第63話:無関心の誘惑と、己を裏切る全自動安眠管理槽
全自動速乾送風機の暴風によって髪を乾かし終え、僕たちは高級宿での就寝時間を迎えていた。
広い和室には、宿の者が敷いてくれた三組の布団が、それぞれ等間隔に並べられている。
いつもの彼女たちなら、ここで必ず仕掛けてくるはずだ。「怖いからくっついて寝ましょう」とか「魔力循環のために布団を一つにしましょう」といった、理性を削り取る破廉恥な提案を。
僕はすでに、いかなる誘惑にも即座に対応できるよう、脳内で新たな防御結界の構築をシミュレートしながら身構えていた。
しかし、予想は完全に裏切られた。
「それじゃあアルド、おやすみなさい。今日は色々と疲れたわ」
「ええ。神の御加護が、アルド様の夢にありますように。おやすみなさいませ」
師匠であるエレノア・ヴェルベットも、セレスティアも、首元までしっかりとボタンを留めた分厚い寝巻きを着込み、自分の布団に潜り込むと、こちらを一瞥することもなく背を向けてしまったのだ。
(な、なんだと……!? 隙あらば肌を密着させようとしてくるお二人が、完全に無防備な就寝時に何もしないだと!?)
静まり返る和室。聞こえるのは、二人の規則正しい寝息だけ。
だが、僕は魔術師だ。この不自然な状況の裏に隠された真の意図に気づかないほど愚かではない。
(これは……『無関心の誘惑』だ!)
あえて距離を置き、視覚的な刺激を一切絶つ。そうすることで、僕自身の脳内に「なぜ今日は誘ってこないんだ?」という疑念を植え付け、やがてそれは「もしかして僕に魅力がないのか?」「いや、今なら隣の布団に潜り込んでも怒られないのでは?」という、己の想像力による煩悩の大暴走を引き起こす。
外部からの誘惑ではなく、内側から理性を崩壊させる、極めて高度な心理戦の試練!
(なんという恐ろしい策だ……! ならば僕も、自らの意識を強制的に遮断し、一切の邪念が入り込む余地のない『完璧な睡眠環境』を構築するしかない!)
僕は自分の布団の上に正座し、周囲の空間に向けて両手をかざした。
「術式展開――闇属性魔法『感覚遮断』および、土属性魔法『全自動安眠管理槽』!」
カチリ、と僕の魔力が、布団の周囲を覆うように流線型の分厚い土と魔力のカプセルを生成した。
外の光も音も完全に遮断され、内部は一人寝るのにちょうどいい、極めて狭いが安心感のある空間だ。これで僕の視覚も聴覚も塞がれ、想像力が暴走する前に強制的に深い眠りへと落ちることができる。
完璧だ。僕は勝利を確信し、カプセルの中で目を閉じた。
――しかし、僕が構築した家電魔術の自動制御は、僕の思惑とは全く別の、純粋な『効率』のみを追求して設計されていたのだ。
深夜。山間の宿場町特有の急激な冷え込みが、部屋の温度を急低下させた。
僕の安眠管理槽は内部の温度低下を感知し、直ちに保温行動のプログラムを起動させた。だが、ここで魔力を使ってヒーターを起動するのはエネルギー効率が悪いと、魔術のシステムが勝手に判断を下してしまったのだ。
『警告。カプセル内の温度低下を確認。魔力消費を抑えるため、最も効率的な【外部の生体熱源】を搬入し、密着による保温を開始します』
「……え? 生体熱源?」
カプセルの壁が突如としてスライドしたかと思うと、見えない風の腕が室内に伸びた。
そして次の瞬間。
「きゃああっ!?」
「ひゃんっ!?」
スパーン! とカプセルの扉が閉まり、僕の寝ている極狭の空間に、隣で寝ていたはずの師匠とセレスティアが、布団ごと乱暴に放り込まれてきた。
「な、なんだ!? なんでお二人がここに!」
「わ、分からないわよ! 急に体が宙に浮いて、気づいたらアルドの布団の中に……!」
一人用のカプセルに大人三人が押し込まれたのだ。当然、身動きなど取れるはずもない。
僕の右半身には師匠の豊かな胸が、左半身にはセレスティアの柔らかな太ももが、これ以上ないほど密着して押し付けられている。
『生体熱源の確保を完了。カプセル内の温度、最適値まで上昇。これより八時間、扉を完全ロックし、強制睡眠モードに移行します』
「ば、馬鹿な! 開けろ! 自分で作った魔法なのに、解除コードを受け付けない!」
効率のみを優先した安眠管理槽は、僕の焦りなど無視して完全に沈黙した。
暗闇と密室。そして、左右から押し付けられる圧倒的な女性の柔らかさと、甘い匂い。僕の理性を守るはずの防壁が、史上最悪の強制密着空間へと変貌してしまったのだ。
「――アルド師範!! 室内より未知の魔力反応と悲鳴を感知し、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」
その時、見回りをしていたシルフィア団長が襖を開ける音が、カプセルの外から微かに聞こえてきた。
「部屋の中央に鎮座する、一切の攻撃を受け付けないであろう謎の装甲箱……。しかも内部からは、極限まで圧縮された三人の気配がする……! そうか、あえて逃げ場のない狭小空間に身を置き、味方同士で酸素と身動きを奪い合いながら一晩を過ごす『超高負荷・閉鎖環境サバイバル訓練』……! アルド師範、貴殿の兵法はついに、睡眠時間すらも地獄の耐久訓練へと変えてしまったというのか!!」
外で勝手に感動している騎士団長の声が響く。
一方で、僕の腕の中に閉じ込められた師匠とセレスティアは、暗闇の中で頬を真っ赤に染め、歓喜の声を震わせていた。
「……信じられないわ」
師匠は、僕の胸に顔を擦り付けながら甘く囁いた。
「今日はもう諦めて、真面目に寝ようとしてたのに……。まさかアルドの方から、強引にカプセルの中に引きずり込んで、こんなに身動きが取れないほど密着してくるなんて……っ。アルドの獣っ」
「ええ……。私たちが引いたことで、アルド様の狩猟本能に火をつけてしまったのですね。さあ、朝まで逃げられませんわよ……」
僕のステータス画面には、新たに【全自動安眠管理槽】と【己の魔術に裏切られし者】という、魔術師として致命的すぎる称号が刻まれていた。
僕は、嬉しそうに僕の身体に絡みついてくる二人を前に、暗闇の中で絶望の涙を流していた。
家電魔術は便利だ。だが、機械的な効率化を求めすぎた結果、人間の倫理観や僕のストイックな意志を無視し、最適な物理的解決(保温のための密着)を強制実行してしまったのだ。
僕は己の魔術構築の甘さを深く恥じつつ、この絶対に開かない密室の中で、あと八時間、どうやって正気を保ち続けるかの計算を絶望的な気分で始めるのだった。




