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第24話:宿屋の同室と、密着を拒む絶対重力反転


 年に一度の魔術祭で賑わう、港町アクアリア。

 素材の買い出しに訪れた僕と師匠エレノア・ヴェルベット、そして護衛として勝手についてきた王室騎士団長のシルフィアは、予想外の事態に直面していた。


「申し訳ありません、お客さん。お祭りでどこも満室でして……。うちも、大きなダブルベッドが一つある最上階のスイートルームしか空いてないんですよ」


 宿屋の主人の言葉に、師匠は「あら、困ったわね」と口では言いながら、その口角を微かに、しかし確実に釣り上げていた。

 結果として、シルフィア団長は宿の馬小屋(本人は「騎獣との語らいは騎士の誉れ!」と喜んでいた)に泊まることになり、僕と師匠の二人が、その大きくてふかふかなダブルベッドのある部屋に泊まることになったのだ。


「さあ、アルド。夜も遅いし、早くベッドに入りましょう。今日は『睡眠時の魔力同期レゾナンス・スリープ』の絶好の機会よ」


 月明かりが差し込む部屋の中で、師匠は妖艶な笑みを浮かべて僕を招き寄せた。

 本日の彼女の就寝用装備は『魔力透過型・シンクロ・ネグリジェ』だという。

 しかし、その実態は、ほとんど透明な薄絹を一枚羽織っただけの、ほぼ全裸と呼んで差し支えない代物だった。月明かりに照らされたそのシルエットは、滑らかな曲線美のすべてを隠すことなく晒し出している。


「し、師匠……! いくら魔力同期のためとはいえ、その……あまりにも無防備すぎるお姿では、風邪を引いてしまいます!」

「あら、全然分かってないわね」


 師匠は艶やかな吐息を漏らし、ふかふかのベッドに横たわりながら尤もらしい魔術理論を語り始めた。


「睡眠時における無意識下のマナの交流には、肌と肌の直接的な触れ合いが最も重要なの。この薄絹は、互いの体温と魔力を極限まで通しやすくするためのフィルター。つまり、一つのベッドでぴったりと身を寄せ合い、同じ布団の中で朝まで過ごすことこそが、最高効率の魔力回復法なのよ」

「な、なるほど……! 己の羞恥心を捨て、文字通り肌身離さず魔力の循環を行う究極の休息術!」


 僕は深く頷いた。

 だが、僕の背筋には氷水を浴びたような冷や汗が流れていた。


「ええ。だからアルド……早くこっちに来て、私の隣に潜り込んでちょうだい。一つのベッドで、朝までずっと一緒に……ね?」


 師匠が潤んだ瞳で僕を見上げ、布団の端をめくって僕のスペースを空ける。

 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。


(ば、馬鹿な! あの透明なネグリジェ姿の師匠と、同じ布団の中で身を寄せ合って朝まで過ごすだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 ふかふかのベッドは寝返りを打つたびに二人の距離を縮め、師匠の柔らかな体温と甘い香水が僕の理性を完全に焼き切る。睡眠という無防備な状態で男としての『煩悩』が大暴走を引き起こせば、同期中の師匠の魔力回路を、僕の邪念で決定的に汚染してしまう!


(これも試練だ……! 『同室でベッドが一つ』というラブコメ最強の誘惑の中でも、決して相手に触れず、己の魔力を清浄に保つという、師匠からの超高度な精神力テスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 隣で寝れば、必ず煩悩に支配され、肌が触れてしまう。床で寝ようにも、この部屋には絨毯すら敷かれていない冷たい石の床しかない。

 ならば、僕が『師匠と絶対に触れ合わない、全く別の平面』で眠ればいいのだ。


「承知いたしました、師匠! 極上の魔力同期をお約束します!」


 僕はベッドに向かって歩き出し――そのまま、壁をスタスタと歩いて登り始めた。


「えっ? ちょ、アルド? なんで壁を垂直に歩いて――」

「術式展開――無属性魔法『絶対重力反転アンチ・グラビティ』及び『分子吸着モレキュラー・グリップ』!」


 カチリ、と僕の肉体にかかる物理法則が完全に逆転した。

 僕はそのまま壁を登りきり、天井へと到達する。そして、師匠が寝ているベッドの『真上の天井』に、仰向けの状態でピタリと張り付いたのだ。


「おやすみなさい、師匠! これならベッドのスペースを奪うこともなく、不意の接触による魔力汚染の心配も皆無です!」

「は……?」


 ベッドに寝転がる師匠が、ポカンと口を開けて僕を見上げる。

 僕も天井から、下を見下ろす形で師匠と視線を合わせた。

 僕の体は重力反転によって天井側に引っ張られているため、布団を被らなくても落ちることはない。僕は天井の板張りに完全に同化し、ヤモリのように微動だにせず目を閉じた。


「――アルド師範! 夜警の報告に参りましたぞ!」


 その時、ガチャリと部屋の扉が開き、馬小屋にいるはずのシルフィア団長が入ってきた。

 彼女は、透け透けのネグリジェ姿で一人ベッドにポツンと取り残された師匠と、その真上の天井で腕を組んで直立不動(直立不倒)で眠りについている僕の姿を見て、ガクンとその場に片膝をついた。


「な、なんという……ッ!!」


 シルフィア団長はワナワナと震えながら、天井の僕を指差した。


「重力を自在に反転させ、天井に張り付いて眠るだと……! これなら、いかなる寝込みの暗殺者も上からの奇襲を予想できず、背中を大地(天井)に預けることで絶対の死角をなくすことができる! これぞ伝説の暗殺者殺し『天蓋のまどろみ』!! アルド師範、貴殿は睡眠時ですら、武の警戒を解かないというのか!!」

「ムニャ……いえ、これはただの密着対策の……」

「謙遜されるな! 絶世の美女が隣にいるという最大の誘惑すら視界に入れず、自らを過酷な天井の重力場に置くそのストイックさ! 我が騎士団の野営訓練にも、ぜひその『重力反転睡眠』を取り入れさせていただきます!!」


 目をキラキラと輝かせる女騎士団長。

 一方で、一人ベッドに取り残された師匠は、虚無の表情で天井を見つめていた。


「……信じられない」


 師匠は、誰もいない隣のスペースのシーツをギュッと握りしめ、ワナワナと肩を震わせた。


「私……わざと宿屋の主人にお金握らせて他の部屋を全部『満室』ってことにさせて、スケスケの服で『アルド、あったかいね……』ってイチャイチャする予定だったのに……。なんで私、一人で広すぎるベッドで冷えながら、天井に張り付いてるコウモリみたいな弟子を見上げて、またあの金髪女の武術講義を聞かされてるのよ……」

「ムニャ……おや、師匠? どうされましたか? 天井の木目が気になりますか?」

「アンタなんか……アンタなんか、一生天井の染みでも数えてればいいのよぉぉぉっ!!」


 師匠は枕を天井に向かって全力で投げつけたが、重力反転の結界に弾かれ、自分の顔面にボフッと落下してきてさらに泣きそうになっていた。


 僕のステータス画面には、新たに【重力反転】と【天井の支配者】という、どんな迷宮の罠すらも無視して直進できる、ダンジョン・マスタークラスの探索スキルが刻まれていた。


 やはり外泊のベッド事情とは、魔術よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず首が痛くならない天井での寝返りの打ち方を教えるのだった。


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