第37話:溶解沼のおんぶと、密着を弾き飛ばす絶対電磁射出
迫り来る壁の罠(無限ランニングマシン)を抜け、僕たちは『崩石の遺跡』のさらに奥深くへと進んでいた。
松明の灯りが照らし出す地下三階の通路は、ひどく湿り気を帯びている。
先頭を歩く師匠エレノア・ヴェルベットの『高感度エコー・スーツ(極薄の全身ラバースーツ)』が、歩くたびに「キュッ、キュッ」と艶かしい摩擦音を立て、大きく開いた胸元が揺れるたびに僕の理性をゴリゴリと削り取ってくる。
「……アルド、止まって。この先、マナの反響が異常よ」
師匠が足を止め、前方を見据えた。
そこには、通路を完全に塞ぐようにして、幅三十メートルほどの巨大な地底湖が広がっていた。
だが、ただの水ではない。ブクブクと不気味な泡を立て、石の欠片を投げ入れると一瞬でドロドロに溶けてしまう『強酸性溶解スライムの沼』だった。
「厄介ね。私のラバースーツは酸に耐性があるけれど、足元がひどく滑るわ。アルド、貴方の『浮遊靴』の魔法なら、酸に触れずに渡れるわよね?」
師匠は艶やかな吐息を漏らし、振り返って僕を上目遣いで見つめながら、尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「魔術師にとって、足元の安定は魔力制御の絶対条件よ。こんな滑る沼の上を歩けば、マナが乱れてしまうわ。だからアルド……貴方の広い背中で、私をおんぶして対岸まで運んでちょうだい。……しっかりと、落とさないように太ももを支えてね?」
それは、ダンジョン探索における『合法的なおんぶ(超密着)』の要求だった。
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。
(ば、馬鹿な! あの全身に密着したラバースーツ姿の師匠を背負い、あまつさえ太ももを素手で抱え込んで、三十メートルもの距離を歩くだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
歩くたびに背中に押し付けられる、あの豊満な双丘の質量と柔らかな体温。そしてラバー特有の滑らかな感触が、僕の理性を瞬時に焼き切る。おんぶという大義名分の下で男としての『煩悩』が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、この強酸スライム沼と化学反応を起こして大爆発を引き起こしてしまう!
(これも試練だ……! 『おんぶでの沼渡り』という男の庇護欲を刺激する最強の誘惑の中でも、決して相手に触れず、完璧な輸送作戦を遂行するという、師匠からの超高度な兵站テスト!)
僕は覚悟を決めた。
おんぶすれば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。
ならば、僕が背負うのではなく、『強酸の沼と師匠のラバースーツの間に強力な磁場を発生させ、非接触のまま対岸へ射出』してしまえばいいのだ。
「承知いたしました、師匠! 完璧な輸送をお約束します!」
僕はおんぶの姿勢でしゃがむ代わりに、師匠から一歩下がり、両手を前に突き出した。
「えっ? ちょ、アルド? 背中を向けないで何をして――」
「術式展開――雷属性魔法『超伝導』及び、無属性魔法『電磁反発』!」
カチリ、と僕の魔力が、師匠のラバースーツと沼の表面に強烈な磁場(同じ極の電磁波)を付与する。
「さあ師匠、一瞬で対岸へお届けしますよ!」
「お届け!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」
ブィィィィィンッ!!!!
静かな地下迷宮に、およそ魔法とは思えない、巨大な変圧器やコイルが起動したような凄まじい駆動音が響き渡った。
師匠の体は、強烈な磁力による反発現象(マイスナー効果)によって、フワリと地上十センチの高さに浮き上がった。
そして次の瞬間。
ズギュゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
空中に浮いた師匠の体は、見えない磁力のレールの上を、最新鋭の磁気浮上式鉄道の如き猛スピードで、三十メートルのスライム沼の上を一直線に滑空していったのだ。
「ぎゃあぁぁぁっ!? な、何これ!? 体が浮いて、ものすごいスピードで後ろに引っ張られるぅぅっ!?」
師匠の悲鳴がドップラー効果を伴って遠ざかっていく。
時速五百キロにも達する『超電磁おんぶ(射出)』により、師匠はわずかコンマ数秒で沼を横断し、対岸の分厚い苔の壁に「ボヨン!」とカエルのように激突して停止した。
摩擦ゼロ、酸への接触ゼロ。これぞ最も安全で効率的な人員輸送である。
「たのもーっ! アルド師範、後方の罠の解除を終え……な、なんとっ!?」
その時、後方から追いついてきた王室騎士団長のシルフィアが、大剣を背負ったまま通路に飛び込んできた。
彼女は、両手を前に突き出して強烈な磁場を放ち続ける僕と、遥か三十メートル先の対岸の壁に激突し、ラバースーツ姿で目を回してピクピクしている師匠の姿を見て、硬い石畳の上にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、スライム沼の上に残る電磁の残滓を指差した。
「己の『気』を強力な磁場へと変換し、味方を一切の摩擦なく、大砲の如き速度で戦線の奥深くへと撃ち込む『超電磁の縮地』……! これならば、いかなる険しい地形であろうと、重装甲の騎士たちを一瞬で敵陣のど真ん中へ投下することができる! アルド師範、貴殿はついに、人体そのものを神速の飛弾へと変えたというのか!!」
「えっ? いえ、これはただの密着対策のおんぶでして……」
「謙遜されるな! 女の柔らかな胸を背中に押し付けられるという至高の誘惑を前にしても背を向けることすらよしとせず、自らを電磁カタパルトと化して味方を安全圏へ弾き飛ばすその絶対の献身! 我が騎士団の強襲空挺部隊にも、ぜひその『リニア射出術』を取り入れさせていただきます!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、対岸の苔の壁からズルズルと滑り落ちた師匠は、静電気がバチバチと鳴るラバースーツのまま、虚無の表情でこちらを見つめていた。
「……信じられない」
師匠は、強烈なG(重力加速度)でボサボサになった銀髪を整え、ワナワナと肩を震わせた。
「私……わざと足滑らせるふりしてアルドにおんぶしてもらって、『アルドの背中、広くて安心する……』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、最新鋭の特急列車みたいな扱い受けてマッハで射出されて、またあの金髪女の兵器運用の参考にされてんのよ……」
「おや、師匠? どうされましたか? 射出時の初速が速すぎましたか?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生コイルの中で磁石でも回してればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠はバチバチと火花を散らしながら、涙目で迷宮のさらに奥へと猛ダッシュで走り去っていった。シルフィア団長は「なんと雷光の如きダッシュ! これも磁気帯電による神経伝達速度の限界突破か!」と的外れな感嘆の声を上げている。
僕のステータス画面には、新たに【超電磁浮上】と【人間射出機】という、どんな堅牢な城門だろうと味方を直接ぶつけて粉砕できそうな、攻城兵器クラスの輸送スキルが刻まれていた。
やはり地下迷宮での人員輸送とは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず磁気酔いを防ぐための三半規管の鍛え方を教えるのだった。




