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秘術使いの理想郷─ヴィルヘルミナの物語─  作者: 智慧砂猫


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第83話「血統」

 誰が断れようものか。むしろ、ゾクゾクする。これほどの機会に恵まれる数少ない人間のひとりとして。ジャックは身を抱いて深呼吸をすると、ゆっくり力を抜いて腕をだらんと下げた。


「どうせ何も残らないのであれば使わない選択はありませんでしたね。────失敬、此処からはアタシらしい本気の戦い方を魅せましょう!」


 ジャックの影がぐるりと回転して円になり、足下を黒く塗りつぶす。両手からするりと放した剣が静かに沈んでいく。


「────《影法魔術・宵の舞》」


 右目が黒く揺らめく靄のようなものに覆われ、青く輝いた。瞬時にその場から、居たという痕跡だけを残してジャックの姿が消える。加速は最初よりも苛烈。手に握りしめた実体化した影の剣の切れ味はあらゆるものを無条件に切り裂く能力を持ち、その分、魔力の消費は果てしない。今の状態だからこそできる芸当。いずれは使いこなそうと思っていた技術を最大限に発揮できた。


「速いな」


 剣を振った先にヴィルヘルミナはいない。目視で捉えられない、ジャックを超える速度で背後を取り、両手に握った杖を構えていた。


「《ショック・パス》」


 威力の低い雷撃。だが速度に特化しており、ヴィルヘルミナ程の魔法使いが使えば十分に重い一撃となる。間違いなく直撃したはずだったが、ジャックの撃ち抜かれた身体は黒く染まり、溶けてなくなった。


「ほう、影法師か。最初からこっちは囮────」


 頭上から回転しながら振ってきた剣をぎりぎりで躱す。移動先に見つけた影を見て、足下へ杖を向ける。強い光が放たれ、奇襲をかけるつもりだったジャックは目眩ましを腕で庇い、正面から強い蹴りを受けて建物の壁に叩きつけられた。


「ぐうっ……! 判断力がバケモノじみてませんか……!」


「伊達で最強を背負ってるわけではない。これでしまいか?」


「まさか。まだまだショーは続きますとも!」


 まっすぐ伸ばした腕。下に向けた手のひらから、ずるりと剣が現れる。相手は千年前の最強。追うは、最強に挑んだ男の血。心臓が高鳴り、興奮が収まらない。昂りは最高潮に達した。次なる一手は影の中にある。


「喰らいなさい!」


 頭部を狙って投げられた剣をヴィルヘルミナは一歩も動かずに躱す。


「さっきより勢いがないな。それでは当たらんぞ」


「どうでしょうね。アタシ、これでも結構、頭良いんですよ」


 二本目が投げられる。やはり動かずに躱そうとして、僅かにジャックの視線が動いたことに気付く。瞬時の判断で動いたが、遅い。眼前の剣を避けた直後、背中からみぞおちをまっすぐ剣が貫いた。


「(最初に投げた剣はブラフ……。殺すのではなく、影を設置する投擲。二手目も投げたのは、私の反応を僅かに遅らせるためか?)」


 目論見は通った。絶対的な自信があるからこそ、ほんの小さな油断もある。実体化した剣の影を狙うふりをして投げ、建物の壁に影を作った。後は二本目の剣を投げると同時に、作った影を再び剣の形に戻して引き寄せ、背後からの奇襲を仕掛けた。圧倒的な実力差による、一度きりの不意討ちだ。


「これでアタシの勝ちです。油断してくれてありがとう」


 広げた手をぎゅっと握ると、突き刺さった影が炸裂して内側から全身を串刺しにする。勝ったという確信。強大な相手に対する一筋の希望と奇跡を掴み取った。ジャックが笑みを浮かべた直後────目の前からヴィルヘルミナが消えた。


「……は?」


 一瞬、理解が及ばない。確かに刺した。実体だった。目で見たのだから間違いない。その先入観が、ジャックの行動を迷わぬものに変えた。


「呆然としている場合か。命懸けの戦いで思考の停止は死を招くぞ」


 すぐ側で、ヴィルヘルミナが悠々とジャックの肩に肘を掛けて悪戯っぽく微笑む。振り払って向き直った時には、また姿が消えていた。今度は背後から両肩にぽんと手を置いて、顔を覗き込んだ。


「おっと、気を付けなければいけない。マズいと思った時の反射的な行動は大概が読まれやすい。常に冷静を心掛けろ。お前は少し動揺しすぎだな」


 今度は身動きが取れず、肩に触れる手の冷たさにぞくりとした。


「いったい、どうやって……。瞬間移動ではないはず……!」


「ん? あぁ、そんな便利な魔法はないよ。ただお前は幻覚を見ているだけだ」


 また姿が消えると、最初に立っていた位置に戻った。先ほどまでは何も手に持っていなかったのに、今は確かに杖を握りしめている。本能が、あれは本物だと理解した。ヴィルヘルミナは最初から一歩も動いていないのだ。


「そんな馬鹿な。アタシが幻覚をいつ……あっ、あのとき!?」


 目を眩ます光によって視界を遮られた。ただの光だと思い込んでいたそれは、ヴィルヘルミナの幻惑の魔法でもあった。しかし、それならばどうやって投げた剣の奇襲を躱したのか? と疑問が浮かぶ。


 その答えを、ヴィルヘルミナは考えを察して教えた。


「幻惑が掛かっている時点で、お前は私が背後に投げた剣に意識のひとつやっていないと思ったんだろう。残念ながら気付いていた。レオニードで見てる」


 アイツのはもっと派手だった、とヴィルヘルミナはからから笑う。鼠一匹取りこぼさないような刃の嵐。球状に実体化させた影を空に固定するといった荒業まで披露したのだから、秘術の扱いに関してはジャックよりも知識と経験の豊富さで優れた男であったのは間違いない。


「懐かしいよ。あの頃よりも楽しいくらいだが……。さて、どうするね?」


「────まだやりますよ、もちろんね」

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