第54話:肌寒さの誘惑と、戦意を溶かす魔法温熱卓
全自動飲料提供機によって、高級宿の広間での夕食は完全に安全かつ無機質な水分補給の場へと変わった。
食事が片付けられ、夜が更けてくると、王都郊外の山間に位置するこの宿場町には、しんしんと冷たい夜風が吹き込み始めた。
「……ああっ、山奥の夜は冷えるわね。アルド、こっちへ来て。私と一緒に一つの掛け布団に入りましょう」
部屋の隅に敷かれた布団の上に座る師匠エレノア・ヴェルベットが、身震いしながら手招きをしてきた。
彼女の装備は、夕食時から変わらず『湯上がり用・魔力解放和衣』である。大きくはだけた襟元から覗く白い肌は、確かに冷気に当てられて少しだけ鳥肌が立っているようにも見えたが、それ以上に「掛け布団の中で密着しよう」という明確な下心が透けて見えていた。
「いいえ、アルド様。冷えた体を温めるには、聖女の祈りと共に体温を分け合うのが最も効果的ですわ。さあ、私の胸の奥で、その冷たい手足を温めてくださいませ」
師匠の隣では、セレスティアが薄桃色の『神聖休息・透け羽織』の裾をまくり上げ、自身の太ももをぽんぽんと叩いていた。
「し、師匠、セレスティア様……! 冷え込んでますし、お二人とも薄着すぎます! それに、寒さなら僕が火の魔法で部屋の温度を上げますから!」
「あら、全然分かってないわね」
またしても見事に声が揃う二人。
師匠と聖女は、掛け布団を広げながら艶めかしい視線を僕に向けた。
「魔術師たるもの、急激な気温低下に対しては、自身のマナを放出するのではなく、他者の生命力と直接触れ合って熱を補い合うのが基本なの。一つの布団の中で手足を絡ませ、肌と肌をこすり合わせて熱を生み出す『摩擦的・魔力保温法』は、極寒の地を生き抜くための神聖な修行なのよ」
「な、なるほど……! あえて魔力による安易な加温を禁じ、極限の密着状態から生じる肉体的興奮(摩擦熱)のみで寒さを凌ぐという、理性を試される究極の生存修養!」
僕は深く頷いた。
ただの冷え込みすらも、精神を鍛え上げるための過酷な修行の場だったとは。やはりお二人の探求心には頭が下がる。
(ば、馬鹿な! この肌寒い密室で、極薄の和装美女二人と一つの布団に潜り込み、手足を絡ませるだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
冷えた肌を温めるという大義名分の下で、掛け布団という密閉空間の中で男としての「煩悩」が大暴走を起こす。僕の邪念という最悪の猛毒が、この静かな夜の宿を、理性を失った欲望の炎で焼き尽くしてしまう!
(これも試練だ……! 『寒さを口実にした同時添い寝の誘惑』という、本能的な温もりへの渇望を利用した最強の罠。この極限状況下でも、決して相手に触れず、かつ完璧な防寒と休息の場を提供するという、超高度な環境構築テスト!)
僕は覚悟を決めた。
布団に入れば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。
ならば、僕たちが全身を密着させるのではなく、「足元のみを効率的に温め、一度入れば決して出たくなくなる『魔の温熱空間』を部屋の中央に構築してしまえば」いいのだ。
「承知いたしました、お二人とも! 完璧な保温をお約束します!」
僕は布団に誘う二人からサッと距離を取り、部屋の中央の座卓に向けて両手をかざした。
「えっ? ちょ、アルド様? 布団に入らないで何をして――」
「術式展開――火属性魔法『局所持続熱源』および、土属性魔法『全自動魔法温熱卓』!」
カチリ、と僕の魔力が、部屋の中央にあった木製の座卓の構造を書き換えた。
座卓の下に見えない微弱な熱源が灯り、同時にどこからともなく現れた分厚い魔法の布団が、座卓全体をすっぽりと覆い隠した。
「さあお二人とも、その机の下に足を入れてみてください! 全身を密着させずとも、一瞬で極上の温もりに包まれます!」
「足を入れる!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」
僕が魔力で二人の背中を軽く押し、温熱卓の布団をめくって足を入れさせた瞬間。
「ああっ……!?」
「こ、これは……何という、暴力的なまでの暖かさ……っ!」
二人の動きが、文字通り「完全に」停止した。
下半身を包み込む完璧な温度。分厚い布団によって外部の冷気は完全に遮断され、足元から全身へと、とろけるような熱が駆け巡っていく。
先ほどまで「アルドを布団に引きずり込もう」とギラギラしていた二人の瞳から、急速に戦意(欲望)が失われ、ただの「温かさに支配された怠惰な生き物」へと成り下がっていくのが分かった。
「な、何これぇぇぇ……出られない……。お尻の根っこが、畳から離れないわぁ……」
「わ、私の聖なる誘惑が……足元のぽかぽかに、全て溶かされていきますわ……」
僕は二人から離れた正面の席に座り、自分も温熱卓に足を入れながら、先ほど出したドリンクバーから注いだ温かいお茶をすすった。完璧な平和である。
「――アルド師範!! 隣室より異常な熱源の滞留と、極端な魔力の低下反応を感じ、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」
その時、隣の護衛部屋からシルフィア団長が剣を抜いて飛び込んできた。
彼女は、部屋の中央の謎の卓に下半身を飲み込まれ、完全に骨抜きになって卓上に突っ伏している師匠たちを見て、畳の上にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、全自動魔法温熱卓を指差した。
「敵を攻撃して屈服させるのではなく、あえて極上の快適さを与えることで戦う意志そのものを根こそぎ奪い去る『絶対的怠惰の檻』……! これならば、どれほど血の気の多い狂戦士の部隊であろうと、一滴の血も流さずにその場に釘付けにし、無力化することができる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、平和的に敵軍を廃人へと変える悪魔の領域に足を踏み入れたというのか!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、完全に温熱卓の魔力に敗北し、卓上でだらしない顔を晒している師匠は、はだけた和衣を直す気力すら失い、虚無の表情で僕を見ていた。
「……信じられない」
師匠は、コタツ布団から首だけを出したまま、ワナワナと唇を震わせた。
「私……冷たい足先をアルドの太ももにこすりつけて、『ほら、温めてちょうだい』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、泥沼にはまって動けなくなった怠惰なスライムみたいな扱い受けて、机の下から一歩も出られなくなってんのよぉ……」
「ダメですわ……。神の奇跡をもってしても、この机の下の引力には逆らえません……」
師匠の絶叫と、セレスティアのうめき声が、コタツ布団に吸い込まれていく。
部屋の寒さは完璧に解消されたが、彼女たちの甘い目論見は、魔法の熱源によってドロドロに溶かされていた。
僕のステータス画面には、新たに『全自動温熱卓』と『戦意剥奪の悪魔』という、どんな恐ろしい魔王軍だろうと冬場にこれを設置するだけで全滅させてしまいそうな、狂気の環境制圧スキルが刻まれていた。
やはり魔術師との夜の過ごし方とは、魔獣よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず卓の上に置くためのミカンの正しい皮の剥き方を教えるのだった。




