第20話:密着必至の魔術刻印と、一瞬で全工程を終わらせる全自動・レーザー印刻
魔女の塔の最上階。ほの暗い瞑想室の中には、甘く重たい香気が立ち込めていた。
部屋の中央に置かれた豪奢な天蓋付きベッド。その上で、師匠であるエレノア・ヴェルベットがうつ伏せになり、妖艶な笑みを浮かべて僕を待っていた。
「さあ、アルド。準備はいいかしら。今日は十年に一度の『星辰の儀』に向けて、私の体に新たな魔術回路を刻み込む大切な日よ」
揺らめく蝋燭の光に照らされた師匠の姿は、もはや防御力という概念すら存在しない、目に猛毒すぎる状態だった。
本日の彼女の装いは『魔力浸透型・素体キャンバス』だという。
しかし、その実態は、胸の先端と下腹部の極めて局所的な部分だけを『封印の護符』と呼ばれる小さな札で隠しているだけの、ほぼ完全な全裸であった。
うつ伏せになった彼女の、雪のように白く滑らかな背中から、豊かな曲線を描く腰、そして太ももにかけての広大な素肌が、今から僕が魔術刻印を描き込むべき『キャンバス』である。
「し、師匠……。いくら大掛かりな儀式の前とはいえ、その……あまりにも無防備な素肌を晒すのは……!」
「あら、全然分かってないわね」
師匠はベッドの上で艶かしく身じろぎし、尤もらしい魔術理論を語り始めた。
「魔術回路は、大気と術者のマナを繋ぐ重要なインターフェースよ。衣服の上から描くなんてもってのほか。一切の不純物を排除した素肌に直接、術者同士の体温と魔力を交わらせながら刻み込むことでしか、真の同調は得られないの」
「な、なるほど……! 己の羞恥心を完全に捨て去り、純粋なる魔術の器として自身を開放する、究極の儀式!」
僕は深く頷き、手元にある『星雫のインク』と、細い面相筆を見つめた。
だが、僕の背筋には滝のような冷や汗が流れていた。
「今回の刻印は、背中から太ももにかけての広範囲よ。とても繊細な作業になるから……アルド、私の腰の上に跨って、固定してちょうだい。そして、ゆっくりと……何時間かかってもいいから、貴方の手で、丁寧に私の肌に筆を這わせてね?」
師匠が潤んだ瞳で僕を見上げ、吐息交じりに囁く。
それは、弟子の理性を完全に焼き切るための、甘く危険な誘惑だった。
(ば、馬鹿な! あの汗ばんだ師匠の素肌に直接跨り、何時間もかけて筆を滑らせるだと!? 万が一、僕の手が震えて筆先が狂えば、魔術回路はショートし、最悪の場合は大爆発を引き起こしてしまう!)
そんなことをすれば、どうなるか。
師匠の柔らかな感触と吐息に晒され続ければ、僕の男としての『煩悩』が大暴走を起こす。邪念にまみれた手で描かれた刻印など、師匠の純粋な魔力結節点を汚染する最悪の呪いと化してしまう!
(これも試練だ……! 『長時間の過剰なスキンシップ』という致死量の誘惑の中でも、決して手元を狂わせず、完璧な魔術回路を構築するという、師匠からの超高度な精密作業テスト!)
僕は覚悟を決めた。
手で描けば、必ず煩悩に支配され、誤差が生じる。
ならば、僕の手を使わず、かつ『ミクロン単位の精度で、一瞬のうちに全工程を完了』させればいいのだ。
「承知いたしました、師匠! 僕に全てお任せください!」
僕は師匠の背中に跨る代わりに、ベッドから二歩距離を取り、インクの入った小瓶を空中に放り投げた。
「術式展開――無属性魔法『空間三次元把握(3Dマッピング)』及び『超精密微粒子操作』!」
カチリ、と僕の脳内で、師匠の肉体の完璧な立体図が構築された。
空中に浮かんだインクが、僕の魔力によってナノレベルの極小粒子へと分解され、チリチリと紫色の光を放ち始める。
「えっ? ちょっとアルド? 筆を持たないで何をして――」
「さあ師匠、一瞬だけ息を止めてください! いきますよ!」
僕は指揮者のように両腕を振り下ろした。
「全自動印刻、開始!」
チュイィィィィンッ!!
瞑想室に、魔術とは思えないような甲高い駆動音が響き渡った。
空中に漂っていたインクの微粒子が、僕の構築した空間座標に従って、一斉に猛スピードで師匠の背中へと撃ち込まれる。
手描きならば三時間はかかるであろう、複雑怪奇な『星辰の儀』の巨大な魔術陣。それが、レーザープリンターの如き正確さと速度で、ミクロン単位の狂いもなく師匠の素肌に焼き付けられていく。
「きゃあっ!? ひゃんっ! な、何これ!? 背中がくすぐった――」
ピピッ。
完了音のような舌打ちと共に、術式が終了した。
時間にして、わずか0・1秒。
「終わりましたよ、師匠! 完璧な仕上がりです!」
僕は額の汗を拭い、ドヤ顔で言い放った。
ベッドの上でうつ伏せになっている師匠の背中から太ももにかけて、寸分の狂いもない、芸術的なまでに美しい魔術回路が青白く輝いている。
僕の手は一ミリも触れておらず、煩悩が入り込む余地は皆無。そして何より、長時間の作業による師匠の身体的負担を、ゼロにまで短縮することに成功したのだ。
「……は?」
師匠は、己の背中で輝く完璧な魔術陣を鏡の魔法で確認し、ポカンと口を開けていた。
「えっ……? 終わった……? 私が、アロマキャンドル焚いて、ムード作って……アルドに跨ってもらって、耳元で吐息を感じながら『そこ、くすぐったいわ……』ってイチャイチャするはずの、三時間が……?」
「ご安心ください! 僕の全自動印刻魔法により、所要時間は0・1秒に短縮されました! 人間の手ブレによる数ミリの誤差も完全に排除した、世界一安全で高精度な魔術回路です!」
「なにその、町工場のライン作業みたいな効率化……! 私、ただの工業製品のパーツか何かだったの!?」
師匠はベッドの上で、両手で顔を覆って絶望的な叫びを上げた。
完璧な魔術陣が完成したというのに、なぜか彼女の目からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。
「おや、師匠? どうされましたか? まだどこか、インクが足りない箇所が?」
「アンタなんか……アンタなんか、一生印刷機と付き合ってればいいのよぉぉぉっ!!」
師匠は枕に顔を押し付け、ジタバタと足をバタつかせながら泣き崩れてしまった。
僕のステータス画面には、新たに【神速印刻】と【概念の自動記述】という、どんな複雑な古代言語の魔導書すらも一瞬で複製・付与できそうな、神をも恐れぬアーティファクト作成スキルが刻まれていた。
やはり魔術回路の構築とは、魔法の探求よりも奥が深い。
僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、ベッドで理不尽に泣き叫ぶ師匠の背中に、インクを定着させるための冷風魔法を優しく当ててあげるのだった。




