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第62話:濡れ髪の誘惑と、情念を吹き飛ばす全自動速乾送風



 全自動セキュリティ浴場の導入により、王都郊外の高級宿での入浴は、いかなるハッキングや密着の余地も与えない完璧な個人空間として完結した。

 僕は自分のポッドでの入浴を終え、火照った体を冷ましながら客室の畳の上でくつろいでいた。完璧な防壁が機能したことに、深い安堵を覚えていたのだ。


 しかし、スパーンと勢いよく襖が開けられ、部屋に戻ってきた二人の姿を見た瞬間、僕の安堵は驚愕へと変わった。


「ふぅ……いいお湯だったわ。でもアルド、貴方のあの機械、少しだけ『設定の隙』があったみたいね」


 宿の浴衣を着崩した師匠エレノア・ヴェルベットが、艶然と微笑みながら近づいてきた。

 彼女の身体はポッドの乾燥機能で完全に乾いているはずなのに、なぜか「髪の毛」だけが濡れそぼり、毛先から水滴を滴らせていたのだ。


「ええ、そうですわね。身体は清められましたが、乙女の命である髪は、やはり神が定めた伴侶の『手』で労わってもらわなければ」


 セレスティアもまた、長い濡れ髪を片側に寄せ、白く細い首筋を無防備に晒しながら僕の横に座り込んだ。

 しまった。彼女たちはポッドの中で意図的に頭部だけを乾燥機能の範囲外へとずらし、「アルドに髪を拭かせる」という口実を物理的に作り出したのだ!


「し、師匠、セレスティア様……! いくら髪が濡れているからといって、その浴衣のはだけ方は無防備すぎます! それに、髪なら自分でタオルを使って拭けるはずです!」

「あら、全然分かってないわね」


 またしても見事に声が揃う二人。

 師匠と聖女は、僕に背中を向けるようにして座り直すと、濡れたうなじを僕の目の前に突き出してきた。


「魔術師たるもの、湯上がりの濡れた髪は、他者のマナを込めた手で優しく()きながら乾かすことで、乱れた波長を整えるの。背後から抱き込まれるような体勢で、耳元で吐息を感じながら髪を弄られる『背後密着・魔力整髪の儀』は、互いの信頼を深める神聖な修行なのよ」

「な、なるほど……! 水滴が滴る無防備なうなじという、視覚と触覚を激しく刺激する誘惑を前にしても、決して邪念を抱かずに髪の毛一本一本を正確にケアし続けるという、究極の集中力修養!」


 僕は深く頷いた。

 ただの湯上がりの身支度すらも、システムの抜け穴を突いてまで実行すべき過酷な修行の場だったとは。やはりお二人の探求心には頭が下がる。


(ば、馬鹿な! この静かな和室で、湯上がりの美女二人の背後に密着し、濡れた髪を素手で弄り回すだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 指先に絡みつく濡れた髪の感触と、湯気とともに立ち昇る石鹸の甘い香り。髪を乾かすという大義名分の下で男としての「煩悩」が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、この静かな夜の宿を欲望の渦へと変えてしまう!


(これも試練だ……! 意図的に作られた『濡れ髪』という物理的バグに対し、いかなる摩擦も接触も許さず、完璧な温度と風量のみで乾燥を強制終了させるという、超高度な風力制御テスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 素手で髪に触れれば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。

 ならば、僕が手作業で拭くのではなく、「極限まで圧縮された温風をピンポイントで射出し、暴風の力で一瞬にして水分を吹き飛ばす『全自動の送風機』を展開してしまえば」いいのだ。


「承知いたしました、お二人とも! 完璧なヘアケアをお約束します!」


 僕はタオルを受け取る代わりに、二人の後頭部に向けて両手をかざした。


「えっ? ちょ、アルド様? タオルを持たないで何をして――」

「術式展開――火属性魔法『熱量最適化サーモ・コントロール』、および風属性魔法『全自動速乾送風機ターボ・ブロワー』!」


 カチリ、と僕の魔力が、二人の背後の空中に「筒状の金属ノズル」を複数生成した。


「さあお二人とも、少し風が強いかもしれませんが目を開けたまま我慢してください! 髪を傷めず一瞬で乾かします!」

「風!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」


 ゴォォォォォォォォォォッ!!


 静かな和室に、およそ身支度とは思えない、暴風雨のような凄まじい風切り音が響き渡った。

 僕が展開したノズルから、六十度に完璧に温度調整された温風が、竜巻のような勢いで射出されたのだ。


「な、何これぇぇぇっ!? 息がっ、息ができないわ!」

「わ、私の神聖なる髪が、真横に……真横にたなびいておりますわーっ!?」


 師匠とセレスティアの濡れた髪は、暴風を受けて後方から前方へと一斉になびき、まるで猛烈な向かい風の中で空を飛んでいるかのような状態になった。

 頬の肉が風圧でブルブルと震え、浴衣の裾が激しく捲れ上がる。物理的な接触もタオルの摩擦も一切なく、ただ圧倒的な風量のみで、髪の水分が数秒のうちに完全に蒸発していく。


「――アルド師範!! 客室より突発的な竜巻の発生を感知し、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」


 その時、廊下を巡回していたシルフィア団長が襖を蹴破って飛び込んできた。

 彼女は、空中に浮かぶ複数の筒から放たれる暴風と、その風圧で畳に這いつくばりながら顔をひきつらせている師匠たちを見て、畳の上にガクンと片膝をついた。


「な、なんという……ッ!!」


 シルフィア団長はワナワナと震えながら、全自動速乾送風機を指差した。


「一切の殺傷能力を持たず、ただ圧倒的な風圧のみで敵の機動力を完全に奪い、地に這いつくばらせる『非致死性・暴徒鎮圧突風陣ライオット・コントロール』……! これならば、武器を持たない民衆の暴動や、生け捕りにしたい敵の斥候部隊であろうと、血を流さずに無力化することができる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、平和的かつ暴力的な制圧という矛盾すらも両立させてしまったというのか!!」


 目をキラキラと輝かせる女騎士団長。

 一方で、ようやく暴風が止み、髪の毛の水分が一本残らず完全に飛び散った師匠は、虚無の表情で畳に突っ伏していた。


「……信じられない」


 師匠は、ワナワナと肩を震わせた。


「私……後ろからアルドに髪を撫でられて、『いい匂いですね』って言われながらイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、風洞実験室に放り込まれた『空飛ぶ魔獣の模型』みたいな扱い受けて、顔の肉をブルブル震わせなきゃいけないのよっ!!」

「完全に……完全に髪がサラッサラですわ……。でも、顔の筋肉が風圧で痙攣しております……」


 師匠の絶叫と、セレスティアのうめき声が和室に響き渡る。

 湯冷めの心配は一瞬で完璧に解消され、二人の髪は最高級の絹糸のように美しく仕上がっていたが、彼女たちの甘い目論見は、暴風の前に無残にも吹き飛ばされていた。


 僕のステータス画面には、新たに【全自動速乾送風ターボ・ブロワー】と【暴風の美容師】という、どんな凶暴な魔鳥だろうと風圧で地上に叩き落としてしまいそうな、狂気の送風スキルが刻まれていた。


 僕は、システムの隙を突いてまで誘惑を試みた彼女たちの執念を退けられたことに安堵の息を漏らした。

 どれほど巧妙にバグを偽装しようとも、強烈な物理現象(風圧)の前にはただ屈するしかないのだ。僕は彼女たちの予想外のハッキング能力に感心しつつも、次は目を輝かせるシルフィア団長に、髪のキューティクルを守るための『マイナスイオン』の概念について詳しく解説し始めるのだった。


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