第77話「残酷な実験」
全身がざわつく。アルベルの遺体は、誰の手にもわたってはならないものだ。おもむろに開いた紙は血が滲んでいて、書いた人間の極限状態が伝わってくる。内容も簡潔に短く、自分の死を悟った遺志に満ちていた。
『彼らは徒党を組んでいます。はぐれの邪法使いを取り込んでいるようです。会話内容は上手く聞き取れず、断片的な内容を記しておきます。仲間を増やしたい。アルベルの遺体。解呪。争奪戦。後は任せます、親愛なる我が師』
リロイを信じて託された命を懸けて記された手紙。リロイはアルベルの遺体を捜索しているのだと思ったが、違う。当事者であるヴィルヘルミナは、その断片的な情報からでも分かるほど、既に頭の中で話が繋がっていた。
『実はアルベルには二人の優秀な弟子がいたんだが、そのひとりが、なんとアルベルを殺しちまった。その結果、アルベルの持つ知識や経験を解析しようと死体の奪い合いが始まった……てのが、戦争の起点なんだよ』
エリアスの歴史の話。千年前に起きた戦争の発端。
『あなたの遺体には、私とコーネル以外では解けない封印を施しています。現状、世の中が平凡に進み続けているのも、解呪が成されていないのだと思います。なので、早く見つけなくてはと調べてはいるのですが……』
封印を施された、行方不明のアルベルの遺体。平穏が過ぎていく時代の流れから、まだ誰も解呪できていない事実。しかし盗まれた遺体は誰かが持っていたはずだ。解呪するために、誰にも気付かれず、独占するために。
しかし時代をいくら追っても、アルベルの弟子だったエセルとコーネルの二人による封印術は強力で解呪には至らない。ならばどうするか?
「……人数を集めて封印を解くつもりか」
「封印とは、何の話です。彼らは遺体を探しているのでは?」
リロイが驚いた顔で続きを促す。ヴィルヘルミナは深く頷いた。
「アルベルの遺体には私の弟子たちの封印術が掛かっている。解呪するのは私でも不可能だろう。魔法のあらゆる記憶と膨大な魔力が眠る肉体だ、おそらく精神、あるいは魂を転移させる術で肉体を得ようとしているはずだ」
「そんなことが可能なのですか? 人間が肉体を乗り換えると?」
あまりに常軌を逸した考え方だとリロイは否定したくなって手で顔を覆った。
「肉体の転移は倫理から大きく外れた行いです。ましてや、遺体を生前の状態に戻してとなると、大魔法の領域です。どれほどの魔力が必要か……あっ!」
リロイが気付くとヴィルヘルミナも苦々しい顔で応えた。
「これまで連れ去られた者たちの遺体は肉体の欠損や融解が起きていたか?」
「はい。起きていましたが、まさか転移の実験をしていたと言うんですか」
認めたくはない。だが可能性はそれを示していた。
「間違いないだろう。外見的に分かりやすく、構造的に再生の難しい眼球を抉っておくことで、遺体を再生して機能回復できるかの実験を行っているはずだ。……そのために必要なものは、人間の魔力。実験の素体となる人間の高い魔力が必要になる。しかし大人となると捕まえにくく、子供を狙う。この理由が分かるか」
首を横に振って、リロイが最悪の気分に眉間にしわを寄せる。
「わかりません。そもそも、なぜ素体の魔力が必要になるのですか」
「再生と転移には転移先になる人間の体にも相当の魔力がなければ成立しない」
空っぽになった自分のカップをさかさまにすると、中に残っていた一滴が垂れた。
「だが、たった一滴の魔力では何もできない。自分の魔力を注げばいいと考えているなら大間違いだ。それは既に誰かの魔力で満ちているのだから」
「治療魔法と何が違うのです。他人の遺体に入るのに厳しい条件が?」
何がどう違うのかが分からないリロイにヴィルヘルミナは丁寧に説明する。
「他人の魔力が体に満ちれば拒絶反応が起きて命に係わる。私たちがやっているのは、罅割れたカップの傷を治しているに過ぎない。中身までは満たせない。だが、遺体から完全に魔力が取り除かれれば話は別だ」
ヴィルヘルミナが、目の前で自分のカップを指で触れてバラバラに割った。それから破片をひとつだけ取り除き、パーツの足りないカップを組み立てる。
「魔法とは想像力そのものによる働きが大きい。この欠損したカップが人間の欠損部位のある遺体だとしたら、中に残る液体は魔力だ。で、こう────」
カップの中にある液体を操り、欠損した部分にぴったりハマるように形を作る。ヴィルヘルミナがぱちんと指を鳴らすと瞬時に凍って、崩れかけのバランスが悪かったカップを正しい形に直してみせた。
「これは所詮、氷だから簡単に壊れてしまうが、肉体の欠損部分を魔力で補うとなると話は変わる。遺体は完全に再生され、遺体に残存する魔力はゼロになり、魔力が漏れる心配もない。つまり、空っぽの器が完成するというわけだ。奴らが必要とするのは肉体に宿る記憶と魔力の器だ」
「……ふむ。おおよその原理は分かりましたが、その場合、再生した肉体から魔力が生成されたりはしないのですか? 元々の人間の魔力が」
良い質問だ、と少しだけ得意げにヴィルヘルミナは続けた。
「だから双方の魔力が必要になるんだ。素体となる『A』の魔力を使いながら『B』の魔力を注いで生成される魔力の性質を変える。この場合、『B』が魂の状態であることが転移の条件だが、肉体の魔力の性質を変えるだけなら中身を入れ替えるだけでいい。ただ、再生魔法を使うとなると技術自体も高度だし、なにより消費する魔力が大きい。だから遺体が魔力を多く持っている必要がある」
あらゆる魔法を網羅するうえで、ヴィルヘルミナ自身が試したことはなくとも理論上では確実に成功する技術。必要な要素に関して揃えることは禁忌として、手を出してことはない。だが邪法使いは、その禁忌を良しとする。
胸糞が悪い、とヴィルヘルミナははらわたが煮えくり返る思いだった。
「子供は未成熟な魔力の器を持つ。フランチェスカやアレックスのように異形の場合もな。────連中、強引に魔力の器を拡張したはずだ。そのために生かしたまま、死ぬほどの激痛を味わわせながら殺したに違いない」




