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第12話:密着必至のペアストレッチと、空間を歪めて関節を極める無接触・柔軟術



 魔女の塔の朝は早い。

 広い板張りの訓練棟で、師匠であるエレノア・ヴェルベットは、ヨガマットのような魔獣の毛皮の上に座り込んでいた。


「おはよう、アルド。魔術師たるもの、朝一番の『魔力回路のほぐし』は欠かせないわ。今日は私と一緒にペアストレッチをしましょう」


 爽やかな朝の挨拶と共に僕を迎えた師匠の姿は、今日も例外なく破廉恥の極みだった。

 本日の彼女の装いは『東方由来の修験者風ウェア』だという。

 しかし、その実態は、伸縮性の高い極薄の布で胸の谷間と下腹部を辛うじて覆い隠しただけの、もはや水着よりも面積の少ない代物だった。さらに、生地が肌にぴったりと密着しているため、腹筋のラインや太ももの肉感が、隠すどころか強調されてしまっている。


「し、師匠……。いくら室内とはいえ、その格好は……風邪を引いてしまうのでは?」

「あら、全然分かってないわね」


 師匠は艶やかなため息をつき、またしても尤もらしい魔術理論を語り始めた。


「筋肉や関節の硬直は、そのまま魔力マナの滞りになるの。そして、ストレッチによって毛穴から放出される古いマナは、衣服の繊維に引っかかると逆流して体に毒素として溜まってしまうわ。だから、この『極限まで布を減らし、かつ動きを阻害しないフォルム』こそが、最も効率的なマナ・デトックスの正装なのよ」

「な、なるほど……! 己の肉体と大気を完全に直結させるための、究極の機能美!」


 僕は深く頷いた。

 師匠の理論は常に完璧だ。己の羞恥心を捨ててまで、魔術の効率化を追求するそのストイックな姿勢。弟子として、僕も全力で応えなければならない。


「さあ、まずは開脚の前屈からよ。アルド、私の背中に回って、体重をかけて前に押し倒してちょうだい」


 師匠は両脚を大きく広げ、僕に向かって背中を向けた。

 そして、ちらりと肩越しに振り返り、悪戯っぽく微笑む。


「遠慮しなくていいわよ? 関節の奥深くまでマナを通すには、お互いの体をぴったりと密着させて、アルドの胸板で私の背中をぐぅーっと押し込む必要があるの。……さあ、いらっしゃい?」


 師匠は待ちわびるように目を閉じた。

 その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏で警鐘がけたたましく鳴り響いた。


(ば、馬鹿な! 今の師匠の背中はほぼ素肌だ! そこに僕が密着して体重をかければ、僕の胸板と師匠の背中が完全に重なり合ってしまう!)


 そんなことをすれば、どうなるか。

 師匠の柔らかな体温と甘い香りがダイレクトに僕の理性を焼き切り、男としての『煩悩』が大暴走を引き起こす。

 朝一番の神聖なマナ・デトックスの最中に、術者の背後で邪念という最悪の猛毒を発生させれば、師匠の魔力回路を回復不能なまでに汚染してしまう!


(これも試練だ……! 『肉体的な誘惑』という最強のノイズを前にしても、決して己の魔力を乱さず、パートナーの関節のみを的確にほぐすという、師匠からの高度な抜き打ちテスト!)


 僕は覚悟を決めた。

 物理的な接触をすれば、必ず煩悩が混じる。

 ならば、僕の手や体を使わずに、師匠の背中を「完璧な圧力」で押し込めばいいのだ。


「術式展開――無属性魔法『空間歪曲スペース・ディストーション』及び『ベクトル操作』!」


 僕は師匠の背後から一歩距離を取り、両手の指先で複雑な印を結んだ。

 カチリ、と空間の座標が書き換わる音がした。


「さあ、師匠! 息を吐いてください! いきますよ!」

「えっ? ちょ、アルド? まだ体が触れてな――ひゃあっ!?」


 師匠の悲鳴が訓練棟に響いた。

 僕が展開した術式は、師匠の背中側の『空間そのもの』を物理的な質量を持った壁のように歪め、彼女を前方へと押し出したのだ。


「甘いです、師匠! 貴女の意図は完全に理解しています!」

「な、何これ!? 背中に見えない壁が押し寄せてくるんだけど!?」

「不意の接触による『魔力汚染(色仕掛け)』を誘発しようとしたのでしょうが、僕の空間操作の前では無意味です! 僕の手は一切触れていませんが、全方位から均等な圧力をかけ、関節の可動域を限界まで引き上げます!」


 僕は指先をオーケストラの指揮者のように滑らかに動かした。

 師匠の体は、見えない空間の圧力によって完璧な開脚前屈の姿勢へと折りたたまれていく。

 僕の目は、師匠の肉体ではなく、彼女の体内を巡るマナの滞りだけを正確に捉えていた。


「次は肩甲骨と股関節の同時ストレッチです! 空間座標、三次元スピン!」

「ちょ、待っ、アルド! これペアストレッチじゃない! 私一人で空中に浮いてるんだけどぉぉぉっ!?」


 僕が指を上に弾くと、師匠の体はヨガマットからふわりと一メートルほど宙に浮き上がった。

 空間そのものが彼女の四肢を掴み、重力を無視した状態で、古代の壁画に描かれているような人間離れした超・高難易度ヨガのポーズへと強制的に変形させていく。


「素晴らしい可動域です、師匠! マナの滞りがみるみるうちに解消されていますよ!」

「痛っ、痛くないけど! すごく筋は伸びてるけど! でも恥ずかしい! なんで私、空中で一人で知恵の輪みたいなポーズさせられてるのよぉっ!」


 師匠は空中で手足を複雑に絡ませたまま、涙目で抗議の声を上げた。

 だが、僕の耳には届かない。僕は完全にゾーン(無我の境地)に入っていた。

 空間の歪みを利用して対象の関節をミリ単位で調整し、筋肉の繊維一つ一つを的確にほぐしていく。

 外から見れば、絶世の美女が見えない力によって空中でアクロバティックなポーズを連続で取らされているという、恐怖の拷問ショーにしか見えないだろう。


 やがて、完璧なデトックスが完了し、僕は術式を解除した。

 ふわりとヨガマットに着地した師匠は、そのままパタリと倒れ込んだ。


「ふぅ……完璧な仕上がりでしたね、師匠」

「…………」


 師匠は、極薄のウェアを汗で濡らしながら、信じられないほど軽くなった体でぜえぜえと息を吐いていた。

 その顔は、健康的な血色を取り戻しているが、瞳からは光が消え去っていた。


「……アルド」

「はい! おかげで、空間を直接捻じ曲げるという新たな極地に――」

「バカァァァァッ!! イチャイチャしながら柔軟するロマンを全部ぶち壊しにしてんじゃないわよ!! 私、ただ空中で一人で拷問器具にかけられてた気分だったんですけど!!」


 師匠は信じられないほど柔らかくなった脚から繰り出される、鋭い飛び蹴り(当然、僕が空間を歪めて回避した)を放ちながら、泣きそうになって寝室へと走り去ってしまった。


 僕のステータス画面には、新たに【空間支配】と【次元の整体師】というとんでもない神業スキルが刻まれている。

 これさえあれば、どんな強固な魔物の関節も、空間ごと捻じ切ることができるだろう。


 やはり肉体の探求は、魔術よりも奥が深い。

 僕はさらなる修行の必要性を痛感しながら、綺麗に伸び切った師匠のヨガマットを片付けるのだった。


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