第45話:残り香の誘惑と、情念を脱水する全自動回転洗浄
三層に隔離された「完全防音・防護寝所」の二段目で、僕は完璧な目覚めを迎えた。
結界を解除して寝室の床に降り立つと、一段目と三段目から解放された師匠エレノア・ヴェルベットとセレスティアが、恨めしそうな顔で僕を睨みつけていた。
「おはよう、アルド……。昨夜はよくも私を、薬草箱の引き出しに閉じ込めるような真似をしてくれたわね」
「おはようございます、アルド様。神の使いである聖女をガラスケースに陳列するとは、なんと斬新な崇拝の形でしょうか……」
二人は不満げな様子だったが、僕は爽やかな笑顔で一礼した。
無事に朝を迎えられたのだから、僕の防衛策は大成功だったと言える。
しかし、休む間もなく次の「試練」はやってきた。
朝の着替えを済ませた二人が、脱衣所の前で待ち構えていたのだ。
師匠の腕の中には、昨夜彼女が身につけていた『就寝時魔力同調・極薄ネグリジェ』が、セレスティアの腕の中には『神聖就寝衣』が抱えられていた。
「さあ、アルド。弟子の務めとして、私の洗濯物をお願いするわ。魔術師にとって衣類は第二の皮膚。私の汗と魔力が染み込んだこの布地を、貴方の手で優しく揉み洗いすることで、二人の魔力波長をより深く結びつけるのよ」
「いいえ、まずは私の服からですわ。聖女の衣は、運命の伴侶の清らかな手によって洗浄されなければ、その神聖な加護を保てません。さあ、私の脱ぎたての温もりを感じながら、一枚ずつ丁寧に手洗いしてくださいませ」
二人は、ほんのりと熱を帯びた、極端に布面積の少ない(ほぼ紐と透かし布の)衣服を僕の鼻先に突き出してきた。
(ば、馬鹿な! 絶世の美女二人の、脱ぎたての寝間着を、僕自身の手で直接揉み洗いしろだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
水に濡れて透き通った布地の感触。そこに残るかすかな甘い香りと、柔らかな肌の記憶。手洗いという大義名分の下で、男としての「煩悩」が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、彼女たちの衣類を不浄な呪いの装備へと変質させてしまう!
(これも試練だ……! 『絶世の美女の寝間着を手洗い』という、理性と道徳を同時に破壊する最強の誘惑。この極限状況下でも、決して対象に直接触れず、完璧に清潔な状態へと洗い上げるという、超高度な洗浄テスト!)
僕は覚悟を決めた。
手洗いをすれば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。
ならば、僕が手で洗うのではなく、「空間そのものを回転させ、水流と遠心力で一切の接触なく汚れを叩き落とす『自動洗浄機構』を構築してしまえば」いいのだ。
「承知いたしました、お二人とも! 完璧な洗濯をお約束します!」
僕は差し出された衣類を避けるように、空の洗濯樽に向けて両手をかざした。
「えっ? ちょ、アルド様? 受け取らないで何をして――」
「術式展開――水属性魔法『水球結界』及び、風属性魔法『超高速遠心脱水』!」
カチリ、と僕の魔力が、洗濯樽の上に巨大な「透明な水の球体」を生成した。
「さあお二人とも、その水の球体の中に衣類を投げ込んでください! あとは自動で仕上がります!」
「投げ込む!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」
ゴウンッ、ゴウンッ、ギュイィィィィィィンッ!!
静かな洗濯場に、およそ衣類を洗うとは思えない、暴風雨のような轟音と激しい水しぶきが巻き起こった。
僕が構築した水の球体は、二人の服を吸い込むと同時に、横向きに超高速で回転を始めた。内部では、叩きつけるような水流と泡が荒れ狂い、まるで嵐の海に巻き込まれた小舟のように、ネグリジェと就寝衣が凄まじい勢いでグルグルと回っている。
「な、何これぇぇぇっ!?」
「わ、私の神聖な衣が……透明な壁に張り付いて、ものすごい勢いで回っておりますわ!?」
洗濯というよりは「粉砕」に近い光景に、二人の悲鳴が響く。
洗浄、すすぎ、そして凄まじい遠心力による脱水工程まで、一切の物理的接触なしで自動進行していく。
「――アルド師範!! 水場より凄まじい水竜巻の気配を感じ、急ぎ駆けつけ……な、なんとっ!?」
その時、剣を抜いた王室騎士団長のシルフィアが洗濯場に飛び込んできた。
彼女は、空中で轟音を立てて高速回転する謎の水の球体と、その中でグルグルと回る極薄の衣服を見て、濡れた石畳の上にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、空中の全自動回転洗浄結界を指差した。
「毒や呪いを受けた敵兵の装備品に直接触れることなく、超高速の水流と遠心力のみで一切の穢れを物理的に弾き飛ばす『遠隔・浄化水牢』……! これならば、未知の呪縛兵器や疫病の染み付いた戦利品であろうと、自軍を危険に晒すことなく安全に無力化・再利用できる! アルド師範、貴殿の兵法はついに、戦場での安全な物資回収の概念すらも覆したというのか!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、ようやく回転が止まり、結界が弾けて「ふんわりと乾き上がった衣類」がカゴに落ちてきたのを見た師匠は、虚無の表情でそのカゴを見つめていた。
「……信じられない」
師匠は、ワナワナと肩を震わせた。
「私……アルドに手渡しして、水桶の中で手が触れ合ったり、『師匠の匂いがします』とか言われてイチャイチャする予定だったのに……。なんで私の繊細な服が、小麦を粉砕する水車小屋の歯車みたいな勢いでぶん回されてんのよっ!!」
「神への供物すら、あんな荒々しい儀式を受けたことはありませんわ! 目が……服を見ているだけで目が回ります……」
師匠の絶叫と、聖女のうめき声が洗濯場に響き渡る。
二人の衣類は、一切のシワもなく、汚れ一つない完璧な状態に仕上がっていたが、彼女たちの顔には絶望だけが浮かんでいた。
僕のステータス画面には、新たに【全自動回転洗浄機構】と【呪物浄化の専門家】という、どんな恐ろしい呪いの装備だろうと洗剤と遠心力で一発解決してしまいそうな、狂気の洗濯スキルが刻まれていた。
やはり共同生活での家事とは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず洗濯物の素材に応じた正しい回転数の合わせ方を教えるのだった。




