座の前で、変幻自在の様を見せつけられてはもはやアーデルの言う通りにする他なかった。寝所から厠まで常に王に護衛を付けていたとしても、十分警戒していたはずの場で動けなかった者が突然のことに対応できるとも思えない。翌日、王自身によって撤兵が宣言された。すぐに弟王から停戦の使者が遣わされ、国が二分されていたことに心を痛めていた教会が仲介となり和解。国は元のひとつの姿に戻り、以後兄弟王は互いに助け合い善政を施したというーーー
「と、まあこんな風にアーデル様というのは偉大な魔女なのさ」
「いやぁー、面白かった!」
最後大団円なところがちょっと出来すぎな気もするけど、と恵里は思ったがそれは言わないでおいた。
「ジッロって講釈師になれるんじゃないの?」
すっかりジッロの話に引き込まれた恵里は、内容はともかくその話術には素直に感心していた。ジッロもそう言われて満更でもなさそうである。
「他に何か逸話ないの?魔女アーデルの」
「そうだなぁ、井戸の枯れた村に水を戻した話とか」
「へぇーどんなの?聞きたい聞きたい!」
ジッロはえへんと咳払いをして話し始めた。
「すっかり井戸の水が枯れてしまい、その村は存亡の危機にあったんだ。そこへ現れたアーデル様が水を司る龍神と三日三晩交渉し、遂には精根尽き果て倒れてしまった。しかし枯れたはずの井戸からは水が渾々と湧き出し、飲み水どころか畑の隅々まで水が行き渡るようになったという。今では名水の里として有名さ」
「へぇー。今度そこ行ってみようっと」
「後はなぁ、日照りに苦しむ農村に龍神を呼び雨を降らせたとか、疫病が蔓延する街に出向いて病をもたらす悪魔を祓い去ったとか、俺が知ってるのはその位かな。いいか、とにかくアーデル様というのは偉大なお方なんだぞ!」
ジッロがこうも熱っぽく語るのは、きっと魔女アーデルのイメージが美少女だからだろう。現在の実物を見たらがっかりするんじゃないか?恵里はそんな場面を思い浮かべてニヤついた。
「何ニヤニヤしてんだよ。そういやお前、時間は大丈夫なのか?」
使用人の分際で遅くまで遊び歩いていて良いのか、とそれを心配しているようだ。
「遅くなること自体は構わないけど、草原は魔獣が出るからなぁ」
恵里は席を立って外を覗った。空は夕日に赤く染まっている。
「暗くなる前に帰るよ。今日はホント楽しかった、ありがとうジッロ」
「礼を言われるようなこたぁしちゃいねえよ」
照れくさいのかジッロはしきりに鼻の下をこすっている。外見に反しない粗野な物言い、けれども性根は素直な人情家。例えていうならば江戸っ子のような、ジッロはそういう男だ。
「また一緒に飲もうぜ、ニーノ」
ジッロが付き出した拳に、恵里は自分の拳を軽くぶつけた。
「うん、またね」
再会の約束は別れを寂しくさせたりしない。その響きを心地良く感じながら、恵里は夕暮れの風を切って魔動バイクを走らせるのだった。




