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第35話:洗髪のバックハグと、一切触れない全自動・球体水流


 王都から魔女の塔へと帰還し、日常の静けさが戻った日の午後。

 塔の地下にある大浴場の洗い場で、師匠であるエレノア・ヴェルベットは椅子に腰掛け、艶然と微笑んで僕を招き寄せた。


「さあ、アルド。旅の汗を流したいの。今日は『頭頂魔力クラウン・マナのディープ・クレンジング』よ」


 本日の師匠の入浴装備は『魔力浸透型・極小泡水着』だという。

 しかし、その実態は、特殊な石鹸の泡を胸と腰の周りにギリギリのバランスで付着させているだけの、もはや水着という概念すら存在しない絶望的な代物だった。

 パチン、と泡が一つ弾けるたびに、雪のように白く滑らかな素肌が容赦なく露わになり、防御力は秒刻みでマイナスへと突入していく。


「し、師匠……! いくらマナを浸透させるためとはいえ、そのお姿は……あまりにも泡が儚すぎます! 少し動いただけで大惨事(全裸)になりますよ!」

「あら、全然分かってないわね」


 師匠は艶やかな吐息を漏らし、泡を弾かせながら尤もらしい魔術理論を語り始めた。


「頭皮は、宇宙のマナを受信する最も重要なアンテナなの。そして、頭皮の毛穴に詰まった古いマナを押し出すには、波長の合う弟子の『素手による優しいマッサージ』が絶対に不可欠なのよ。服を着ていては、腕から伝わる魔力流が阻害されてしまうわ」

「な、なるほど……! 己の羞恥心を捨てて泡のみを纏い、純粋な魔力の受信器となるためのみそぎの儀式!」


 僕は深く頷いた。

 日常の洗髪すらも魔術の探求に昇華させる大魔女の覚悟。やはり師匠は偉大だ。

 だが、僕の背筋には熱いお湯の温度をかき消すほどの冷や汗が流れていた。


「ええ。だからアルド……私の後ろに立ってちょうだい。そして、貴方の逞しい両手で私の頭を包み込んで、指の腹で優しく……耳元で吐息を感じるくらい顔を近づけて、マッサージしてね?」


 師匠が潤んだ瞳で僕を見上げ、濡れた銀髪をかき上げる。

 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。


(ば、馬鹿な! この滑りやすい洗い場で、泡しか纏っていない師匠の背後に立ち、あまつさえ至近距離で頭皮を揉みほぐすだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 洗髪に集中しようにも、僕の腕が師匠の泡まみれの肩や背中に触れてしまう可能性は極めて高い。お湯で火照った師匠の体温と甘い香りが、僕の理性を瞬時に焼き切る。男としての『煩悩』が大暴走を起こし、神聖な頭皮のアンテナに僕の邪念という最悪のノイズを受信させてしまう!


(これも試練だ……! 『お風呂での洗髪』という男のロマンの結晶のような誘惑の中でも、決して相手に触れず、完璧なクレンジングを行うという、師匠からの超高度な美容テスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 手で洗えば、必ず煩悩に支配され、手が滑る。

 ならば、僕の手を使わず、かつ『髪の毛と頭皮だけを局所的な無重力空間に隔離し、全自動の流体力学で洗い上げれば』いいのだ。


「承知いたしました、師匠! 完璧な洗髪をお約束します!」


 僕は師匠の背後に立つ代わりに、三メートルほど距離を取り、両手をボールを包み込むような形に構えた。


「えっ? ちょ、アルド? 後ろに来ないで何をして――」

「術式展開――水属性魔法『局所球体水牢アクア・グローブ』及び、風属性魔法『超高速旋回水流トルネード・ウォッシュ』!」


 カチリ、と僕の魔力が、師匠の頭部周辺の空間座標と水分子に直接干渉する。


「さあ師匠、一瞬で古いマナを洗い流しますよ!」

「洗い流す!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」


 ゴボボボボボボボッ!!!!


 静かな大浴場に、およそ美容行為とは思えない、業務用の全自動洗濯機のような凄まじい水流音が響き渡った。

 僕が創り出した直径五十センチの『無重力の水の球体』が、師匠の後頭部から髪の毛だけをスポイトのように吸い込み、空中で完全に隔離したのだ。(※呼吸を妨げないよう、顔面は水球の外に出してある)

 そして次の瞬間、水球の内部で猛烈な竜巻が発生し、無数のミクロの泡が師匠の髪と頭皮を毎分三千回転の超高速で揉みくちゃにし始めた。


「ぎゃあぁぁぁっ!? か、髪の毛がっ! 頭皮が全部上に引っ張られて、洗濯機みたいに回ってるぅぅっ!?」


 師匠の悲鳴が洗い場に響き渡る。

 超高速の旋回水流に揉みくちゃにされた銀髪は、水球の中でメデューサのように荒れ狂い、完璧な摩擦と水圧によって頭皮の汚れ(と古いマナ)がミクロン単位で削り落とされていく。

 あまりの引っ張る力と遠心力に、師匠の顔は重力に逆らって「ムギューッ」と上方に引っ張られていた。


「たのもーっ! アルド師範、背中を流しに――な、なんとっ!?」


 その時、ガラッ!と大浴場の扉が開き、バスタオル一枚に剣だけを装備した王室騎士団長のシルフィアが飛び込んできた。

 彼女は、三メートル離れた場所から真剣な顔で魔力を放ち続ける僕と、自身の髪の毛だけが空中の水球に吸い込まれて洗濯機のように高速回転させられ、白目を剥きかけている師匠の姿を見て、濡れたタイルにガクンと片膝をついた。


「な、なんという……ッ!!」


 シルフィア団長はワナワナと震えながら、空中で荒れ狂う水球を指差した。


「己の『気(水流)』を球状に固定し、敵の頭部(急所)のみを捕縛して絶え間ない水圧と回転で脳髄を揺らす『水牢の処刑台アクア・アイアンメイデン』……! これならば、触れることすらせず、対象の視界と平衡感覚を完全に奪い、無音のまま制圧することができる! アルド師範、貴殿はついに、水そのものを最も残酷な拷問具(武器)へと変えたというのか!!」

「えっ? いえ、これはただの密着対策のシャンプーでして……」

「謙遜されるな! 女の裸身という最大の誘惑を前にしても近づくことすらよしとせず、遠当ての如き水球のみで敵の思考を停止させるその絶対の支配力! 我が騎士団の捕縛術にも、ぜひその『局所球体水牢』を取り入れさせていただきます!!」


 目をキラキラと輝かせる女騎士団長。

 一方で、完璧なすすぎと乾燥(温風魔法)が完了し、天使の輪ができるほどツヤツヤのサラサラストレートヘアになった師匠は、虚無の表情でシャワーヘッドを見つめていた。


「……信じられない」


 師匠は、綺麗になりすぎた自身の髪を撫で、ワナワナと肩を震わせた。


「私……アルドに優しく頭撫でられて、『お湯加減、熱くないですか?』『……ええ、ちょうどいいわ』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、顔面引っ張られて最新鋭のドラム式洗濯機みたいな扱い受けて、またあの金髪女の拷問術の参考にされてんのよ……」

「おや、師匠? どうされましたか? 水流の回転数が強すぎましたか?」

「アンタなんか……アンタなんか、一生コインランドリーの前で座ってればいいのよぉぉぉっ!!」


 師匠は泡が消えかけてさらに危険な状態になった水着のまま、涙目で脱衣所へと走り去っていった。シルフィア団長は「なんと抵抗のない滑らかなダッシュ! これも頭皮の血行促進による全身のバネの強化か!」と的外れな感嘆の声を上げている。


 僕のステータス画面には、新たに【球体水牢アクア・プリズン】と【悪魔の美容師】という、どんな凶悪な魔獣だろうと一瞬で窒息・無力化させられそうな、水属性の最凶拘束スキルが刻まれていた。


 やはり大浴場での洗髪とは、魔術よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず髪が傷まない正しいキューティクルの守り方を教えるのだった。


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