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第59話:粘液溶解の誘惑と、魔獣を粉砕する全自動超音波洗浄



 自律型草刈機オート・モアによって迷宮樹木ラビリンス・トレントを丸く可愛らしい庭木へと剪定した僕たちは、すっかり歩きやすくなった森の道を抜け、宿場町への帰路を急いでいた。

 しかし、日が完全に落ちて薄暗くなった街道で、新たな魔獣が僕たちの行く手を阻んだ。


「グルルルル……」


 道を塞ぐように現れたのは、体長三メートルほどの巨大な半透明の泥の塊、『溶解粘液獣メルト・スライム』だった。

 この魔獣は、獲物に酸性の粘液を吐きかけて動きを封じる習性を持つ。特に厄介なのは、その粘液が「人体には無害だが、布や革などの有機繊維のみを急速に溶かす」という、極めて性質の悪い成分で構成されていることだ。


 ビチャァッ!!


 魔獣が威嚇と共に吐き出した粘液が、僕たちの足元に降り注いだ。

 僕が魔力障壁で防ごうとしたその瞬間。


「ああっ……! 大変、アルド! 避けそこねて、粘液を浴びちゃったわ!」


 師匠のエレノア・ヴェルベットが、わざとらしく僕の背後に回り込みながら悲鳴を上げた。

 彼女の『避暑地用・涼感透け羽織』に粘液が付着し、シュワシュワと音を立てて布地が溶け始めている。しかし、どう見ても彼女自身が自ら粘液の軌道に飛び込み、被害を最小限に抑えるどころか、胸元や太ももといった致命的な部位に的確に粘液を誘導しているようにしか見えなかった。


「いいえ、アルド様! 私もですわ! この卑劣な魔獣の液体のせいで、私の神聖なる薄衣が……布の面積がゼロに近づいてしまいますっ!」


 セレスティアもまた、溶けゆく衣を手で押さえるふりをしながら、むしろ胸の谷間を強調するように身体をよじらせている。


「し、師匠、セレスティア様……! いくらスライムの奇襲とはいえ、その避け方はあまりにも不自然すぎます!」

「あら、全然分かってないわね」


 またしても見事に声が揃う二人。

 師匠と聖女は、服が溶けかかった半裸の状態で、艶めかしい視線を僕に向けた。


「魔術師たるもの、特殊な粘液を浴びた際は、水や魔法で洗い流すのではなく、他者のマナを帯びた素手で直接拭き取ってもらうのが基本なの。溶けた布ごと粘液を素手で掬い取り、肌の隅々まで指を這わせる『密着粘液除去の儀』は、緊急時の冷静さを養う神聖な修行なのよ」

「な、なるほど……! 極めて無防備な相手の素肌に触れ、しかも粘液のヌルヌルとした感触という強烈な触覚的誘惑に耐えながら、一切の邪念を抱かずに汚れだけを取り除くという、究極の精神修養!」


 僕は深く頷いた。

 ただの魔獣の体液すらも、精神を鍛え上げるための過酷な修行の場だったとは。やはりお二人の探求心には頭が下がる。


(ば、馬鹿な! この薄暗い街道で、服が溶けかかった美女二人の全身を、素手でねっとりと拭き回すだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 肌に密着する粘液の滑らかさと、指先に伝わる体温。拭き取りという大義名分の下で男としての「煩悩」が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、この街道を理性を失った欲望の沼へと変えてしまう!


(これも試練だ……! 『服を溶かす粘液と素手での拭き取り要請』という、視覚と触覚を完全に支配する最強の罠。この極限状況下でも、決して相手の肌に触れず、かつ一瞬で粘液を無害化して衣服を復元するという、超高度な浄化テスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 素手で拭き取れば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。

 ならば、僕自身が手を触れるのではなく、「空間そのものに目に見えない微細な振動を発生させ、汚れや粘液だけを分子レベルで粉砕して弾き飛ばす『超音波の浄化空間』を展開してしまえば」いいのだ。


「承知いたしました、お二人とも! 完璧な汚れ落としをお約束します!」


 僕は手を伸ばそうとしてくる二人からサッと距離を取り、魔獣と二人のいる空間に向けて両手をかざした。


「えっ? ちょ、アルド様? ハンカチを出さないで何をして――」

「術式展開――風属性魔法『超高速微振動ウルトラソニック』および、水属性魔法『全自動超音波洗浄機スマート・クリーナー』!」


 カチリ、と僕の魔力が、空間の法則を書き換えた。


 キィィィィィィィィンッ……!!


 静かな夜の街道に、およそ魔法使いの戦いとは思えない、鼓膜の奥をくすぐるような高い振動音が響き渡った。

 僕が展開した結界の中は、目に見えない無数の音波の泡で満たされた。


「さあお二人とも、少しだけ体がビリビリするかもしれませんが我慢してください! 一瞬で粘液が消え去ります!」

「ビリビリ!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」


 ビビビビビッ! パァンッ!!


 師匠とセレスティアの肌に付着していた粘液が、超音波の振動によって一瞬で乳化し、サラサラの粉末となって弾け飛んだ。

 同時に、溶けかかっていた衣服の繊維も微振動の魔力によって再結合し、元の美しい布地へと数秒で復元されていく。


 それだけではない。僕の超音波結界は、目の前にいた巨大なメルト・スライムそのものをも飲み込んでいた。


「ギョロッ!?」


 巨大な泥の塊であった魔獣は、凄まじい超音波振動を全身に浴び、文字通り「分子レベルの汚れ」として認識され、ブクブクと泡を立てながら一瞬にして純白のサラサラとした入浴剤バスソルトのような粉末へと分解されてしまったのだ。


「な、何これぇぇぇっ!?」

「わ、私の粘液イベントが……謎の細かい振動であっという間に乾燥してしまいましたわ!?」


 衣服が完全に元通りになり、サラサラになった二人の悲鳴が響く。


「――アルド師範!! 前方より空間そのものを震わせる異常な共鳴音を感知し、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」


 その時、周囲の警戒にあたっていたシルフィア団長が剣を抜いて駆けつけてきた。

 彼女は、完全に衣服が復元されて立ち尽くす師匠たちと、街道にこんもりと積もった純白の粉末(元スライム)、そして涼しい顔で耳を塞いでいる僕を見て、粉末の上にガクンと片膝をついた。


「な、なんという……ッ!!」


 シルフィア団長はワナワナと震えながら、空中の全自動超音波洗浄の術式を指差した。


「剣を交えることすらなく、空間そのものを震わせて敵の肉体構造を分子レベルで粉砕し、無害な粉末へと還元してしまう『完全非接触・生体分解陣』……! これならば、どんなに巨大で物理攻撃が効かない不定形の怪物であろうと、一瞬にして塵に帰すことができる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、敵を討伐するのではなく『洗浄する』という神の領域に達したというのか!!」


 目をキラキラと輝かせる女騎士団長。

 一方で、粘液を完全に拭き取られ、元通りの服を着せられた師匠は、虚無の表情で足元の白い粉末を見下ろしていた。


「……信じられない」


 師匠は、ワナワナと肩を震わせた。


「私……『ああっ、肌が溶けちゃう! アルドの指で優しく拭って!』って言って、密着しながら上目遣いでイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、眼鏡屋の店先に置いてある機械の中に放り込まれた『薄汚れたレンズ』みたいな扱い受けて、全身ビリビリさせられなきゃいけないのよっ!!」

「完全に……完全にサラサラですわ……。あのヌルヌルとした背徳的な時間が、一秒も存在しませんでした……」


 師匠の絶叫と、セレスティアのうめき声が、静かな街道に響き渡る。

 スライムの脅威は一瞬で完璧に排除されたが、彼女たちの甘い目論見もまた、超音波の微振動によって木端微塵に粉砕されていた。


 僕のステータス画面には、新たに【全自動超音波洗浄機スマート・クリーナー】と【分子分解の清掃員】という、どんな恐ろしい毒性の魔獣だろうと数秒で洗濯してしまいそうな、狂気の洗浄スキルが刻まれていた。


 僕は、足元に積もったサラサラの粉末(良質な入浴剤の香りがする)を眺めながら、ふと息を吐いた。

 衣服を溶かすスライムは確かに恐ろしい。一歩間違えれば防具を失い、致命傷を負う大自然の脅威だ。

 しかし、そんな危険な魔獣の体液すらも、自ら浴びに行って誘惑のダシに使おうとしていた彼女たちの執念を前にすると、魔獣なんてものは酷く単純で、ただ音波で洗えば落ちる程度の「ちょっとした汚れ」のように思えてくる。


 僕は己の精神力の未熟さを恥じつつ、この良質な入浴剤(元スライム)を宿に持ち帰るための袋を取り出しながら、シルフィア団長に「こびりついた油汚れを落とすための最適な振動周波数」について教え始めるのだった。


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