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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第97話「獣人の頂点」

 信頼の置けないおどろおどろしい気配。何かを企んでいるのは分かっていても、フランチェスカもアレックスも選択の余地がない。どうするかの話ではなく従うことだけが絶対の間違いであり正解なのだ。


「(どうするよ……。自力で逃げるのも無理だよな?)」


「(叫ばれたらそれだけで終わりだ。今は従おう。隙を窺って、逃げられるタイミングを下がすんだ。この獣人が何者か、探るだけ探って逃げよう)」


 しばらくニコニコ眺めていた天狐は、やんわりと首を傾げた。


「もう密談は良いかの? わちきにはまるっと聞こえておるが」

「聞こえてたのかい、今の話が……」


 ハッタリだとアレックスは慎重に尋ねる。だが天狐は何をバカなことをと可笑しそうに、着物の袖で口元を隠して笑いながら────。


「嗅覚は疎いが耳まで馬鹿とは言っておらぬ。まあ、この町は騒がしすぎるし、酒呑み共は耳を傾けることもせぬゆえ気づかれなかったが。他の町にいたならば、ぬしらが隠れる場所などありゃあせんじゃろう。さ、行こうかえ」


 くるりと背を向けると、下駄を軽快に鳴らして歩く。信じていいものかと思いつつも天狐の後を追うと、彼女の言葉通りに誰も二人を気にも留めなかった。


「あなたは何者なんだい、天狐さん。周りの獣人たちは声も掛けないが、随分と気ににしているようにも見受けられるが……まさか、領主?」


「ククッ、どうかのう。わざわざ名乗るほどの者ではあらぬよ」


 何を考えているか、表情からまったく掴み取れない。フランチェスカは落ち着き始めて、ようやく町の景色を目に焼き付けていたが、アレックスの視線はずっと天狐の背中を睨んでいた。


「私たちを連れてどこへ行くんだ? それくらいは聞いてもいいよね?」


 心臓を鷲掴みにされているような状況だ。多少の問いには答えてくれるだろうと尋ねてみると、天狐はあごで町の中心部にある建物を指す。


「情報が欲しいんじゃろ。都に入るには三人の領主が持つ木札が要る。強さを認められた者、あるいは彼奴らを倒せる者こそが都の出入りを許されるのじゃ。()うておいて損はあるまい。まあ、ぬしらが挑むのは勧めぬがのう」


「アタシらも結構強い方だと思うんだけど、それでも勝てないって?」


 強さには自信のあるフランチェスカを見て、天狐は目を細めた。


「勇猛と無謀を履き違えれば早死にするぞ、小娘。ぬしが思うよりも世の中は広く、深いものじゃ。ま、この島に来るだけの胆力は認めてやろう」


「……? おう、ありがとな。だけどタダじゃ帰れねえんだよ」


 なんとしてでもヴィルヘルミナの役に立ちたい。そのためについてきたのに、恐怖心に負けて尻尾を巻くようなことはしたくなかった。命を懸けると誓っておいて尻込みすれば、永遠に後悔すると。


「ふむ……。蛮勇は若者の特権ゆえな、わちきはそれを責めたりはせぬよ。好きにせよ。生きるも死ぬも、すべてはぬしの運次第」


 瓦屋根の豪邸が鎮座する町の広場にやってくる。獣人たちは他の場所に比べると少なく、まばらにいる者も建物の周りを避けるようにしていた。ただならぬ気配の感じる豪邸は、門の向こうに美しい庭園を構え、領主の獣人が池の鯉にエサをやっている姿が見える。穏やかな光景なのに、背筋がぞわっとした。


「これ、わちきらに気付かぬとは平和ボケでもしたか?」

「……? おお、これは!」


 筋骨隆々な巨躯を持つ女が、ずしっと重たさを感じさせる歩みで寄った。胸にさらしを巻くだけで、ズボンも簡素なものをして、とても豪邸の主とは思えないが、確かに彼女が領主である。


「お館様。こんなところに来られるとは珍しい」

「酒臭いのう。また呑んでおったのか?」


 獅子の鬣のような毛量の髪に手を突っ込んで、領主の女は頭を掻く。


「いやあ、酒は美味い。儂はいくら飲んでも酔いませんから。ところで、なぜ人間なぞ連れているのです? 例の侵入者ではありましょうが……」


 アレックスたちが目を剥いて驚き、警戒心をあらわに身構える。天狐は手をひらひら振って、やはり微笑んだまま。


「安心せい、小娘共。わちきの妖術で誤魔化せる相手は限られておるが、領主は他の連中よりも理性的じゃ。のう、獅鬼(しき)?」


 話を振られた獅鬼が困り顔で腕を組み、アレックスたちを見つめた。


「別にお館様がそう言うんでしたら構いやしません。中に入りますか」

「そうじゃのう。メシを用意せい。その間、わちきは童たちと遊んでおる」

「左様で。ではお館様には酒のつまみをご用意いたしましょう」


 獅鬼はアレックスたちをあまり歓迎したくはなかったが、天狐の客人となれば話は別だ。門を開けると手招きした。


「お前たち、食べられないものはあるか?」


「アタシはない」

「私も、苦いもの以外は平気だ」


 答えを聞くとうんうん頷いて前を歩く。天狐が目で二人に合図をして敷地に入ると、美しい庭園の真ん中で立ち止まり、獅鬼を行かせた。


「獅鬼のメシはこの島で一番じゃ、ぬしらも喰うていけ。ただし、できあがるまでは家にあがってはならぬ。獅鬼は自分の見ておらぬときに誰かが中に入るのをどうしても許せんのじゃ。わちき以外の話じゃが」


 アレックスは、ちょうどそのとき気になっていたことを口にする。


「そういえば、領主なのに彼女は敬語を使っていたね。それにお館様とも呼んでいた。つまり、あなたの方が格上ということだ。となれば、あなたは……」


 天狐は静かに手で制して、くすっ、と声を漏らす。


「みなまで言うでない。ぬしらをここへ招いたのも善意などではないが、なに、最期の晩餐くらいは必要かと思うたのでのう。ぬしら程度に名乗る名も持たぬと言うたが撤回しよう。────わちきの名は宵姫天狐。都の主、獣人の頂点である」

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