第29話:太ももの毒吸いと、唇を拒む絶対遠隔透析
魔女の塔から少し離れた『腐魔の森』の奥深く。
希少な魔法薬の素材となる植物を採取していた僕と師匠であるエレノア・ヴェルベットの間に、突如として悲鳴が響き渡った。
「きゃああっ! 痛っ……!」
「師匠!? どうされました!」
草むらにへたり込んだ師匠が、涙目で自身の太ももを押さえていた。
本日の彼女の野外探索用装備は『対瘴気・自然同化型カモフラージュ』だという。
しかし、その実態は、緑色のツタと大きな葉っぱを数枚、胸と腰に巻きつけただけの、いわゆる「ジャングルを生き抜く野生児(極限露出)」のスタイルであった。
当然、足元から太もも、腰のラインに至るまで、雪のように白い素肌が完全に剥き出しになっている。
「あ、アルド……。私、油断してたわ。草陰に潜んでいた『情熱の毒蛇』に、太ももの内側を噛まれてしまったみたい……」
「な、なんと! それは大変だ!」
僕は慌てて師匠のそばに駆け寄った。
確かに、彼女の艶やかな内太ももに、ポツリと小さな赤い噛み跡がある。
「この蛇の毒は、全身の血を沸騰させて理性を奪う恐ろしい媚毒よ。手で絞り出すだけじゃ間に合わないわ……」
師匠は艶やかな吐息を漏らし、熱を帯びた瞳で僕を見上げながら尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「毒を完全に抜き取るには、魔力を持った者の『唇と舌』で患部を直接塞ぎ、強い吸引力と共にマナを送り込んで中和するしかないの。……お願い、アルド。私の太ももに直接口をつけて、毒を吸い出して……!」
「な、なるほど……! 己の羞恥心を捨ててでも、毒の回りを防ぐための究極の応急処置!」
僕は深く頷いた。
だが、僕の背筋には氷水を浴びたような冷や汗が流れていた。
(ば、馬鹿な! あの汗ばんだ師匠の柔らかな内太ももに、僕の唇を直接押し当てて、あまつさえ舌で毒を吸い出すだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
師匠の柔肌の感触と甘い香りが、僕の理性を瞬時に焼き切る。解毒という大義名分の下で男としての『煩悩』が大暴走を起こし、僕の邪念という最悪の猛毒が、傷口から師匠の魔力回路へと逆流してしまう!
(これも試練だ……! 『太ももへのキス』という男の理性を木端微塵に砕く最強の誘惑の中でも、決して相手に触れず、完璧な解毒を行うという、師匠からの超高度な医療テスト!)
僕は覚悟を決めた。
口で吸えば、必ず煩悩に支配され、過ちを犯す。
ならば、僕の唇を使わず、かつ『ミクロン単位の毒素だけを、物理的な接触ゼロで血液から分離・摘出させれば』いいのだ。
「承知いたしました、師匠! 完璧な解毒をお約束します!」
僕は師匠の太ももに顔を近づける代わりに、三メートルほど距離を取り、患部に向かって手のひらを向けた。
「えっ? ちょ、アルド? 口をつけないで何をして――」
「術式展開――水属性魔法『血液操作』及び、無属性魔法『超高速遠心分離』!」
カチリ、と僕の魔力が、師匠の傷口付近の液体(血液)に直接干渉する。
「さあ師匠、一瞬で毒素を分離しますよ!」
「分離!? ちょっと待っ――ひゃああっ!?」
ブギュルルルルルッ!!!!
静かな森に、およそ医療行為とは思えない、強烈な吸引音と液体の回転音が響き渡った。
師匠の太ももの傷口から、ビー玉ほどの大きさの『血液の球体』が空中にポンッと抜き出されたのだ。
そして次の瞬間、空中に浮かんだ血の球体が、僕の魔力によって毎分十万回転という恐るべき速度で回転を始めた。
「ぎゃあぁぁぁっ!? 私、私の血がっ! 空中でコマみたいに回ってるぅぅっ!?」
超高速の遠心分離にかけられた血の球体から、重さの違う『毒素の成分(ピンク色の液体)』だけがポロポロと外側に弾き出され、純粋な赤血球と血漿だけが中心に残っていく。
完璧に毒が抜けきった綺麗な血液を、僕は再びスゥーッと師匠の傷口へと戻し、回復魔法で塞いだ。
「たのもーっ! アルド師範、周辺の魔物討伐を終え――な、なんとっ!?」
その時、森の茂みをかき分けて、周辺をパトロールしていた王室騎士団長のシルフィアが飛び込んできた。
彼女は、三メートル離れた場所から真剣な顔で魔力を放ち続ける僕と、自身の太ももから血が空中に飛び出して高速回転し、また戻ってくるという猟奇的な光景を目の当たりにして腰を抜かしている師匠の姿を見て、腐葉土の上にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、空中で分離されたピンク色の毒液を指差した。
「傷口に触れることすらなく、敵の毒液を体内の『気(血流)』ごと空中に引きずり出し、己の氣の渦(遠心力)で浄化して体内に戻す『虚空の血削ぎ』……! これならば、いかなる猛毒の暗器を受けようとも、戦場に立ちながら一瞬で己の血を洗い流すことができる! アルド師範、貴殿はついに、生命の源である血流すらも自在に操る武神となられたのか!!」
「えっ? いえ、これはただの密着対策の毒抜きでして……」
「謙遜されるな! 女の白磁のような太ももという最大の誘惑を前にしても近づくことすらよしとせず、遠当ての如き魔力のみで血を浄化するその絶対の精神力! 我が騎士団の野戦医療にも、ぜひその『空中遠心分離術』を取り入れさせていただきます!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、完璧に毒が抜けきり、傷跡一つなくなったツヤツヤの太ももを抱えた師匠は、虚無の表情で森の木々を見上げていた。
「……信じられない」
師匠は、綺麗に塞がった太ももを撫で、ワナワナと肩を震わせた。
「私……わざとトゲで太もも引っ掻いて蛇に噛まれたふりして、アルドにちゅうちゅう吸ってもらって、『あっ、そこ……感じちゃう……』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、森のど真ん中で血液を洗濯機みたいに回されて、またあの金髪女の武術の参考にされてんのよ……」
「おや、師匠? どうされましたか? 遠心分離の回転数が強すぎましたか?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生試験管の中で血でも回してればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠は葉っぱのビキニ姿のまま、涙目で塔の方へと走り去っていった。シルフィア団長は「なんと血色の良いダッシュ! これも血流浄化による肉体活性化か!」と的外れな感嘆の声を上げている。
僕のステータス画面には、新たに【血液操作】と【遠隔人工透析】という、どんな不治の病の患者だろうと瞬時に血を入れ替えて完治させられそうな、禁忌の神医クラスのチートスキルが刻まれていた。
やはり野外での応急処置とは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず遠心力でバターを作る方法を教えるのだった。




