第82話「千年の再現」
軽く。杖がジャックの胸に触れた。体の中に入り込んでくる膨大な魔力を感じて、驚きに声も出ない。体が羽根のように軽く、以前とは比べ物にならないほどの魔力効率を感じた。魔力の器自体も拡張され、魔力の制御も息をするように楽だ。医療ではなく、何か別の次元にあるヴィルヘルミナの技術だと理解する。
「……身体強化の魔法も掛けました?」
「ああ、私が戦ったレオニードを基準にしてある。期間限定ではあるが」
ヴィルヘルミナは杖を両手にぎゅっと抱えて────。
「ではさっそく始めよう。お前が目指す世界の大きさを経験してみるといい」
ひょいっ、と躊躇なく時計塔から飛び降りた。
「ちょっ……!? どこから飛び降りてんですか!」
「そう言いながら一緒に飛び降りるあたり、お前もイカレてるな?」
「今なら飛べそうって思っただけですゥ!」
「はははっ、それなら立派なものだ。ではどう着地するかも分かるよな」
突然、雷でも落ちたのかと思うほどの轟音が響き、ヴィルヘルミナの姿は雷光と共に都市の遠くへまっすぐ消えた。唖然としたジャックはひとまず剣を抜き、壁に突き刺して引き裂きながら、速度を落として着地する。
飛び散った砂埃を手でバシバシと払いながら、少し離れた場所で杖を立てて待っているヴィルヘルミナに向かい合う。
「先に聞いておきますけど、殺しても死にませんよね?」
「質問が支離滅裂だが答えておこう。────死なない。首が飛んでも」
飛ばせるものならだが、とヴィルヘルミナはニヤッとして杖を握りしめた。
「この都市には何の能力もないと言ったが、ひとつだけある。それは互いに何をしても死なないこと。どちらかが死を感じた瞬間に結界は砕け、私たちは最初の状態で稽古場に戻ることになるだろう。期間限定と言ったのはそういうことだ」
期間限定。此処を出れば元通りなのか、とジャックは仄かに肩を落とす。とはいえ、一時的にでも千年前の再現が行われたことには感動する。ヴィルヘルミナの計らいで、今のジャックはまさに千年前のレオニードと同等の力を得たのだ。自分が夢見て追い続けた世界の体験は今しか得られない。
「気合はバッチリという顔だな。殺意が伝わってくるよ」
「不思議です。勝ちたいと思う強烈な熱が込みあげて来る……」
「だろうな。レオニードもそういう男だった」
冷静で苛烈。繊細で豪快。派手な戦いが好きなレオニードの精神は、いつも闘争心に溢れていた。ただ勝ちたいという欲求。殺意。愛さえもアルベルという男に全て注がれた。その血筋であるならば、そうなって不思議ではなかった。
「うむ、せっかくだ。子供の姿のままというのも面白みがない。────見てくれが変わるだけだが、当時の私で相手をしてやろう」
空いた手がぱちんと指を鳴らす。渦巻いた光がヴィルヘルミナを包み、ぱん、と弾けて消えると、かつてのアルベルとしての姿を映した。
とても四十代とは思えぬほど若く、虚ろな顔。白い髪と赤い瞳は変わらない。背がすらりと高く細身で、とても魔法使いらしからぬ虚弱体質にも見える。だが、ジャックには、だからこそ最強らしいと思えた。
「(これがアルベル・ローズライン……! 白い髪に赤い瞳は凶兆なんて言われてるけど、これほどの神々しさを感じさせるだなんて!)」
近寄りがたい。異質で、神秘的。触れれば自身が燃え尽きそうな熱量。肌が焼かれる途方もなく巨大な魔力。見ているだけで足が震え、額に汗が滲む。馬鹿げている、としか形容できなかった。目の前の存在は、もはや、神の領域にいる。
「(馬鹿げてる……。レオニード様のようになりたいと思っていたけど、祖先はこんなにも桁違いの相手に恐怖すら抱かなかったっていうわけ?)」
二振りの剣を抜き、深呼吸をしてまっすぐヴィルヘルミナを見据える。隙など見当たらない。だが杖を構える気配もなく、魔法の即時発動は難しいと考えた。多くの魔法は魔力の放出による陣形成。さらに形成された陣に魔力を注ぎ、発動。この三点の流れが主流の魔法に必要な動作だ。魔導武拳のように魔力のみで戦う荒業であったり、そもそも武器などに術式が刻まれていて魔力を注ぐだけで即時発動できる例外も存在するが、ヴィルヘルミナにはそれが見当たらない。
「来たまえ。可愛いジャック、遊んであげよう」
「────また馬鹿にして!」
地面を蹴ったときの身の軽さは感動さえする。バネのように飛び跳ね、隼の如き速度に肉体は容易に耐えた。身体強化魔法における究極。レオニードがそうであったのだと聞けば、まだまだ遠い道のりだなと溜息も出そうだった。
しかし、その肉体を頼りに出来る今の経験は必ず糧になる。あらゆる方向から剣に魔力を纏わせ、切れ味を増してヴィルヘルミナに襲い掛かった。手加減はない。殺す気で振り抜いた。何度も、何度も。正面から。側面から。背後から。頭上から。およそ狙える瞬間は全て狙った。────にも関わらず、全て弾かれた。
ほんの一歩でさえ動かず、斬りかかると即座に杖を向けて薄い魔力のバリアを張るだけで防ぎ、反撃のひとつもしない。淡々と視線だけが僅かにジャックを追い、気配のみでどう動くかを完璧に予測して防いだのだ。
「ふざけてます……!? 強すぎるでしょう、いくらなんでも!」
「それが私とレオニードの間にあった壁だよ。普通に戦えば勝ちはない」
杖を握り、地面を石突でどんっ、と叩く。鋭く渦巻いた風がジャックに後退を余儀なくさせる。振り向いたヴィルヘルミナは優しく微笑む。
「それでもアイツは挑んできた。奴にしか使えない秘術があったから。────お前は継承しているはずだ、私に本気を魅せてみろ」




