第21話:狭いクローゼットの密着と、己のZ軸を消滅させる絶対平面化
魔女の塔の二階にある、広々とした衣装部屋。
姿見の前に立つ師匠、エレノア・ヴェルベットは、妖艶な笑みを浮かべて僕を招き寄せた。
「さあ、アルド。今日は『拘束による魔力加速』の訓練よ」
本日の師匠の装いは『魔力伝導型・拘束呪符』だという。
しかし、その実態は、赤い絹のリボンを数本、胸の谷間や太もも、そして腰回りに直接巻きつけているだけという、もはや服と呼ぶことすらおこがましい代物だった。リボンが肌に食い込むことで、逆にその豊満な肉感が強調され、凄まじい破壊力を生み出している。
「し、師匠……。いくら訓練とはいえ、その……布面積が少なすぎる上に、肌に食い込んでいるのは痛々しいのでは……?」
「あら、全然分かってないわね」
師匠は艶やかなため息をつき、尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「魔力は、物理的な抑圧を受けると反発して出力を増す性質があるの。つまり、この特殊なリボンで急所をあえて締め付け、肉体的な不自由さを強いることで、体内のマナの流速を極限までブーストさせるという、極めて高度な自問自答の儀式なのよ」
「な、なるほど……! 自らの肉体を縛り上げ、その反発力すらも魔力に変換する究極の効率化!」
僕は深く頷いた。
己の羞恥心のみならず、肉体的な苦痛(拘束)すらも魔術の糧とする。大魔女の探求心には底がない。
「――たのもーっ! アルド師範、本日も教えを乞いに参りましたぞ!」
その時、塔の1階から、よく通る凛とした声が響き渡った。
最近すっかり塔に入り浸っている王室騎士団長、シルフィアの声である。
「ちっ……あの金髪鎧女、また来たのね」
師匠は舌打ちをすると、慌てて僕の腕を掴んだ。
「いいこと、アルド。今の私のこの高度な訓練は、俗物の目にはただの破廉恥な痴態にしか見えないわ。だから……見つかる前に、隠れるわよ!」
師匠は有無を言わさず、僕を衣装部屋の隅にある『縦長の狭いクローゼット』の中へと押し込み、自らも入り込んで扉をピシャリと閉めた。
中は真っ暗で、大人一人が入るのがやっとの広さしかない。そこに二人で入ったのだから、当然、体は密着せざるを得ない。
「(しーっ……声を出しちゃダメよ、アルド)」
暗闇の中、師匠の甘い吐息が僕の耳元をくすぐる。
リボンしか身につけていない師匠の柔らかな体が、僕の胸板から太ももにかけて、ピッタリと押し付けられていた。
ドクン、ドクンと、師匠の心音と体温がダイレクトに伝わってくる。
「(あら……アルド、体が強張ってるわね。狭くてごめんなさいね……んっ)」
師匠はわざとらしく身じろぎをし、その豊かな双丘を僕の胸にグリグリと押し当ててきた。
その瞬間、僕の脳内で最大級の警報が鳴り響いた。
(ば、馬鹿な! この逃げ場のない密室で、ほぼ全裸の師匠と完全密着状態だと!?)
そんなことをすれば、どうなるか。
僕の男としての『煩悩』が大暴走を起こし、理性のタガが吹き飛んでしまう。
ただでさえ師匠は今、魔力をブーストさせる危険な訓練中なのだ。そこに僕の邪念が混ざれば、狭いクローゼットの中で魔力爆発が起きかねない!
(これも試練だ……! 『閉鎖空間でのゼロ距離密着』という絶対絶命の誘惑の中でも、決して相手に物理干渉せず、存在を完全に消し去るという、師匠からのステルス・テスト!)
僕は覚悟を決めた。
突き飛ばす空間はない。ならば、僕自身の『物理的な体積(厚み)』を消滅させればいいのだ。
「術式展開――空間魔法『次元圧縮』及び『絶対平面化』!」
カチリ、と僕の肉体を構成する空間座標が書き換わった。
「(えっ……?)」
暗闇の中で、師匠が戸惑いの声を漏らす。
無理もない。つい数秒前まで彼女の体を押し返していた僕の胸板の感触が、ふっと消失したのだから。
「(あ、アルド? どこ……?)」
師匠の手が空を切り、クローゼットの奥の『木の壁』に触れる。
だが、それは木の壁ではない。
僕だ。
僕は自身のZ軸(奥行き)を極限まで圧縮し、厚さ0・01ミリの『完全な二次元の平面(ただの絵)』となって、クローゼットの壁にピタリと張り付いていたのだ。
これなら、どんなに狭い空間であろうと、師匠の肌に触れることは絶対にない!
「エレノア殿ー! アルド師範ー! お留守ですかー!?」
ガチャリ、と衣装部屋の扉が開く音がした。
シルフィア団長が部屋に入ってきたのだ。
「(ひっ……!)」
師匠はビクッと肩を震わせ、さらに壁(僕)へと身を押し付けてきた。
だが、僕には厚みがないため、師匠の柔らかな感触は僕の平面ボディには一切伝わらない。ただの『壁ドン』状態である。
「む? このクローゼットから、微かな魔力の気配が……」
シルフィア団長の足音が近づき、勢いよくクローゼットの扉が開け放たれた。
「エレノア殿!? な、なんと破廉恥な……いや、これはもしや、己を縛り上げて魔力を高める古代の苦行術!? さすがは大魔女殿、恐れ入る!」
「あ、ええと……その、シルフィア団長、これは……」
赤いリボン姿で壁に張り付いている師匠は、顔を真っ赤にして口ごもった。
「ところで、アルド師範のお姿が見えませんが……」
「お待ちしておりましたよ、シルフィア団長」
僕の声がした瞬間、シルフィア団長と師匠が息を呑んだ。
クローゼットの扉の『蝶番のわずかな隙間』から、紙切れのようにペラペラになった僕の体がスゥーッと滑り出てきたからだ。
そして空中でポンッ!と音を立ててZ軸を取り戻し、いつもの三次元の姿に戻って優雅にお辞儀をした。
「な、なんと……ッ!!」
シルフィア団長が、またしてもその場に崩れ落ちた。
「己の肉体の次元を圧縮し、紙の如き薄さとなって隙間をすり抜ける『絶対隠密の極致(次元遁の術)』……! アルド師範! 貴殿の武は、ついに次元の壁すらも越えられたというのか!!」
「えっ? いえ、これはただの密着対策の――」
「謙遜されるな! 師範のその底知れぬ探求心、ますます惚れ込みましたぞ!!」
目をキラキラと輝かせる女騎士団長。
一方で、クローゼットの中に取り残された師匠は、赤いリボン姿のまま虚無の表情で立ち尽くしていた。
「……信じられない」
師匠は、僕が先程まで張り付いていた壁をペシッと叩き、ワナワナと肩を震わせた。
「私……密室でドキドキさせて、暗闇に紛れてちょっとキスくらいしちゃおうと思ってたのに……。なんで私が壁に胸押し付けてる間に、アルドがペラペラの紙になって脱出して、また別の女から尊敬の眼差し受けてんのよ……」
「おや、師匠? どうされましたか? クローゼットの壁が硬かったですか?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生押し花にでもなってればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠はリボン姿のまま涙目で走り去り、シルフィア団長が「なんと俊敏な動き! これも拘束の反発力か!」と頓珍漢な感心を寄せていた。
僕のステータス画面には、新たに【次元圧縮(二次元)】と【壁画の住人】という、どんな強固な密室や金庫だろうと隙間から侵入できる、伝説の大泥棒クラスの潜入スキルが刻まれていた。
やはり隠密と空間の探求とは、魔術よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、目を輝かせるシルフィア団長に、とりあえず厚みをなくすための腹式呼吸を教えるのだった。




