第25話:背中の編み上げコルセットと、着替えの時間を消去する絶対時空間跳躍
王都の城、美しい庭園を見下ろす迎賓館の一室。
今夜開かれる王室主催の晩餐会に出席するため、僕と師匠であるエレノア・ヴェルベットは客室で着替えの準備をしていた。
「さあ、アルド。私のドレスの着付けを手伝ってちょうだい。まずはこの『魔力圧縮コルセット』の編み上げからよ」
巨大な姿見の前に立つ師匠は、妖艶な笑みを浮かべて僕を招き寄せた。
本日の彼女の着替え前の下着姿は、『魔力循環型・スキン・ファンデーション』だという。
しかし、その実態は、極細の絹糸で辛うじて胸の先端と下腹部を隠しているだけの、もはや下着と呼ぶことすらためらわれる「ただの紐の集合体」であった。
そして彼女の手には、背中で複雑に紐を交差させて締め上げる、分厚い漆黒のコルセットが握られている。
「し、師匠……! いくら着替えの途中とはいえ、その……布という概念を放棄したお姿は、あまりにも目に毒です!」
「あら、全然分かってないわね」
師匠は艶やかな吐息を漏らし、尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「ドレスの下のコルセットは、体内のマナを極限まで圧縮し、魔法の威力を底上げするための重要な魔導具よ。だから、服の上からではなく、素肌に直接きつく縛り付けなければ意味がないの」
「な、なるほど……! 己の肉体を物理的に締め上げ、その反発力を魔力に変換する究極の礼装!」
僕は深く頷いた。
晩餐会という公の場にあっても、常に臨戦態勢(魔力圧縮)を怠らない師匠の姿勢には本当に頭が下がる。
だが、僕の背筋には滝のような冷や汗が流れていた。
「ええ。だからアルド……私の背後に立って。そして、貴方の膝を私の素肌(背中)にぴったりと押し当てて、体重をかけながらこの紐を限界まで強く引っ張ってちょうだい。……苦しくて、甘い声が出ちゃうかもしれないけれど、気にしないでね?」
師匠が潤んだ瞳で振り返り、僕にコルセットの紐を差し出す。
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。
(ば、馬鹿な! あの紐しかない背中に僕の膝を押し当てて密着し、あまつさえ師匠の甘い吐息を至近距離で浴びながら紐を引くだと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
僕の男としての『煩悩』が大暴走を起こし、理性のタガは完全に吹き飛んでしまう。
魔力を圧縮するための神聖なコルセットに、僕の邪念という最悪のノイズが混入すれば、晩餐会の最中に師匠のドレスが大爆発を引き起こすかもしれない!
(これも試練だ……! 『着替えの手伝いという究極の密室イベント』の誘惑の中でも、決して相手に触れず、完璧な着付けを行うという、師匠からの超高度な精神力テスト!)
僕は覚悟を決めた。
手で紐を結べば、必ず煩悩に支配され、肌が触れてしまう。
そもそも『着替え』という行為自体が、魔術師にとって最も隙の大きい、無防備で危険な時間なのだ。
ならば、僕が『着替えに要する時間そのものを、この宇宙から消去』してしまえばいいのだ。
「承知いたしました、師匠! 完璧な着付けをお約束します!」
僕は紐を受け取る代わりに、師匠から一歩下がり、空間に向かって指を弾いた。
「えっ? ちょ、アルド? 紐を持たないで何をして――」
「術式展開――時空魔法『局所時間削除』及び『事象の強制確定』!」
カチリ、と僕の魔力が世界の時間の歯車に干渉する。
プツンッ。
まるで古いフィルム映画のコマが飛んだかのように、視界が一瞬だけブレた。
「……あれ?」
次の瞬間。
姿見の前に立っていた師匠は、先程までの『紐のような下着姿』ではなく、すでに漆黒のコルセットを完璧に締め上げ、その上に豪奢な深紅のイブニングドレスを寸分の狂いもなく着こなした状態になっていた。
「えっ? ちょっと、何これ!? 私、いつの間にドレスを着たの!? っていうか、コルセットの紐を結ばれた記憶が飛んでるんだけど!?」
師匠はパニックになりながら、自身の完璧なドレス姿と、一歩も動いていない僕を交互に見比べた。
「ご安心ください、師匠! 不意の接触による『魔力汚染(色仕掛け)』を完全に防ぐため、貴女がドレスを着終わるまでの『約5分間』の時間を、この宇宙から完全に削除しました!」
「は……?」
「過程は消滅し、『着替え終わった』という結果だけがこの世界に残りました! これなら僕の手は一ミリも触れませんし、何より魔術師としての致命的な『着替えの隙』をゼロにすることができます!」
僕は胸を張り、ドヤ顔で言い放った。
完璧な対応だ。着替えの隙を完全に無くす、これぞ実戦的魔術の極みである。
「――アルド師範!! 今、室内の時間の流れが、不自然に跳躍した気配が……な、なんとっ!!」
その時、ガチャリと部屋の扉が開き、護衛として廊下に立っていた王室騎士団長のシルフィアが飛び込んできた。
彼女は、先程まで下着姿だったはずの師匠が一瞬で完璧なフルドレス姿になっているのを見て、またしてもその場にガクンと片膝をついた。
「な、なんという……ッ!!」
シルフィア団長はワナワナと震えながら、師匠のドレスと僕を指差した。
「武の最大の隙である『換装(着替え)』の瞬間。それを隠すのではなく、時間そのものを削り取って『瞬時に完全武装を完了する』だと……!? これぞ伝説の神技『時飛ばしの換装』!! アルド師範、貴殿はついに、時間の概念すらも武具として手に入れたというのか!!」
「えっ? いえ、これはただのコルセット対策の……」
「謙遜されるな! 女の裸身という誘惑に時間を割くことすら無駄と切り捨て、一瞬で戦場への備えを完了するその絶対の効率化! 我が騎士団の甲冑着脱訓練にも、ぜひその『時間削除』を取り入れさせていただきます!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、一人完璧なドレス姿で取り残された師匠は、虚無の表情で姿見を見つめていた。
「……信じられない」
師匠は、きつく締め上げられた(結果だけが残った)コルセットに手を当て、ワナワナと肩を震わせた。
「私……アルドに膝を押し当てられながら紐を引かれて、『んっ……もう少し強く……』ってイチャイチャするはずだった、あの甘い5分間が……この宇宙の歴史から、完全に消去されたの……?」
「おや、師匠? どうされましたか? コルセットの締め付けの結果に不満が?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生時計の針でも眺めてればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠は完璧なイブニングドレスのまま、涙目で晩餐会の会場へと走り去っていった。シルフィア団長は「なんと俊敏なドレスさばき! これも時を跳躍した反動か!」と的外れな感嘆の声を上げている。
僕のステータス画面には、新たに【時間削除】と【結果の支配者】という、どんな無敵の未来予知使いが相手でも、過程を飛ばして必殺の一撃を確定させられる、神をも殺しうる最凶の時空スキルが刻まれていた。
やはり着替えの作法とは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず時間を無駄にしないための早着替えのコツを教えるのだった。




