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第55話:軟膏塗布の誘惑と、密着を避ける全自動被膜展開



 魔法温熱卓スマート・コタツの圧倒的な快適さによって、高級宿での夜は(怠惰な意味で)平和に過ぎ去った。

 翌朝。すっきりと目覚めた僕たちは、王都郊外の宿場町を観光するため、外出の準備を整えていた。この日は雲一つない快晴で、初夏のような強い日差しが降り注いでいた。


「ねえアルド。外は日差しが強いから、出かける前にこれを塗ってちょうだい」


 部屋の鏡台の前に座る師匠エレノア・ヴェルベットが、小瓶を手にして振り返った。

 本日の観光用装備は『避暑地用・涼感透け羽織』だという。しかし、その下は極小の布地で胸と腰を覆っているだけで、背中は腰のあたりまで完全に露出している、破廉恥極まりない代物だった。


「いいえ、アルド様。まずは私からお願いいたします。聖女の清らかな白肌を紫外線から守るため、この『日除けの聖油』を、私の太ももと背中に隅々まで刷り込んでくださいませ」


 師匠の隣では、セレスティアが同じく背中を丸出しにした『神聖巡礼・薄衣』を纏い、自身の白い脚を撫で上げながら妖艶に微笑んでいた。


「し、師匠、セレスティア様……! いくら日焼け対策とはいえ、お二人とも無防備すぎます! それに、軟膏なら自分で塗れるはずです!」

「あら、全然分かってないわね」


 またしても見事に声が揃う二人。

 師匠と聖女は、小瓶を差し出しながら艶めかしい視線を僕に向けた。


「魔術師たるもの、防御用の薬効成分は他者のマナを込めた手で直接擦り込むことで、その効果が何倍にも跳ね上がるの。柔らかな肌の感触を指先で確かめながら、時間をかけてゆっくりと全身を撫で回す『素手密着・薬効浸透の儀』は、集中力を高めるための神聖な修行なのよ」

「な、なるほど……! 極めて無防備な相手の素肌を隅々まで触り続けるという強烈な肉体的誘惑スキンシップに耐えながら、一切の邪念を抱かずに薬だけを正確に塗り広げるという、究極の精神修養!」


 僕は深く頷いた。

 ただの外出準備すらも、精神を鍛え上げるための過酷な修行の場だったとは。やはりお二人の探求心には頭が下がる。


(ば、馬鹿な! この密室で、極薄着の美女二人の背中や太ももを、素手でねっとりと撫で回すだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 指先に伝わる滑らかな肌の感触と、体温。薬を塗るという大義名分の下で男としての「煩悩」が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、ただの日焼け止めを怪しい媚薬へと変質させてしまう!


(これも試練だ……! 『素手による全身軟膏塗布』という、触覚と理性を完全に破壊する最強の罠。この極限状況下でも、決して相手の肌に触れず、かつ完璧に薬効成分を全身にコーティングするという、超高度な防御付与テスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 素手で塗れば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。

 ならば、僕が手作業で塗り広げるのではなく、「薬の成分を微細な霧状に変換し、風の魔力で全身の皮膚に均一に吹き付ける『全自動の噴霧機構』を構築してしまえば」いいのだ。


「承知いたしました、お二人とも! 完璧な紫外線対策をお約束します!」


 僕は差し出された小瓶を受け取る代わりに、二人に向けて両手をかざした。


「えっ? ちょ、アルド様? 軟膏を受け取らないで何をして――」

「術式展開――水属性魔法『微粒子化ミスト』および、風属性魔法『全自動被膜展開スプレー・コーティング』!」


 カチリ、と僕の魔力が、二人の持っていた小瓶の中身を空中に吸い上げた。


「さあお二人とも、目を閉じて息を止めてください! 一瞬で全身にコーティングが完了します!」

「息を止める!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」


 プシュウゥゥゥゥゥッ!!


 静かな客室に、およそ身支度とは思えない、圧縮された空気が一気に噴き出す鋭い音が響いた。

 僕が魔力で微粒子化した軟膏の成分が、暴風のような勢いで二人の全身に吹き付けられる。手で塗れば数十分かかる作業が、一切の塗りムラも、物理的な接触もなしに、わずか三秒で完璧な保護膜として定着していく。


「な、何これぇぇぇっ!?」

「冷たいっ! 全身に強烈な霧が打ち付けられておりますわ!?」


 僕が展開した理不尽すぎる噴霧システムに、師匠と聖女の悲鳴が響く。


「――アルド師範!! 隣室より毒霧兵器に似た噴射音を感じ、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」


 その時、隣の護衛部屋から出立の準備を終えていたシルフィア団長が飛び込んできた。

 彼女は、部屋の中で白い霧に包まれながらむせ返っている師匠たちと、その横で満足げに頷く僕を見て、畳の上にガクンと片膝をついた。


「な、なんという……ッ!!」


 シルフィア団長はワナワナと震えながら、空中の全自動被膜展開の術式を指差した。


「出撃前の兵士一人一人に耐火や防毒の軟膏を手作業で塗るという手間を完全に省き、軍隊全体を瞬時に極小の薬効結界で包み込む『広域一斉・防御付与陣マス・バフ・スプレー』……! これならば、奇襲を受けて一刻を争う事態であろうと、数秒で全軍の防御力を最大まで引き上げることができる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、出撃準備という概念すらも数秒に圧縮してしまったというのか!!」


 目をキラキラと輝かせる女騎士団長。

 一方で、ようやく霧が晴れ、全身ピカピカの保護膜に覆われた師匠は、はだけた羽織の裾を握り締めながら虚無の表情を浮かべていた。


「……信じられない」


 師匠は、ワナワナと肩を震わせた。


「私……アルドに背中を撫でられながら、『師匠、肌が綺麗ですね』って赤面させてイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、出陣前に錆止め油をプシューって吹き付けられる『量産型のゴーレム』みたいな扱い受けてんのよっ!!」

「完全に……完全に全身がコーティングされましたわ……。でも、心は驚くほどカサカサです……」


 師匠の絶叫と、セレスティアのうめき声が高級宿の朝に響き渡る。

 紫外線への備えは一瞬で完璧に完了したが、彼女たちの甘い目論見は、微細な霧と共に完全に霧散していた。


 僕のステータス画面には、新たに【全自動被膜展開スプレー・コーティング】と【紫外線への反逆者】という、どんな炎のブレスを吐く竜が相手だろうとスプレー缶一つで無効化してしまいそうな、狂気の防御付与スキルが刻まれていた。


 やはり魔術師との外出準備とは、魔獣よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず目や口に入った時の正しい水洗いの方法を教えるのだった。


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