第91話「三日間の修行」
皆が冗談かのように笑って流したが、ヴィルヘルミナにそんなつもりはない。百獣の国において重要なのは、いかに強いかである。彼らは弱者に興味はないといえども力なき者が縄張りに侵入することを許さない。であれば徹底して鍛え上げなければ、確実に命を落とす。避けるためには、限られた三日という時間の中で、数分から数十分で適宜休憩を挟む以外では睡眠すらせずに特訓する。そのほかにない。
『バルロア、船内で私たちの部屋になる場所は?」
『案内しよう。この船はいささか広い。質の良いガレオン船だと聞いて飛びついたのだが、使うのは今回だけで処分する。好きに扱ってくれて構わん」
ヴィルヘルミナがえっ、と驚いた。
「処分してしまうのか? これほどの船を?」
「私は貿易商ではないからな。それに、売買を繰り返すと足がつく。ウォルターの奴と共謀して魔塔で使われるはずの経費も流用してるんだ。バレると困る」
悪い笑みを浮かべるのを見て、やはり人間の本質などそうそう変わるものではないのかもしれない、とヴィルヘルミナはほんの少しだけ不安になった。
「さて、ここだ。船底には食糧がある。魔法で保存されているから安心してくれ。あくせく働いている水夫共の船と比べれば、随分と金をかけたから快適だぞ」
扉を開けて部屋を見せようとしたバルロアは、ヴィルヘルミナに手で制止され、訝しげな表情を浮かべた。
「どうした、中を見ないのか?」
「結界魔法を使う。中が快適である必要はない」
後ろで待っている三人を薄目に睨み────。
「私が冗談を言ったと本気で思って船旅を楽しもうとしている連中に、現実を見せてやらないといけないだろう? 三日間、みっちり修行させないと」
細めた目が三人を鋭く見つめる。彼女たちには引き攣った笑みが厳しさへのさややかな抵抗だった。
船旅の景色を楽しむ余裕などなく、大切な友人を死なすまいとするためなら、その厳しさも必要だ。かつての自身のように、魔法使いの頂点として彼女たちと向き合うと決めた。
「ヴィルヘルミナよ。お前は結局、何者なのだ? 私との決闘といい、その後のこともだが、並大抵の人間ではそうはなるまい」
バルロアの素朴な疑問に対して、ヴィルヘルミナは申し訳なさそうに。
「今は詳しく話している時間はない。また帰るときにでも話すよ」
「ふむ……。獣人はそれほどに脅威なのか?」
「魔塔の冠位が雁首揃えたところで相手にもならん、無駄死にするだけだ」
両手を扉に押し当てる青白い魔力が大きな魔法陣を描く。
「生きていれば、私と同格の奴も存在しているだろう。そうでなくとも、大陸の人間を百人程度で皆殺しにできる程度には化け物揃いでも不思議じゃない。だから、強くならねばならん。多少くらいは役に立ってもらわんとな?」
ついてくるといったのはお前たちだぞ、と脅すような笑顔。拒否などできようはずもなく、潮風を浴びながら景色を満喫する船旅とはお別れになった。
「では入ろう。お前たちのための特別ルームを用意してやった」
魔法陣が青く輝く扉を開け放った。中は水夫たちの寝室でもなければ、賓客のために用意された豪華な部屋でもない。目に映ったのはヒュブリス。ただし廃都ではなく、かつて繁栄した美しい魔法都市ヒュブリスの姿だった。
「うわっ、すっげ……! あのボロボロだった町か、これ!?」
「キミには驚かされてばかりだね。でも、なぜ前回とは違うんだい?」
廃都ヒュブリスのように荒廃していたほうが暴れやすいのではないか、とアレックスが問いかけると、ヴィルヘルミナは穏やかな気持ちで景色を眺めながら。
「見せたかった。私の生きた時代を。ただそれだけだよ、さあ入ろう」
踏み込んだ土の感触は懐かしく温かい。最盛都市ヒュブリス。人の姿はどこにもないが、確かに繁栄の頂にあった都市の姿が蘇った。
「美しい都だな、ヴィルヘルミナ。お前の生きた時代とは……。千年前の魔法使いであれば、あの強さも納得だ。当時は誰も彼もが高水準だったと聞く」
「フフ、そう言われると照れくさいな」
驚きは感動に変わり、バルロアは景色を呆然と眺めた。ヒュブリスは廃都として現存する。歴史的価値のある地として、終わりと始まりの都市として。バルロアは主にヒュブリス関連の歴史学に強く、これまで想像してきた都市の本来の姿がそのまま目の前に現れたことで、胸には熱い想いが込みあげた。
少年のように目を輝かせる男を見上げて、ヴィルヘルミナは嬉しくなる。
「ありがとう。今に思えば、あの頃は楽しい時代だったよ。また此処へ来て、昔話でもしよう。私の記憶から生まれた都市だ。見て歩くのも楽しいはずさ」
「ああ、期待していよう。……さて、まだ見て回りたいところだが」
バルロアはあごひげをさすりながら、ニヤッと笑って子供たちを見た。
「若者に稽古をつける邪魔はできん。三日間、しっかり励むように」
そう言い残して出て行った。バルロアは船の所有者だ。船員たちを指揮も執らずに放っておくわけにはいかない。背中からは名残惜しさが感じられた。
「だ、そうだ。お前たちが二か月の間にどの程度まで成長したか、この目で確かめさせてもらおう。まさか、私の教えた訓練方法をサボってはいまい」




