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第14話:甘美なる膝枕の誘惑と、重力を相殺する絶対無重力ホバリング


 魔女の塔のリビングに、穏やかな午後の陽光が差し込んでいた。

 大きな革張りのソファでくつろぐ師匠、エレノア・ヴェルベットは、自身の太ももをポンポンと優しく叩いた。


「さあ、アルド。こっちにいらっしゃい。今日は月に一度の『聴覚魔力結節オーディオ・ノードのメンテナンス』、通称・耳掃除の時間よ」


 師匠は慈愛に満ちた笑みを浮かべているが、その装いは相変わらず目に猛毒だった。

 本日の彼女の服装は『マナ・リラクゼーション・ウェア』だという。

 しかし、その実態は、極薄のシルクでできたネグリジェのシャツ部分だけを羽織っているようなものであり、下半身に至っては、完全に素足が剥き出しになっていた。

 ソファの上で組まれた、雪原のように白く滑らかな太もも。そこが、今から僕が頭を乗せるべき「指定位置」であった。


「し、師匠……。いくらメンテナンスとはいえ、その……貴女の神聖な御御足おみあしに、僕の薄汚れた頭部を乗せるなど、恐れ多くて……」

「あら、全然分かってないわね」


 師匠は手にした竹製の耳かきをくるりと回し、尤もらしい魔術理論を語り始めた。


「耳の穴は、脳の魔力中枢に最も近い重要な器官よ。そこに溜まったマナのちりを物理的に取り除くには、術者が完全にリラックスした状態――つまり、高濃度のマナを放つ私の太ももの上で、安心感に包まれながら行うのが最も安全で効率的なの」

「な、なるほど……! 聴覚神経の保護と、マナの循環を同時に行うための究極の医療行為!」


 僕は深く頷いた。

 ただ膝枕がしたいわけではない。師匠は僕の魔力回路を正常に保つため、自らの柔肌をクッションとして提供してくれているのだ。

 だが、同時に僕の背筋には冷たい汗が流れていた。


(ば、馬鹿な! あの柔らかく、温かく、甘い香りを放つ師匠の太ももに頭を預けるだと!?)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 僕の脳髄は瞬時に蕩け、男としての根源的な『煩悩』が大暴走を引き起こす。

 脳の魔力中枢に最も近い耳の穴を開放している最中に、邪念という最悪の猛毒を発生させれば、僕の精神は完全に崩壊し、ただの獣に成り下がってしまう!


(これも試練だ……! 『母性的な甘やかし(膝枕)』という最強の精神的誘惑を前にしても、決して己の理性を手放さず、冷静さを保つという、師匠からの抜き打ちテスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 頭を乗せれば、必ず煩悩に支配される。

 ならば、僕の頭が師匠の太ももに「触れているように見せて、実は一切体重をかけていない」状態を作り出せばいいのだ。


「よろしくお願いします、師匠!」


 僕はソファの前に歩み寄り、床に両手と両足をついた。

 そして、師匠の太ももの上へと、ゆっくりと頭を移動させる。


「術式展開――無属性魔法『局所重力反転アンチ・グラビティ』及び、肉体強化『鋼の体幹アイアン・コア』!」


 カチリ、と僕の体内の魔力回路が切り替わった。

 僕は床についた両足のつま先だけを支点にし、首から下の全身を一直線に伸ばしたまま空中に浮かせた。

 そして、師匠の太ももから『ちょうど一ミリメートル上』の空間で、頭部の位置を完全に固定したのだ。


「えっ……? ちょっと、アルド?」


 師匠が困惑の声を漏らす。

 無理もない。外から見れば、僕は師匠の太ももに頭を乗せて寝そべっているように見える。

 だが実際には、僕の頭部は師匠の肌に一ミリも触れておらず、つま先だけの支点で全身の体重を支えるという、人間離れした超高負荷の『空中プランク(ホバリング)』を行っているのだ。


「さあ、師匠! 準備は完了しました! いつでもどうぞ!」


 僕は全身の筋肉をギシギシと軋ませ、滝のような脂汗を流しながら叫んだ。


「い、いや……準備完了って……アルド、アンタ、なんで私の太ももから微妙に浮いてるの!? 全然体重がかかってないんだけど! それに、なんでそんなにプルプル震えて全身から汗を噴き出してるのよ!?」

「ご安心ください! 完全にリラックスしています! 魔力中枢も極めて安定しています!」


 僕は首の筋肉を油圧プレス機のように硬直させ、絶対の一ミリを維持した。

 師匠が僕の頭を太ももに押し付けようと上から手を乗せてくるが、僕の『鋼の体幹』はピクリとも沈まない。


「硬っ!? 何これ、岩!? ねえ、もっと力を抜いて、私に体を預けなさいよ!」

「甘いです、師匠! 貴女の意図は完全に理解しています!」

「えっ!?」

「不意の柔らかさ(膝枕)による『精神の弛緩(色仕掛け)』を誘発しようとしたのでしょうが、僕の完全無重力ホバリングの前では無意味です! 僕の頭部は現在、質量ゼロの絶対座標に固定されています!」


 僕は荒い息を吐きながらドヤ顔で言い放った。

 さらに、師匠が手に持った耳かきを近づけてきた瞬間、僕は最終防衛術式を起動した。


「聴覚ノードの清掃ですね! お任せください! 『超音波振動ソニック・クリーン』!」


 キィィィィンッ!

 僕の耳の穴の内部で、極小の超音波が発生した。

 物理的な耳かき棒が僕の粘膜に触れる前に、耳の中の塵やマナの滞りが、超音波の振動によって一瞬で微細な粉末となり、風魔法で外へと排出された。


「完了しました! 完璧なメンテナンスです、師匠!」

「……は?」


 師匠は、宙に浮いたまま耳かき棒を握りしめ、ポカンと口を開けていた。

 僕の耳には指一本、棒の先すら触れていない。

 僕はつま先を支点にしたまま、シュタッと無駄のない動きで立ち上がった。


「ふぅ……素晴らしいリラクゼーションでした。頭がスッキリしましたよ」

「…………」


 師匠は、何も乗っていない自分の太ももを見つめ、ワナワナと肩を震わせていた。


「……アルド」

「はい! おかげで、重力制御と体幹の限界という新たな極地に――」

「バカァァァァッ!! 膝枕でイチャイチャするロマンを全部ぶち壊しにしてんじゃないわよ!! アンタの頭、一秒も私の脚に乗ってなかったじゃないのよぉぉぉっ!!」


 師匠はクッションを全力で投げつけてきたが、僕はそれを研ぎ澄まされた体幹で華麗にスウェーして躱した。


 僕のステータス画面には、新たに【反重力姿勢制御】と【絶対防壁(物理)】という、どんな巨人の踏みつけすらも耐え凌げそうな、狂気の防御スキルが刻まれていた。


 やはり休息とメンテナンスとは、魔術よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、涙目で太ももをさする師匠に、温かいハーブティーを淹れてあげるのだった。


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