第60話:従順な誘惑と、術式を乗っ取られる全自動乾燥室
溶解粘液獣の襲撃を退け、宿場町まであと少しというところで、僕たちは山の天気の洗礼を受けた。
突発的なゲリラ豪雨。僕たちは慌てて街道沿いの洞窟へと逃げ込んだが、全身ずぶ濡れの状態になってしまった。
「はぁ、冷たいわね……服が肌に張り付いて気持ち悪いわ」
洞窟の奥で、師匠のエレノア・ヴェルベットが濡れた髪をかき上げた。
水に濡れて完全に透けた羽織が、彼女の豊満な肉体のラインを容赦なく浮き彫りにしている。隣にいるセレスティアも同様に、濡れそぼった薄衣から白い肌を痛いほど透けさせていた。
いつもの僕なら、ここで身構えるところだ。「寒いから抱きしめて」と迫ってくる彼女たちをどう躱すか、すでに頭の中で新たな魔術の構築を始めていた。
しかし、二人の口から出た言葉は、僕の予想を完全に裏切るものだった。
「アルド、このままだと風邪を引いてしまうわ。貴方の得意な『便利な箱』の魔法で、私たちの服と身体を一瞬で乾かしてくれないかしら?」
「ええ、そうですわね。肌を寄せ合うよりも、アルド様の神聖なる魔術で効率よく乾燥させるのが一番ですわ」
二人は、僕に一切近づこうとせず、ただ純粋に「魔法による解決」を求めてきたのだ。
(な、なんだと……!? あの二人が、密着する絶好のチャンスを捨てて、合理的な解決を望んでいる!?)
僕は猛烈な感動を覚えた。
ついに僕のストイックな姿勢が伝わったのだ。過酷な旅路を経て、彼女たちもまた魔術師として「不要なスキンシップよりも効率を重んじる」という真理に辿り着いたのに違いない!
「もちろんです、お二人とも! 完璧な乾燥空間をご用意します!」
僕は喜び勇んで、洞窟の空きスペースに両手をかざした。
「術式展開――火属性魔法『温風循環』および、風属性魔法『全自動衣類乾燥室』!」
カチリ、と僕の魔力が、洞窟の中に「透明な壁で覆われた、四角い魔法の小部屋」を生成した。中に入れば、心地よい温風が一瞬で衣服の水分を飛ばしてくれる完璧な空間だ。
「さあ、中へどうぞ!」
僕が促すと、二人は素直に小部屋の中へと足を踏み入れた。
だが、その瞬間。師匠とセレスティアが顔を見合わせ、口元に「邪悪な笑み」を浮かべたのを、僕は見逃さなかった。
「ふふっ。アルドの魔法は完璧だけど、毎日見ていれば術式の『隙』くらい分かるのよ」
「ええ。聖女の祈りで、少しだけ仕様を変更させていただきますわ」
二人の指先から、僕の構築した小部屋の壁に向けて、微量の魔力が注ぎ込まれた。
ピガァァァァッ!!
突如、乾燥室の透明な壁が赤黒く変色し、耳障りなエラー音が鳴り響いた。
安全だったはずの温風が、突如として猛烈な熱風を伴う竜巻へと変貌し、さらに「四角い小部屋の壁」が、ギリギリと音を立てて内側に向かって収縮し始めたのだ。
「な、なんだ!? 僕の術式が暴走している!?」
「きゃああっ! アルド、部屋が狭くなっていくわ! それに風が強すぎて、服が吹き飛びそう!」
わざとらしい悲鳴を上げながら、師匠とセレスティアが僕の胸元へと倒れ込んできた。
しまった、嵌められた!
彼女たちは最初から僕に乾燥室を作らせ、そこに自分たちの魔力を干渉させることで「極限まで狭く、服を脱がざるを得ない暴走空間」を意図的に作り出したのだ!
「くっ……外部からの魔力干渉による暴走! 中から魔法で相殺しようとすれば、爆発してしまう!」
壁はみるみるうちに迫り、僕たちは密着せざるを得ない状況に追い込まれた。
押し付けられる柔らかな胸の感触。熱風に煽られてはだける二人の衣服。このままでは、乾燥室という名の密室で、僕の理性が完全に焼き切れてしまう!
「アルド、もう駄目よ……狭すぎて、貴方に抱きつくしか……っ」
「アルド様の胸の鼓動が、こんなに近くで……っ」
勝利を確信した二人が、僕の首に腕を回してくる。
だが、僕は魔術師だ。自分の作った魔法の暴走を前に、ただ煩悩に飲まれるわけにはいかない。
「……物理で、叩き割るっ!!」
僕は二人を両腕で強く抱き寄せて竜巻から庇うと、魔力を一切込めない純粋な「拳」を、収縮してくる透明な壁に向かって全力で叩きつけた。
パァンッ!!
ガラスが砕けるような音と共に、全自動衣類乾燥室の術式が粉々に砕け散った。
制御を失った風が洞窟内に吹き荒れ、僕たちは勢い余って三人絡み合った状態のまま、冷たい岩肌の地面へと転がり出た。
「痛っ……」
「んんっ……」
僕が目を開けると、右腕の中には衣類がはだけた師匠が、左腕の中にはセレスティアがすっぽりと収まっており、結果として「ずぶ濡れの絶世の美女二人を、床に押し倒して強く抱きしめている」という、かつてないほど破廉恥な体勢になっていた。
「――アルド師範!! 洞窟内で魔力の暴走と爆発音を感知し、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」
その時、外の豪雨を見張っていたシルフィア団長が洞窟の奥へと飛び込んできた。
彼女は、破壊された魔術の残骸と、地面で美女二人を熱烈に押し倒している僕の姿を見て、濡れた岩肌の上にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、僕たち三人の姿を指差した。
「己の絶対的な防御陣をあえて敵にハッキングさせ、内側から暴走する圧力を『純粋な肉体の力』のみで破壊するという『極限環境自爆突破訓練』……! これならば、敵に魔法を封じられた絶望的な状況下でも、決して屈しない強靭な肉体と精神を養うことができる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、自らの魔術の敗北すらも筋力トレーニングの一環に組み込んでしまったというのか!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、床に押し倒されたまま僕の腕の中に収まっている師匠とセレスティアは、驚きで目を丸くしたあと、頬を真っ赤に染めてとろけるような笑みを浮かべた。
「……信じられない」
師匠は、僕の胸に顔を埋めながら、歓喜に肩を震わせた。
「私……ただ密室を作りたかっただけなのに……まさかアルドの方から、こんなに力強く床に押し倒して抱きしめてくれるなんて……っ」
「ええ……。魔法が壊れた衝撃とはいえ、この温もりと密着感……計算以上の神の恩寵ですわ……」
僕のステータス画面には、新たに【魔力干渉への脆弱性】と【物理粉砕の抱擁者】という、魔術師としては致命的な弱点と、ただの脳筋のような不名誉な称号が刻まれていた。
僕は、嬉しそうに僕の腕の中で身をよじらせる二人を見下ろしながら、かつてないほどの危機感を抱いていた。
魔術さえ構築すれば全て解決すると思っていた僕の考えは、甘かった。彼女たちは僕の魔法に順応し、裏をかき、術式を乗っ取るという頭脳戦を仕掛けてくるまでに進化してしまったのだ。
これからは、ただ便利な魔法を作るだけでは生き残れない。
僕は、自身の魔術に『パスワード認証』と『不正アクセス検知システム』を組み込むという、全く新しいセキュリティ対策の必要性に頭を抱えるのだった。




