第26話:混浴での背中流しと、一切触れない全自動・超高圧洗浄
魔女の塔の地下深く。大地のマナが液状化して湧き出る『地下の霊泉(大浴場)』には、もくもくと白い湯気が立ち込めていた。
霊泉の効能を高めるため、薬草の香りが漂う湯船の縁で、師匠であるエレノア・ヴェルベットは背中を向けて座っていた。
「さあ、アルド。こっちへ来て。今日は月に一度の『魔力毛穴のディープクレンジング』よ」
濡れた銀髪をかき上げながら振り返る師匠の姿は、もはや防御力という概念が完全に溶け去った、致死量の毒を放っていた。
本日の彼女の入浴装備は『魔力融解型・バス・タオル』だという。
しかし、その実態は、霊泉のお湯に触れた瞬間に溶けて透明になる特殊な繊維であり、現在彼女の体にまとわりついているのは『ただの水滴』だけであった。
湯気越しに見える、雪のように白く滑らかな背中から腰にかけての曲線が、完全に無防備な状態で晒されている。
「し、師匠……! いくら霊泉の効能を高めるためとはいえ、その……タオルが完全に透明化して機能不全を起こしています!」
「あら、全然分かってないわね」
師匠は艶やかな吐息を漏らし、尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「マナの汚れは、普通の水や石鹸では落ちないの。大気と完全に同化するこの透明タオルこそが、毛穴を開かせる究極の入浴着よ。そして、開いた毛穴から古いマナを物理的に押し出すには、波長の合う弟子の『素手による摩擦』が絶対に不可欠なのよ」
「な、なるほど……! 己の羞恥心を完全に霊泉に溶かし、純粋な魔力の器となるための禊の儀式!」
僕は深く頷いた。
入浴という最も無防備な時間すらも魔術の探求に捧げる。大魔女の覚悟には本当に頭が下がる。
だが、僕の背筋には熱いお湯の温度をかき消すほどの冷や汗が流れていた。
「ええ。だからアルド……私の後ろに座って。そして、貴方の両手で、私の背中から腰、そしてもう少し下の奥のほうまで……ゆっくりと、時間をかけて撫でるように洗ってちょうだい」
師匠が潤んだ瞳で僕を見つめ、自身の濡れた肩を艶かしく撫でる。
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。
(ば、馬鹿な! この滑りやすい霊泉の湯気の中で、完全に素肌の師匠の背中を、僕の素手で直接擦るだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
お湯で火照った師匠の柔らかな体温と、濡れた肌の滑らかな感触が、僕の理性を瞬時に焼き切る。男としての『煩悩』が大暴走を起こし、神聖な霊泉の中に僕の邪念という最悪の猛毒を撒き散らしてしまう!
(これも試練だ……! 『お風呂での背中流し』という男のロマンの結晶のような誘惑の中でも、決して相手に触れず、完璧なクレンジングを行うという、師匠からの超高度な洗浄テスト!)
僕は覚悟を決めた。
素手で洗えば、必ず煩悩に支配され、手が滑る。
ならば、僕の手を使わず、かつ『ミクロン単位の毛穴の汚れを、物理的な水圧のみで弾き飛ばせば』いいのだ。
「承知いたしました、師匠! 完璧な背中流しをお約束します!」
僕は師匠の背後から三メートルほど距離を取り、右手の人差し指を銃のように構えた。
「えっ? ちょ、アルド? なんでそんな遠くに離れる――」
「術式展開――水属性魔法『超高圧水流』及び『極小気泡破砕』!」
カチリ、と僕の魔力が霊泉の水を吸い上げ、極限まで圧縮する。
「さあ師匠、一瞬で古いマナを削り落としますよ!」
「削る!? ちょっと待っ――」
チュイィィィィンッ!!
静かな大浴場に、魔術とは思えないような、工業用の高圧洗浄機のような凄まじい駆動音が響き渡った。
僕の指先から放たれた極細の超高圧水流が、師匠の背中に向かって一直線に撃ち出される。
「ぎゃあぁぁぁっ!? ひゃんっ、痛っ! 冷たっ! すっごい水圧ぅぅぅっ!?」
師匠の悲鳴が霊泉に響き渡った。
僕が指先を左右に振るたびに、超高圧の水の刃が師匠の背中をなぞり、古い角質やマナの汚れ(と、ついでに残っていたタオルの残骸)を完全に消し飛ばしていく。
水圧に耐えきれなくなった師匠の体は、濡れた洗い場のタイルを「ズザーッ!」と前方へ猛スピードで滑っていった。
「たのもーっ! アルド師範、本日は滝行の指導を――な、なんとっ!?」
その時、ガラッ!と大浴場の扉が開き、なぜか脱衣所に甲冑を置いて水着姿になった王室騎士団長のシルフィアが飛び込んできた。
彼女は、洗い場の端まで高圧水流によって吹き飛ばされ、ピカピカ(というか真っ赤)になった背中を押さえて蹲る師匠と、指先から激しい水流を放ち続ける僕の姿を見て、濡れた床にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、僕の指先を指差した。
「指先一つから放たれる『気』の奔流を水に纏わせ、一切の武具を持たずして敵を彼方まで吹き飛ばす『水鏡の剛剣』……! アルド師範、貴殿はついに、大自然の水を己の刃と為したというのか!!」
「えっ? いえ、これはただの密着対策の背中流しでして……」
「謙遜されるな! 女の裸身という最大の誘惑を前にしても近づくことすらよしとせず、遠当ての如き水圧のみで汚れ(邪気)を祓い落とすその絶対の潔癖! 我が騎士団の禊の儀式にも、ぜひその『超高圧滝行』を取り入れさせていただきます!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、洗い場の隅まで吹き飛ばされ、汚れ一つないツルツルの背中になった師匠は、虚無の表情でシャワーヘッドを見つめていた。
「……信じられない」
師匠は、水圧でヒリヒリする背中をさすり、ワナワナと肩を震わせた。
「私……アルドに手で優しく洗ってもらって、『あっ、そこはダメ……』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、城壁の汚れ落とすみたいな業務用洗浄機で洗い場をスライディングさせられて、またあの金髪女の武術の肥やしにされてんのよ……」
「おや、師匠? どうされましたか? 水流の圧力が強すぎましたか?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生ホースの先端でも握ってればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠はピカピカに磨き上げられた背中のまま、涙目で脱衣所へと走り去っていった。シルフィア団長は「なんと抵抗のない滑らかなダッシュ! これも水圧による肉体強化の賜物か!」と的外れな感嘆の声を上げている。
僕のステータス画面には、新たに【超高圧洗浄】と【無慈悲なる清掃員】という、どんな強固なドラゴンの鱗すらも削り落とすことができる、城壁清掃員クラスの恐るべき破壊スキルが刻まれていた。
やはり霊泉での背中流しとは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず頑固な水垢を水圧で落とすコツを教えるのだった。




